「あ…」
ふいにカカシが小さく声をあげ、イルカはそっとそちらを伺った。
「どうかしましたか?」
このまま帰るにしろ、古着屋に行くにしろ、来た道を戻ればいいと思い、足をそちらへ向けようとしていたイルカは、反対に目をやったカカシに問いかけた。
「…センカの頼まれ物で、牧場に行かなくちゃならないんですけど…」
町から少し離れたところにある牧場は、家畜を商っている。そこへ行くには、町を反対から抜けていった方が近いのだが、そのためには広場を抜けていかなくてはならない。
「じゃ、そっちから行きましょうか。」
人が処刑される場面など見たくはないし、それを心待ちにしている人々というのも見たくはないが、何が何でも見たくないという程ではない。
正直なところ、見たところで倒れたりするわけでもないし、世の中にはそういう処刑がある事も知っている。知っているから見たくないのだが、そこまで気を使われなくても問題はないのだ。
「…じゃ、急いで行きましょう。」
イルカの答えを聞き、カカシはそう言い、足早に歩き始める。
イルカが見たくないと言うから、という理由もあるにはあるが、カカシ自身も、あまり見たくはないのだ。
「そんなに気を使ってもらわなくても大丈夫ですよ。」
「でもあれ、あまり気分のいいものじゃないですから。」
凱華の公開処刑は、基本的に絞首刑である。絞首刑というのは、基本的にその後その場に罪人が晒される。故に、 身分の高い人間はその立場に配慮して、斬首が基本となり、遺体は速やかに埋葬される。だが、平民の犯罪者などは、間違いなく腐るまで晒されるものなのだ。
最近では、町の中心の広場に晒すのは衛生上よくないと、町の外に晒す事が多いが、それでも、人通りのある場所に晒される事と決まっている。
「カカシさんは、見たりしないんですか?」
「……子どもの頃に、一度見たんですよ。次の日からしばらくうなされて、以来見てません。」
目の前で人が死ぬのを見て平気でいられる程、カカシは大人でなかった。そして、実際に目にした最初の人の死が、絞首刑の罪人の死だった事で、カカシの中に死に対する恐怖感が植え付けられた事も確かだ。
だから、人を死から遠ざけるために、この仕事をしているという気持ちもあり、それを見ずにいられるのならば、見ないままでいた方がいいと思う。
「そうなんですか……」
イルカは、公開処刑が行われる寸前の状況ならば見た事がある。刑の執行が中止されたからなのだが、あの時のなんとも異様な雰囲気は、子どもだったせいなのか、とても恐ろしいもののように感じたものだ。
「垓紫は、処刑はどうなってるんですか?」
どうにもその話題から離れられず、カカシはそう問いかけた。
「……罪人を決めるのは領主様で、罪人だという事になったら、罪人の印をつけられて、元の町に帰されるんです。」
イルカは言って、小さく息をついて、俯いた。
「それだけ?」
思わずカカシは問い返し、イルカはそれに頷いた。
「垓紫では、罪人には直接危害を加える以外なら、何してもいいって決まりがあるんです。だから、国民全員が刑の執行人って扱いです。」
その返答に、カカシはイルカがどこか悲しそうな表情でいる事に首を傾げる。
「それって、全員釈放か、全員死刑か。って扱いに近くありませんか?」
「……犯罪者って、事情があるでしょう?金欲しさに人を殺して奪った殺人者と、自分の身を守るために相手を殺してしまった殺人者って、同じ人殺しの罪なんだけれど、種類が違うじゃないですか。」
「でもそれは、色々な事情を汲んで、刑を確定するわけでしょう?」
それができないのならば、刑を確定するその方法が間違っていると言ってもいいのではないだろうか。
「でも、垓紫では、領主が全ての決定権を持つんです。だから、公正ではない刑が言い渡される事があって、それで暴動が起きて、その後、今の刑が決定したんです。……事情を知ってる人なら、相手がたとえ罪人だと言われても、それだけを理由に虐げたりはしないだろうから。って。」
イルカの言葉に、カカシは頷いた。
「本当の悪人なら、町中で閉め出してしまえば、死ぬしかないだろう。って事ですか。」
「そういう事です。…考えてみると、かなり酷い制度ですけどね。」
町中で一人の人間を責め立てる様と言うのは、考えてみれば、全員で悪事を行っているような後ろめたさを感じてもおかしくはない行為だ。それなのに、確実に垓紫ではその方法がうまく機能しているのだ。
「……まぁ…確実だと言えば、確実な刑ですけれど…」
一人が虐げても、二人が助けるような事もあるだろうし、たった一人が守ってくれるような事もあるだろう。それが本当に正しいかどうかはわからないが、それも一つのあり方のような気はする。
「あとは、国外追放があるくらいです。」
「何故?」
刑の執行者がいない場所へ追いやっても、意味がないような気がすると、カカシは首を傾げてイルカを伺った。
「……犯した罪が、その土地の人間にとって、歓迎すべき事だとしたら、確実にその罪人は許されますよね。でも、二度とそれを行われるわけには行かない事もあるでしょう?そういう時は、国外へ追放するんです。」
「ああ…」
例えば、強欲な高利貸しの元から金を盗み出して、貧しい人々にその金を分け与えたとする。間違いなくそれは強盗なのだが、助けられた人々がそれを責める事はないだろう。それでも、国の秩序が乱れる事を考えれば、二度目があってはならない。ならば、国外へ出してしまうしかないという事なのだろう。
「国外なら、印を隠せばそうとは気付かないだろうし、その印だって、罪人の印だと知っている人もいないでしょうから、半ば許されたようなものですよね。」
イルカはそう言って、苦笑を浮かべる。
「あとは、罪人がどれくらい自分の行為を反省するか。っていう問題になるわけです。」
罪を犯した人間に刑を与えるのは、その行為がどのような問題を持っていたかを考えさせる事が一番の理由であって、痛めつける事が目的なわけではない。たとえ、それが周囲から許されたとしても、犯した罪を自覚して反省する事は、重要な事だ。
「難しいですけどね……」
小さく呟いたイルカの声は、カカシに聞き取れない程小さく、カカシは小さく息をついた。
「あ……と……そうだ、さっきコノトが言ってた、許可地って何ですか?」
話題を変えようとして、カカシはできるだけ明るくそう問いかけた。
まさかここまで暗い話題になるとは思わず問いかけた自分も馬鹿だったが、イルカの落ち込み方も尋常ではないとカカシは思う。そして、イルカの目が自分の手に注がれているように感じ、カカシは一つの事を思い浮かべる。
イルカの右手には、その印があるのではないだろうか。と。
コノトの右手の甲の傷は、皮を剥いだ痕だと思えなくもない。イルカは時折右手を隠すようにし、コノトの手を見て、安堵の様子を見せた。それは、そこにあるべきものを理解しての行動ではなかったのだろうか。
そして、もしそうだと言うのであれば、イルカは国外追放になった罪人という事になる。国外追放者は、国にとっては問題があるが、民衆にとってはそうではない存在だという。ならば、コノトもイルカも、罪人であっても、周りを傷つけるような存在ではないという事だ。
それならば、それでいいとカカシは思う。たとえ、カカシの想像が間違っていなかったとしても、彼等は公開処刑を趣味が悪いと言い、人を助ける仕事についている人間だ。それでもいいと、そう思う。
「えっと……薬を持っている事を許されている土地の事です。」
カカシの声に、困ったような表情で、それでも俯けていた顔をあげて、イルカはそう答えた。
「どういうことですか?」
垓紫の薬師が、凱華の薬師よりも国から厳しく管理されているという話は聞いているが、実際にその管理がどのようなものなのかは、さすがにカカシでも知らなかった。
「垓紫の薬師は、管理が厳しいって聞きますけど、その関係ですか?」
重ねてカカシが問いかけると、イルカは首を横に振った。
「管理が厳しいのは、薬師に対してじゃなくて、薬の事です。垓紫は薬草が少ないですから、貴重な薬草は、国が管理しているんです。」
「暗夜草は、国の管理品だということですか。」
「はい。あれは、垓紫じゃ殆ど見ませんから、特に貴重品です。」
そう言って、イルカは苦笑を浮かべた。
「許可地って言うのは、基本的には、領主様のお館に近い町や村が多いです。もし万が一、お館に被害があっても、近くに薬があれば、とりあえず領主様のお体に何かあってもすぐに対処できますし、あまり遠くの者が持っていると、使ってしまう危険性もありますから。」
「使うのにも、許可がいる?」
持っているのならば、使ってもいいという事ではないのかと、カカシは問いかけた。
普通、薬師というのは自分で薬草などを集め、自分で調合をし、自分でそれを使う相手を決めるものだ。そういった自由があってこそ、迅速な処置ができるという面もある。
「どこにでもあるような簡単な薬はかまわないんです。でも、数に限りのある薬草は、許可を頂かなくては使うわけにはいきません。投薬していい相手と、人数が決められて、それから薬草を頂くので、手後れになる場合もないわけじゃありません。」
それでも、間に合って一人でも助けられば。それが、垓紫の薬師の心の持ち方だ。全ての人を助けるのだという思いを持つ事はできない。そう思って薬師の修行を始めても、それが無理なのだという事に気付かされるのだ。
あの土地に産まれたというそれだけの理由で、諦めなくてはならないものが多すぎると、イルカは思う。治そうとする人間も、治りたいと願う人間も、心のどこかで、それが適わない事もあるのだと覚悟している。
「領主の決定権で決まるんですか?」
「はい。……だから、領主様は尊敬されます。全てをお決めになって、その責任を負われるのですから。」
そう言ったイルカの表情には、一点の曇りもなく、カカシはそれに疑問を挟む事ができなかった。
特権階級の人間なんてものが、どれほど下の階級の人間の事を考えているだろうか。自分が助かるために、誰かを殺しているのではないかとは、とても口には出せなかった。