客だから、と先に湯を勧められてシャワーを借りたサンジが居間へ戻ってくると、窓の外にゾロの姿が見えた。
ビルの最上階のペントハウスであるここは、2階建で庭と呼ばれるベランダがある。20階建のビルの屋上にしては、過ごし易い庭であるのは夕食の折に確認済みだが、ゾロはそこで両手に剣を持って型を追っていた。
庭に付けられている灯りは点っておらず、月明かりの下でゆっくりと動くゾロは、とても綺麗なものに見えた。
闘技の試合中のあの恐ろしい程の速さはそこには見当たらず、ぴたり、ぴたりと型をとって静止する姿は、まるで絵のように静かでこの世のものではないような、そんな気にさえさせるものだった。
ぼんやりと暗い居間の中からその姿を眺めて、自分が夢見た世界を現実にしている人間があれなのだと、サンジは考えた。
ルフィの夢はまだ夢でしかない。色々と先の事を計画して準備をしているとは言え、彼はまだ学生の身分だ。
ゾロの夢も夢でしかないと思うが、少なくとも彼は、それに近付く為の一歩である剣闘士として生活し、次の一歩を下ろす先を探しているように見えた。
料理人になる事も、サンジの夢の一つだった。憧れた祖父の生きる道だからこそ、夢を見たのだと思う。だけれど、次の一歩をどこへやるのかと聞かれて、答えられないのが今の自分なのかもしれないと思った。
シャンクスの問いは、もしかしたら、そういう事なんだろうかとサンジが思った時、壁の通信端末が音を立てた。
「はい。」
この家は住人がずぼらなのか、音声反応で声を関知した位置から一番近い通信端末が回線を開く。ルフィとシャンクスは音声登録があるらしく、声に反応して彼等の部屋の端末が通話端末になるらしく、ナミからの連絡を受けた時、ルフィは階段を駆け上がっていっていた。
『こんばんは。変わりはないか?』
問い掛けはノースコロニーで何度か聞いた声で向けられ、サンジは端末に映る姿を見て、内心で首を傾げた。
ここはルフィの家で、状況を確認するのならば、シャンクスがルフィに電話をかけてくるべきだと思うのだ。それなのに何故かベックマンが穏やかな声でそう問い掛けてくるというのは、どことなく違和感を感じる。
「ええ。ルフィはもう寝てますよ。」
『面倒をかけるね。ゾロはいるかい?』
微かに声に柔らかさが加わり、サンジは頷いて庭にいるゾロの方へ足を向けた。
「ベックマンさんから電話入ってるぜ。」
「おう、悪い。」
一通り型をさらったところだったのか、息を整えていたゾロはため息まじりにそう返して、家の中へ戻ってくる。
「用もねぇのにな…」
小さく呟く声が聞こえて、サンジはその様子に苦笑を浮かべる。あれこれ口を出してくる親に反抗したかった頃の自分と似ているような、そんな気がしたのだ。
「もう、寝るとこ。」
『そうか。おやすみ。』
「おやすみ。」
サンジはそれで切れてしまった通話に驚いて、言葉を失ってゾロを見つめた。
今のは、本当にそれだけの用で掛けられた電話で、20にもなった男が、40目前の保護者とすることではないだろうと思う。そういうのは、歳の若いつきあい始めたばかりの男女がするような事であるはずだと、サンジは思う。それだって、今時ならばメールで済ませる事なのに、わざわざ顔を見て声を聞くなんて、あんた達はどういう親子だ、とサンジは思う。
だけれど、当人達はそれに違和感を感じていないのか、意義を唱えてはいけない事なのか、とにかくゾロはごくごく普通の顔をしていた。
「………」
普通なら、なんて寒い親子だと思うはずなのに、何故か胸の奥の方でもやもやが湧いて、サンジは首を傾げた。
「お前も、早く寝ろよ。」
刀2本を大事に抱えて、ゾロは2階へ上がっていき、サンジは暫くぼんやりとそこに立ち尽くして、誰もいない庭を眺めていた。
朝日の明るさよりも、外から伝わる人の動く気配に目を覚ましたゾロは、窓に寄って庭を見下ろした。
「……?」
金色の髪が動きに合わせて風に揺れる程に素早い動きで、足技の型を追っていくそれは、料理人だと言ったシャンクスの客人で、昨日一日、格闘技を行なう事には興味など無さそうな顔をしていた人物だという事に驚いた。
昨夜、いつものように庭で鍛練をしていた時、じっと見つめている視線には気付いていたけれど、闘技会には興味があるらしい事はわかっていたから、珍しいものが見られると思っているだけかと思っていた。
だけれど、あれだけの動きができるのならば、誰かに習った事があるのは間違いない事で、早朝に鍛練をしているとなれば、闘技士の道を目指した事があってもおかしくないような気もした。
「勿体ねぇ。」
昨日、闘技士になる気はないと言ったから、あれこれ教えてしまったけれど、あれならば、闘技士試験を受けさえすれば、すぐにでも闘技士になれるとゾロには見える。
勿論、ゾロは格闘士の合格レベルを詳しく知っているわけではないが、合格直後の格闘士とそれ程変わらないような気がするのだ。
暫くそれを眺めていたゾロの耳に、通信端末の呼び出し音が聞こえた。
「はい。」
鍛練の邪魔をしては申し訳ないと、すぐに返事を返してゾロは端末機の前へ移動する。
『おはよう。今日は、起きてるな。』
「……昨日も、起きてたよ。」
『そうだったな。』
笑いを含んだ声が返り、本当にいつまでも子供扱いをしてくれて…と、内心でため息をつき、ゾロは思い付いた疑問を向けた。
「あれ、誰。」
『サンジか?』
「そう。何者。」
格闘士の中で足技を使う者が出たのは、ほんの30年程前の事だ。それまでは手を使うものが殆どで、足はそれの補助でしかなかった。そんな中で彼は、足技のみで試合を行ない、敵無しの戦績を上げ、S級に上がり、格闘士の中に一系統を作り上げる事に成功した。
それでも、彼を凌ぐ程の格闘士は未だ現れないというのが、世間と闘技士の共通した意見だった。
サンジのあの動きは、その人物の動きによく似ていると、ゾロは思う。
剣闘士も格闘士の試合を見て研究をする。S級になると合同の試合も行なわれるようになるし、A級では賞金王戦の最後に模範試合として剣闘士、格闘士の各賞金王が試合を行なう事になっているからだ。
だから、ゾロは足技と言う系統を作った人物の試合の記録も勿論見ている。正直、腕よりリーチの長い足技は、闘い難いかもしれないと考えた事もある。
『珍しいな。お前が人に興味を持つのは。』
「そうか?」
人付き合いが上手くない、と言われた事はあるが、別に人に興味を持たないなんて事はないと、ゾロは思っている。ルフィやナミのように親しい友人もいるし、闘技士の間では上手くやっていけていると思っているのだ。
『そう思うよ。』
「……で、誰なんだよ。」
おかしそうに笑っている表情が気に入らない。と思いつつゾロが再度問うと、叔父は苦笑を浮かべてから、にやりと笑った。
『自分で聞いてごらん。それより、頼みがあるんだ。』
こういうところが気に入らない。と思いつつも、こうなると答えなどくれっこないのは経験上知っている事で、ゾロは仕方なく言われるままに、階下の叔父の部屋へと足を向けた。
ロロノアさんとベックマンさん。サンジさんに興味を持ってるらしいロロノアさん。サンジさんは結構凄いらしいが、どうやら本人はわかってないらしい。
なかなか進みませんが、1日は過ぎました。(2004.6.20)