「何書いてんの?」
居間のテーブルで、何やら紙に書込んでいるゾロに、コーヒーを入れたカップを差し出しながらサンジが問いかけると、ゾロは顔を上げてそれを受け取り、脇に開いていた分厚い本を片手で閉じた。
「刀剣所持登録書類だ。」
「刀剣……闘技用のか?」
剣闘士の商売道具である刀剣にも、そんな書類が必要なのかと、サンジは少し驚いた。あれは、闘技用に使われる物だから、特別な物かと思っていた。
「おう。」
「新しく買ったとか?」
向いのソファに座って、書類を覗き込むと、意外に几帳面な綺麗な字で書き込みがされていて、また驚かされる。なんとなく、雑な文字を書くようなイメージを持っていたのだ。大雑把で、乱雑そうだと。
「この間の賞金でな。予備のがいるとは言われてたし。」
書類の中に金額が見えて、意外に高い買い物なんだと驚かされる。しかも、個人所有物として個人で買うとは思っていなくて、知らない業界の事を知ると色々驚く事も多いものだと、なんとなくサンジはしみじみしてしまう。
「登録がいるって事は、あれ、本物なのか?」
「首くらい軽く斬れるぞ。」
あっさりとんでもない事を言われて、サンジはぎょっとしてゾロを見やった。
普通、こういう場合に返る言葉は、『血が出るぞ』とか『怪我するぞ』とかいうものではないだろうか。しかしここで、首が切れると答えてしまえるという事は、誰かが首を切り落とした事があるか、それによく似たものを切った事があるという事で、それを考えて、サンジはなんとも複雑な気持ちになった。
「……でも、血は流れないよな?」
剣闘士の防具は殆ど全身を覆っているけれど、剣と剣が打ち合って火花を散らすような事もないし、てっきり、あれは刃のない剣なのだとサンジは思い込んでいた。
ゾロに興味があって、闘技会の放送を見たりしていたが、ルールに関しては、サンジは殆ど知らないでいる。そういう事は、ただ闘技を見るだけならば、あまり必要がない事なのだ。
「その為に、防具着けてカバー掛けてるんじゃねぇか。流石に、賭事で人死に出すわけにいかねぇだろ。」
人死にが出るような試合を喜んで見に来る人間が増えるのも、社会的にちょっと問題がある。
普段の生活で発散できないものを、真剣勝負の戦いを見る事で発散するというのも、闘技会の持つ意味の一つではあるが、殺し合いに金を賭けて手を叩いて喜ぶような社会だとしたら、それはあまり心安らぐ社会ではないだろうし、闘技士だって、なり手は少なくなるだろう。
「カバー?」
「管理不備で失格、って聞いた事ねぇか?」
「ああ……ある。あれ、何?」
失格の出た試合は、賭け金の払い戻しがあるとかで、雑誌やら新聞やらに記載される。その時、大体の損害額も表記されているが、驚かされる程の高額で、一体どういう事やらと、サンジは常々不思議に思っていた。
「刃の部分にカバーを着けるのが、規定なんだよ。大体、2枚の板で挟み込んで、金具で止めてるから、壊れて外れる事がある。それが、管理不備だ。」
剣の刃にカバーを着けるのは、真剣であるそれで怪我をしない為だ。
嘗ては、闘技士の怪我も試合の内だと、特別な規制は掛かっていなかったが、ある時、試合の最中に、人死にが出た。そこで国から物言いが入れられた事をきっかけに、剣闘士の剣へのカバー装着と、格闘士の防具装着が義務付けられた。
しかし、剣のカバーを軽量化するなどの改良を重ねる内に、カバーが壊れる事態が増えた。そこで、剣闘士にも防具の装着が義務付けられ、更に、カバーが試合中に壊れないように、剣自体を攻撃の対象にする事が禁止される、現在のルールが設定された。
しかしそれもA級までの話で、S級となると、防具も胸部と腹部を守るだけの簡単なものになり、剣のカバーも装着されない。何事も、特別な階級だからこそ、それでも大過なく、興行は続いている。
「……へぇ……」
ゾロの説明を聞いて、サンジは感心して声を漏らした。
「その人死にってのが、首が飛んだって事なんだけどな。」
先程、ぎょっとした顔をしたサンジを思い出して、ゾロがそう説明を入れると、サンジはへたりと眉を下げて、ため息をついた。
ゾロも、その映像を見たのは、剣闘士になってからの事だが、それは凄い映像だった。どんな過去かと思って確認すれば、たったの20年前の事だった時には、肝が冷えた。子供の頃に見ていたら、剣闘士になるのに二の足を踏んだかもしれないと、同期の闘技士達と話し合った程だ。
「それでも、訓練の最中は、カバー外して対戦とかするけどな。」
やっぱり、そういう経験をしておかないと、危機感が薄れてダメだ。とゾロは言い、サンジはそういうものかと、違和感を感じる。安全なようにしておく事に重点を置いた方がいいのではと、思うのだ。
「でもそんなじゃ、盗まれたりしたら大変だな。」
サンジがそう言うと、ゾロは苦笑して、だから書類を出すんだろうと、笑った。
「盗まれて犯罪に使われたりしたら、罰則は厳しいって話だしな。」
誰がどこにどれだけ刀剣を持っているのか、そういう事を管理するのも国の仕事だ。
「ふぅん…」
調理師が包丁を買うのには申請は必要ないけど、とサンジが呟くと、ゾロは呆れたようにサンジを見返した。
「包丁で人が刺せても、ありゃ、人を刺す為にあるもんじゃねぇだろ。」
剣は飾って眺めて楽しむ人間もいるが、本来は人を斬る為の物だから、規制が掛かるのだ。包丁に規制を掛けたら、家庭の主婦だって困るだろう。
刀剣を買う為の手続きの最初に購入申請書を出すのは、購入して危険のない人間かどうかを判断する為だ。犯罪歴のある人間だとしたら、絶対に許可は下りない。
「そうだけど…でも、それ、なんでそんなにあるんだよ。」
書き込みをしていた書類が一枚と、その脇に3枚の書類が置かれているのを確認して、サンジは呆れて問いかける。
「刀剣購入申請書と、購入許可証と、購入証明書。で、これが所持登録書。」
ひょいひょい、とそれぞれを指で示してゾロは答え、それからハッとしたように表情を改めて、サンジを見やる。
「何?」
「お前、まさか、剣闘士になろうとか思ってねぇよな?」
突然の確認に、サンジは驚いて首を縦に振る。一体、何に気が着いたんだと、驚きと呆れの入り交じった気分で表情を伺うと、ゾロは苦笑を浮かべた。
「こういう話聞くと、まずいのか?」
「まずいわけじゃねぇけど……一応、最終試験は規則とか歴史とかから出題だからな…」
なる気がねぇなら、全然問題ねぇけど。とゾロは呟き、サンジは首を傾げる。
思い返すと、サンジは祖父から闘技士の話をあまり聞いた事がない。せがんでも、話せない事があるのだと言って、規則などは教えては貰えなかった。技を見せてもらう事や、トレーニング方法は教えてくれるのに、何故それがいけないのかと、子供の頃は不思議に思っていたものだ。
「最終試験って?」
「筆記試験なんだけど…って、お前、本当に、闘技士になろうとかこの先絶対思わねぇんだろうな?」
ちょっとでもその気があるなら、教えられねぇぞ、と、ゾロは言い、サンジは右手を挙げてその気がない事を宣誓する。
子供の頃は、憧れとして夢に描いた事はあるが、今はもう、そんなのは夢物語として諦めた。シャンクスはそれをどこか気に入らないように感じたが、彼が気に入らないからと言って、それをもう一度目標にするなんて事は有り得ない。
「そんなに、秘密にしなくちゃなんねぇの?」
「一度しか受けられねぇから、公正にしねぇと。」
技能試験が重要なのは当然だが、最終的に闘技士になる為に受ける試験は、規則や闘技会の歴史などから出題される筆記試験と決まっている。
闘技士の資格取得には、試験を2種類受けなくてはならない。
一つ目は、技能試験で、闘技士になるに相応しい能力が身に着いているかを調べるもので、1年に1回行なわれ、受験資格は15歳以上であることのみだが、怪我の可能性もある事から、18歳までの受験生は、最初の受験時に、技能レベルを示す為の何らかの情報の提示を求められる。怪我の度合いに依っては、その先の生活に障害が出る可能性もあり、危険回避ができるかどうかの判定材料にされる物だ。
ゾロの場合は、学生闘技会の成績証明と、通っていた道場の師範からの推薦状だったが、その成績が試験の合否に直接影響を与える事はない。
技能試験は、合格するまで何度でも受験できるが、一度不合格になれば次の年まで受験ができない上に、合格率が低い為、就職直前で闘技士を目指した場合、20歳で闘技士になれる事はまずない。
ゾロも、15歳で初めて技能試験を受験して、合格したのは17歳だ。平均的な受験回数は5回と言われている為、3回目で合格したゾロは早い方だと言われ、1回で合格したミホークが特例扱いをされていたのだ。
その技能試験に合格した後、闘技士規則などのまとめられた本が受験者に渡される。受験者はその内容を1カ月間で覚え、最終試験と呼ばれる筆記試験に合格すると、晴れて闘技士と認められ、資格証明証が貰えるのだが、筆記試験に不合格となれば、再受験は認められない。
また、数は少ないが、受験者の技能試験合格が19歳以前の場合は、19歳の春まで最終試験受験を待つ事になる。勿論、その最終試験に合格しなければ、闘技士にはなれない。間に時間が開くだけの事だ。
ゾロのかいつまんだ説明を聞いて、サンジは先程ゾロが閉じた本が、その渡される本なのだろうと、当たりをつける。サンジに見られてはまずいと思って本を閉じたのはいいが、うっかりその中に書かれている事を喋ってしまった事に気付いて焦ったのだろう。落ち着いているように見えて、意外にうっかりなところもあると気付くのは、サンジにとって、有り難い発見で、ますます、ゾロが身近に感じられて嬉しく思う。
サンジは現在調理師の資格を持って働いているが、勿論、これから闘技士への転向もできない事ではないし、もっと別の資格を取って職を変える事も可能だ。だから、ゾロはサンジの意向を確認したわけだ。
同じように、ゾロが剣闘士を辞めて別の仕事に就く事も、ないわけではないだろう。
ルフィやシャンクスに聞いたゾロの夢を考えると、そんな事は起きないだろうとはサンジにも想像の着く事ではあるが。
「そう言えば、ルフィの奴が、闘技士は喧嘩ができないとか言ってたけど、本当なのか?」
そう言ったルフィは、土産を貰う序でに遊びに来たナミを家まで送る為に外へ出ている。
ナミは、サンジから見ても可愛らしい少女だった。正直、ルフィには勿体無いくらいではないかと思った程だが、ナミが冷たいような口調でルフィの事を話しながらも、ちゃんとそこに含まれる好意が伝わってきて、サンジはそれを微笑ましく思ったものだ。
「訴えられたら、資格剥奪だって言われてるからな。」
ゾロはそう答え、サンジはその罰則の重さに驚かずにはいられなかった。
「なんで。」
「前例ができたから。」
大体、裁判などの判例は前例に照らし合わせて出るものだから、間違いないだろうと言われている。
「前例って?」
「囲まれて喧嘩売られて、腕折られそうになった格闘士が、反撃して相手の腕、折ったんだ。」
闘技士の言い分は、相手が武器になる物を持って、数人で囲んでそれで殴り掛かって来たというものだった。職業柄、一般人を殴って怪我をさせるなどあってはならない事だが、相手が相手だけに、反撃して身を守る事も必要であろうという意見が、闘技士の中には多かった。
しかし、裁判を起こした腕を折られた数人は、声を掛けたら殴られ、腕を折られたのだと証言した。
その場の乱闘の証拠はなく、最初から最後まで見ていた証人もいなかった。
彼等が、普段から数人で固まって行動し、暴力行為を行なっている事は、間違いない事ではあったが、証人達は、その乱闘のきっかけが何であったかまでは知らなかった。
「そいつら、酔った闘技士に喧嘩売る馬鹿なんかいねぇって、言ったらしいんだな。で、大半の人間が、そりゃそうだ。と思った。で、有罪だ。洒落になんねぇ。」
裁判員は素人だしな。とゾロは言い、サンジもぎこちなく頷く。
裁判官は職業だが、裁判の内容の判断をする人間の半分は素人だ。自分の気持ちで判定を下す。それがいい事なのかどうかは未だに誰もが疑問を持っているのだが、結局、導入以来、それはずっと続いている。
「下手に喧嘩買って訴えられたら、資格剥奪されて慰謝料払って、踏んだり蹴ったりだ。」
上手く逃げられればいいが、ルフィも危ないと言っていたように、囲まれて暴行を受けたら、怪我は避けられないだろう。
ゾロなど、髪の色が特徴的だから、闘技士が喧嘩を買わないと知っている者たちからすれば、恰好の獲物ではないか。
「……でも、怪我したら、試合には出られないだろう?」
階級を上げる為には、試合に出て成績を残していかなくてはならない。半年試合に出られなければ、降格は当然と言われている為、闘技士は怪我に最新の注意を払っている。サンジは、祖父を見て育っているから、それをよく知っている。
「今時、治らねぇ怪我なんてないだろ。半年休んだって、そっからまた上がっていけばいい。資格奪われたら、もう二度と試合にも出られねぇんだ。」
そんなもんで、先の人生潰されてたまるか。とゾロは呟き、サンジは小さくため息をついた。
「なんか、意外だな…」
多分、今の世の中、一番強いのは闘技士だろう。強いものに規制が掛かるのは当然の事としても、そこらで殴り合いをする事すら禁止されているなんて、考えた事もなかった。
「まぁ、知り合いに闘技士いなけりゃ、そんな話、聞くわけないよな。」
ゾロはからりと笑ってそう言い、サンジは、自分の祖父が闘技士であった事を言い出せず、小さく頷いた。
闘技士になる方法。全然、話が進んでいませんよ。
ちょっと、サンジがゾロの性格が読めて嬉しく思ってるだけ。
でもまぁ、こういう事も説明しておいてもさ…って。事で。(2004.2.26)