新月の夜、暗夜草の摘取りの為に、三人でぼんやりとお茶を飲んでいた時、イルカがふと何かに気付いたように顔を上げた。
「どうしました?」
「………あ…」
問いかけるカカシに答えず、イルカは慌てたように立ち上がって、外へ足を向けた。そのただならぬ様子に、カカシとセンカもつられるようにそれを追った。
月の光のない夜の闇の中、イルカは空を見上げて何かを探しているようだった。そして、ベルトに吊るした袋の中から、小さな銀色の笛を取り出して口にくわえ、それに息を吹き込んだ。
澄んだ透明な音が聞こえるだろうと思ったセンカの耳には、何の音も聞こえなかった。それでもイルカは、その笛を吹き続けていた。
「聞こえる?」
センカが隣のカカシに思わずそう問いかけた時、空の向こうから、青白い光が近付いてくるのが見えた。それは、以前にイルカが見せてくれた摩訶不思議な光景の中にあった光と同じ色合いで、二人は息をつめてそれを見つめていた。
青白い光が、イルカの傍までやってくると、イルカはそれに手を差し伸べた。
ふわりと、その光は翼を美しく広げた鳥へと姿を変えた。そして、イルカの手の中へ納まり、その光は小さな木彫りの鳥へと姿を変えた。
「イルカ、それは?」
センカは走ってイルカに近付き問いかけた。イルカの傍にいると、本当に不思議な事によく出会うと、センカは思った。特に、この光に関しては、センカは最も気になっているところだったのだ。それをまた見た事は興味深く、しかも光が木彫りの人形に姿を変えるとは、考えもしなかった。
「俺のお守りなんですけど……」
イルカはそれ以上を言い淀んで考え込んだ。
垓紫の南部に暮らす人々が、必ず持っているそれは、呪術師の手によって姿を変えることができる。それでも、術師からあまり遠く離れることはできないのだ。ならば、これを運んできた者が、すぐ近くにいるという事になる。しかもそれは、イルカの物を持ち出すことのできる人間だ。
「気掛かりなことでも?」
カカシも寄ってきて問いかけ、イルカは頷く。
「多分、俺の村の誰かが近くにいると思うんですが、どうしてこんなところまで来たのか…」
垓紫の人間が旅行で国外へ出ることはまずない。商売か修行か、基本的に認められる理由はそれくらいのところだ。だが、イルカの村には外へでなくてはならないような修行を受けるものはいなかったはずなのだ。いくら置いてきた物だと言っても、お守りを誰かに渡してしまうとは思えず、村に何かあったのではないかという心配が浮かんできた。
「イルカに何か届けに来たんじゃないの?」
センカは言ってイルカの手の中の木彫りの鳥を見遣る。
イルカの話を聞いている間に、垓紫では精霊だとか神様だとか言う存在が、とても大切にされていることがわかってきた。ならば、それに近いものであるだろう『お守り』を、勝手に持ち出すとは思わない。
「それ、必ずイルカさんの所へ来るんですか?」
「さっきは呼んだから来たんです。普通は、術師の所へ帰ります。」
「それを追跡できる?」
「はい。」
「じゃ、やっぱり、イルカさんを探してるんじゃないですか?イルカさんがそれを呼べるのがわかってた人なら、考えるでしょう?」
「でも、それにしては、術師の気配が薄くて…」
村にいた呪術師は、相当の腕前で、多分、イルカが呼ばなくてもあれはイルカの元へ飛んできただろうし、ついでに自分の守りも飛ばしてくるくらいの腕があるのだ。だが、今回はそうじゃないところが、気掛かりだった。
「とりあえず、明日町に行った時に、様子見ておいでよ。伝言残してきてもいいしさ。」
「…そうします。」
村に何かあったのでなければいいと、イルカは小さく息をついた。
「イルカって、呪術師なの?」
てくてくと庭へ足を向けながら、センカはそう問いかけた。薬師だと思っていたのだが、それにしては、イルカはそれ以外の技を色々と持っているように見えたのだ。
「違います。母が呪術師だったんで、少し手ほどきはしてもらいましたけど。」
垓紫で呪術師になるためには、生まれ持っていなければならないものがある。呪術師の目と耳、それと、声。イルカは、どれも持ってはいるが、程度が低かった。呪術師として働くには、あまり向かないと言われたし、村には稀代の呪術師と言われた人物と、その彼が引き取った子供がいた。だから、イルカは呪術師にはならず、薬師への道を選んだのだ。
「そうなんだ…」
センカの声を聞きながら、イルカは鳥を飛ばしたのが、彼かもしれないと気付いた。イルカが村を出る時はまだ頼りなく、精霊を飛ばすことなどできなかったが、彼の素質から考えると、それを修得していてもおかしくないだけの時間は過ぎている。
村にたった一人しかいないその異相で、将来を嘱望されている子ども。呪術師になるために産まれてきたのだとまで言われ、彼もそれを受け入れている。いつか、保護者を越える呪術師になると、彼がそう決意しているのは、村の誰もが知っていて、密かに応援しているところだった。
「心当たりでも見つかりましたか?」
ふいに横から問いかけられ、イルカは驚いて隣を歩いているカカシに目を向けた。
「あ…はい。一人いました。」
どうしてわかったんだろうか、と思いつつ、イルカはカカシの様子を眺める。どこか、落ち着かないような顔をしているように見えたカカシは、イルカの返答を聞いて、小さく息をついた。
「俺より、10以上年下なんで、あの子が外へ来るなんて思いもしなかったんですが、心当たりはそれくらいなんです。」
「…10以上って、幾つくらいですか?」
「11歳になったところのはずです。……そうだとしたら、心配なんですけど…」
凱華は治安もいいし、追い剥ぎもこの辺りには出ないが、子どもが一人旅をするのは、危険なことだ。
「………ちょっと、心配ですね。明日、俺も探しましょうか。」
「いいんですか?」
本当にあの子どもだとしたら、目立ち方はイルカの比ではない。噂だけでも、辿るのは容易いはずだ。
「いいですよ。イルカさんのためでしたら。」
にこりと笑うカカシに、イルカは驚いてその顔を見返し、カカシは苦笑を浮かべて首を振り、ため息をついた。
「カカシさん?」
「ちょっと、おかしな言い回しでしたね…」
でも、少しも嘘は混ざっていないんですが…と、心の中でだけ呟いて、カカシは頭を掻いた。
「黒髪に、両目が赤、ですか?」
「はい。肌の色もかなり白いので、目立つと思います。俺を探しているのなら、顔を曝していると思うので、見つけるのは簡単だと思います。」
荷馬車を操りながら、イルカは隣を緑に乗って進んでいるカカシにそう答える。
「……それって、垓紫でも珍しいんですよね?」
想像すると、とんでもない異相だと、カカシは思う。自分も人の事は言えない異相なのだが、あり得なくもない色だろうと思っているし、とりあえず、あまり人は驚かない。だが、こう言っては失礼だが、黒髪に赤い目と言えば、物語の中のモンスターの色合いだ。その上に白い肌では、黒い服でも着ていれば、吸血鬼をイメージしてもおかしくはない。
「珍しいです。だから、あの子は呪術師に引き取られたくらいです。」
彼は、この子を育てられるのは、この人しかいないだろうと、村に連れてこられたのだという話だった。それは、産まれた土地を殆ど離れない彼等にとって、とても珍しい事だった。
「名前は?」
「サスケ。少し、ひねくれたような顔をしてますけど、いい子ですから。」
「サスケ君ですね。じゃ、俺、先に行きますね。」
「お願いします。」
カカシはイルカに向けてひらりと手を振り、緑をあおって遠ざかっていった。
「見つかるといいけど……」
もし本当に、彼が来ているというのならば、それは多分、呪術師として認められるための試験に違いない。ならば、こちらから手助けをするのはよくない事かもしれないが、それで彼に何かがあってはいけないと思う。
「ちゃんと気付くかな……」
イルカはぽつりとそう呟いて、小さくため息をついた。