広場に通じる通りを歩いていたイルカは、そちらへ向かって足早に歩いていく人々を見て、首を傾げた。
街の住人は、普段からあまり慌てて行動する事がない。馬車も人も馬も、どこかのんびりとしているのだ。
「カカシさん、今日は何かある日ですか?」
「…さぁ…行ってみますか?」
特にこれといって話を聞いた覚えもなく、カカシはイルカにそう持ちかける。
急がなくてもまだ昼前であるし、店が閉まるには余裕はたっぷりある。広場で何があるかを見るくらいは構わないだろうと思った。
「あ、でも先に薬屋に行きたいです。」
丁度目に入る位置にある店を示して、イルカはそう問いかけた。広場の事も気に掛かるが、先にこれだけは済ませておきたいのだ。
カカシはそれに頷き、店へ足を向けた。
「でも、薬だったらうちのを送ったらいいじゃないですか。薬草だってただであるし。」
「……幾つかはそうするつもりなんですけど、自分でお金出して買いたいんです。」
凱華の薬草は質がいい。垓紫の薬草とは比べ物にならないものもある。店の薬草庫には多分この店よりもずっと多くの薬草が揃っているとは思う。センカもカカシも、欲しいと言えばただでくれると思うけれど、イルカはセンカに雇ってもらっている身であるし、そこまで甘えるわけにもいかないと思う。
それに、きちんと自分が働いて得た金で買った物を送りたいのだ。こうしてきちんと生活している事、なんとかやっている事、そういう事を伝えるのに、貰った物を送るのも情けないし、せめて自分の懐ぐらい痛めないと、申し訳ないとも思う。
「………そうですか…」
イルカがそう言うのならば、無理矢理押し付けるのも失礼だと考え、カカシは頷いて店の扉を開けた。
「でも、俺、薬草の見分けが下手なんで、カカシさん選んで貰えますか?」
「任せてください。」
それくらい役に立たないとね…と、自分に呟いて、カカシはカウンターの中にいる人物に目をやった。
「あれ、帰ったんだ?」
イルカもそれにつられるようにそちらへ目を向け、それが初めて見る人物だと気付いた。
「おう。そっちが噂の御人かい?」
顎で示され、イルカはカカシを見上げた。
「イルカさん。あれが、この店の店主。」
「ミズキさんが店主じゃなかったんですか?」
何度かここへ薬を届けに来た事のあるイルカは、てっきりそれが店主と思い込んでいた。この街に来た時も、なんとか雇って貰えないかとここへ最初に頼んだのだ。彼は人は雇えないときっぱり断りをくれて、そこへやってきたセンカに雇われる事になったのだが、あの態度は雇われ人の態度ではなかったと思う。
「ありゃ、うちの下働きだ。悪かったな、俺がいたら、断りゃしなかったんだが。」
金茶の短く刈った髪をしたその店主は、そう言ってからカカシを見やり笑った。
「まぁ、そこへ雇われたんなら、うちに雇われるよりもずっとよかったとは思うがな。」
確かに、街の薬屋よりも薬師の元で働く事の方が学ぶ事は多く、イルカとしてもそれは良かったと思う。だが、ここで簡単に『そうですね』なんて言えるものではない。何と答えるべきだろうと少し答えを迷う。
「確かに、留守がちの店主に手間掛けられるよりは、ずっとましだと思いますね。」
カタリと奥の扉を開けて姿を現わした青年を見て、店主の顔が歪んだ。
「ああ、イルカさんいらっしゃい。買い物ですか?」
「あ、はい。今日は客です。」
こくこくと頷いて、イルカは薬棚へ足を向ける。別に雇ってくれなかったからと言うわけではないが、イルカは彼があまり得意ではなかった。相手はそうではないらしく、店に顔を出せば何かと話し掛けてくれたのだが、どうにもイルカは落ち着かなかった。
「イルカさん、何が欲しいんですか?」
イルカについて店主に背を向けてカカシは問いかける。イルカにしては珍しく、人を避けるような行動に驚いたが、どうにも反りの会わない人間はいるものだと知っているカカシが、それを責めるなんて事は有り得なかった。
「あの、ざっと、全部。」
「………豪快ですね。」
全部と言っても、街の薬屋にしては薬草の品揃えは豊富なだけに、イルカの答えにカカシは思わずそう返した。
「沢山送ってあげたいので……」
本来、薬屋と呼ばれるものは、調合後の薬を売る店なのだが、この店は店主が商売を考え、薬だけでなく、薬草自体も置いている。それを買いに来る薬師や、ここで仕入れた品を他所の土地で売るという行商人などもあるという、珍しい薬屋だった。
「ここの薬草は、あの人が採ってくるんですか?」
「コノトが採ってくるのもあるらしいですけど、殆どは買ってるもののはずですよ。」
転売に転売が重なれば、それだけで薬草の値段が跳ね上がる。そういう物が垓紫につけば、それは高くて当然だとイルカはため息をついた。
「あれは商売人だから。店主変わってから、この店は繁盛してるんですよ。」
そう言って、カカシは棚の端からイルカの要望を聞いては薬草を選び出していく。
「カカシさん、それ何ですか?」
「これは…」
「ルノールの実。のどに効くんですよ。」
カウンターの向こうから声が掛かり、イルカはそちらを振り返ってぺこりと頭を下げ、カカシは小さく舌打ちをして声の主を睨み付けた。
「赤色が濃い方が質が高いです。」
「凱華の物って、赤が多いですね。」
どれもこれも鮮やかな色合いが多いのが、凱華の植物の特徴だと、イルカは思う。その中でも、赤い物が占める割合が高いような気がするのだ。
「そう言われるとそうですね。」
カカシはイルカの言葉を聞いて薬草棚を見回し頷く。花も実も、赤の系統色が多いのは確かだ。その次が黄だろうと思う。思いのほか緑を示す物が少ないのは意外な気がした。
「イルカさん、暗夜草どうします?」
一番端の棚まで来て、カカシは幾つも並ぶ瓶を示して問いかけた。
「一つ、お願いします。」
「あんたのとこは、許可地なのか?」
その答えを聞いて掛かった声に、驚く程の勢いをつけてイルカが振り返り、カカシはその表情が強張っている事に気付いた。
「……なんで…」
驚きに震える声でイルカが問いかけると、店主のコノトが顔を顰めて答えを返した。
「俺も、垓紫の出なんだよ。そんなに驚くなよ。」
「あ…すみません…」
ぎこちなく謝るイルカに首を振り、コノトは再度問いかける。
「で、許可地なのか?」
「はい。」
頷きながら、イルカは困ったように手を動かし、カカシはその動きが、右手を隠すようにしている事に気付いた。こうまで何度も見てしまっては、あの手に何か意味があるとしか思えなかった。そして、考えてみれば、コノトも以前は手にグローブをはめていて事に気付く。
「うちのは質がいまいちだ。そっちで買った方がいい。」
「そうですね。ここのだと一瓶に2本しか入ってないし。」
カカシもその意見に同意すると、イルカは小さく頷き、選んだ薬草を入れた籠を持ってカウンターへ戻る。
「何で、垓紫の人がここで店を?」
「ん?……まぁ、俺もいろいろあるわけさ。」
苦笑を浮かべたコノトは手早く籠の中身を数え、袋に詰め替えていく。
その作業を見つめるイルカの目が、その手に注がれているのに気付き、カカシもつられるようにそれを見やった。そして、コノトの右手の甲に引き攣れたような跡があるのに気付き、カカシは首を傾げた。
イルカも、ここへ来た時は包帯をしていたと言う、コノトは、前にカカシが訪れた時まではグローブで手を覆っていた。二人は共に垓紫の人間で、しかも、珍しい国外生活者だ。そこにどんな共通点があるのだろうかと、イルカの様子を見ると、その表情が何かに安心したようなものに変わっている事に気付いた。
「きっちり選んでやがるな。」
「その為に付き添ってんだから、当たり前でしょ。」
そう答えてから、カカシはふと気付いて問いかける。
「今日、広場で何があるか知ってるか?」
「公開処刑ですよ。少し前に、金を盗んで家に放火したって事件あったでしょ?あれの犯人らしいです。イルカさん、見に行くなら、一緒にどうです?」
その問いかけに、イルカは驚いてミズキを見やった。
「趣味の悪い誘いを持ちかけるなよ、ミズキ。」
コノトが嗜めるようにそう言うと、ミズキは不服そうに首を振った。
「別に趣味悪くなんかないでしょう?公開処刑なんて久しぶりのイベントじゃないですか。」
「……イルカさん、どうします?」
イルカの顔を見ていれば、そんな物は見たくないとばかりに、真っ青になっているのだが、一応確認をと、カカシは問いかける。
「いいです……そんな、人が死ぬのを見せ物にするなんて…」
首を横に振って、イルカは答え、ミズキは小さくため息をついた。
「そんなに怖いものじゃないですよ。だって、あれは罪人なんだし、殺されて当然でしょう?店長も悪趣味だなんて言わないで、一度見てみたらいいのに。」
「それじゃ、お前は一人で見に行ってこい。」
追い払うように手を振られ、ミズキは盛大にため息をついてから、奥の扉を開けて出ていった。
「……垓紫は、公開処刑なんてないとか?」
凱華や他の国でも、公開処刑は一般的な刑罰の一つだ。見せしめの意味があっての事だったが、最近ではまるで娯楽のような意味合いで扱われる事が多くなっている。人々はなんの罪悪感も持たず、罪人が処刑されるのを争って見るのだ。
「少し前まではあったんだがな。」
「そっか…」
「うちは田舎だし、そんなのはなかったから…」
イルカはそう言って、その話を振り払おうとするかのように首を振った。
「じゃ、早いところ用事済ませて帰りますか。」
刑場まで連れて来られる罪人を見せるのもよくなかろうと、カカシはそう言い、イルカは力なく頷いた。
「じゃ、また来いよ。」
袋に詰めた薬草と釣りを受け取って、イルカはぺこりと頭を下げると店のドアへ足を向けた。