町の門をそれて、外壁に沿って馬を走らせながら、カカシは近場から探すべきか、遠くから探すべきかを思案した。
子どもの足で一日に進める距離はたかが知れていると思う。だが、イルカを見ていると、歩くという行為に対して、あまり苦に感じる事がないようだとも思う。それが、垓紫の人間の特徴なのか、イルカの特徴なのかはわからないのだが、薬屋のコノトなども、近場ならば歩いて回る人間だという話だ。そうなると、垓紫の人間は凱華の人間と比べて、驚く程歩く人間だと言えるかもしれない。
では、それを子どもに換算したらどうか?そんな答えははっきり言って想像もつかない。ただ、イルカの様子からして、それほど遠くにいる事はないだろうと思う事もできた。それに、子どもだという事で、誰かが荷馬車にでも乗せてやっていれば、移動距離は格段に上がる。朝出たとして、昼近い今ならば、町一つ分くらいは進んでいるだろう。
ならば、取りあえず近場から探すのが得策か。カカシはそう結論付けた。通り過ぎる馬鹿を見るのは、なんとしても避けたいところであった。
そして、カカシの結論は、次の町の門の前で、正しかった事を証明した。
「………君が、サスケか?」
なんと声をかけるべきか迷う程の、異相だった。子どもらしく短めに切られた髪は闇夜の黒。その目はイルカの言葉通りに赤く、どこか、自分の左目に似た色合いだとカカシは思った。
「…誰?」
問いかけてから、彼は目を細めるようにしてカカシの肩の辺りを見遣った。
「俺は」
「言うな。」
問いかけたのはお前だろう。と言いたい程に、はっきりと止められて、カカシは口を噤んでその表情を伺った。
「俺は、自分の力でイルカを探すように言われてる。居場所を教えられると困る。」
イルカ。と呼び捨てにされたその名前に驚いて、カカシは何故それがわかったのだろうと驚き、何かついているだろうかと肩に手をやった。
「今日中には、辿り着く。あんたは帰ってくれ。」
「………まぁ……いいけど……イルカさんには伝えるよ?」
カカシも、薬師の修行の間に、自力で薬草を探してくるようにとの指示を受けた事がある。彼はそれがイルカという生きて動く人間だったというわけで、それを邪魔するのは彼にとって良くない事だとはわかる。
「それはいい。でも、迎えを寄越されると困る。」
「言っておくよ。」
「それも、ちゃんと持って帰れ。」
ああ、この子どもも、自分には見えないものを見るのだな。とその言葉で思った。そして、イルカがこの子どもに自分の存在を知らせるために、なんらかの仕掛けをしたのだろう。それで彼は、カカシがイルカの近くにいる人間だという事に気付いたというわけだ。
「言われても、俺には見えないからさ。じゃ、また後でね。」
「手間を取らせたな。」
それが、彼なりの返礼なのだろうと判断して、カカシは緑の背に跨がると、来た道を戻ろうとし、それにサスケが背を向けるのを見た。
行く方向すら見ないとは、なかなかがんばる子どもだな。と思いつつ、カカシはそれにかける言葉はなかった。
「おはようございます。」
「早くねぇよ。」
店の扉を開けて挨拶したイルカは、いつもカカシがセンカに言われている言葉を向けられて口を噤んだ。
「……すみません……」
「まぁ、いい。」
鍛治師はそう言って、机の上のナイフをイルカに示した。
「これでどうだ?」
問いかけられ、イルカは机に近付き、それを手に取った。
「いいです。あと、この辺にくぼみを作ってもらえれば。」
イルカはそう言って、柄の部分になる位置を指で示す。
「窪み?」
「装備用に引っ掛ける場所がいるんです。浅く入れてもらえればいいんですけど。」
イルカの説明に、鍛治師は頷き、満足そうに笑った。
「なかなか面白い仕事だった。」
その言葉に、イルカがほっと息をついたところに、扉が開いて、カカシが姿を見せた。
「カカシさん、サスケは?」
誰も後に続かない事をいぶかしんで、イルカはそう問いかけた。
「見つけたんですけど、自力で探すように言われているから、ついていけないって。」
カカシはため息まじりに答え、イルカはそれに頷いた。彼の性格からして、そう言われたのならば、きっと引きずって連れてこようとしても、絶対に反抗した事だろうと思う。
「あ、できたんですね。使い心地はどうです?」
カカシは、イルカの前に置かれたナイフのような品を見て問いかけた。
「ああ、そうだ。使ってみねぇと、役に立つかどうかわからねぇな。投げてみなよ。」
言われ、イルカもその通りだと気付き、室内を見回す。
「的があるといいんですけれど。巻藁とか、なんでもいいんですけど。」
イルカの言葉に、鍛治師は工場の隅の人形を示した。
「あれでいいだろ?鎧を着せるもんだから、穴が開くくらいなら問題ねぇよ。」
「じゃ、失礼します。」
イルカは頷き、ナイフを右手に持つと、人形に向き直り、持ち上げた腕を振り下ろした。
次の瞬間、ダンッと音を立てて人形は床に倒れ、鍛治師は慌てたようにそれへ歩み寄った。
「ああ…ちょっと、ずれましたね。」
イルカがそう言って人形に歩み寄り、丁度心臓の部分に突き刺さったナイフを見遣った。
「………あんた…」
その人形は、藁でできた中身に、布を掛けて人の体の形にしたもので、投擲用のナイフを投げ付けたとしても、先が突き刺さるのが精々だと言う品だった。
だが、イルカの投げたナイフは、深々と柄の部分まで突き刺さっており、鍛治師は恐ろしくなってカカシへと視線を向けた。
「最近、鍛練怠ってたから……」
イルカは言って、人形からナイフを抜き取り、刃こぼれなどがないかと点検を始める。
「あ、これ、ダメですね。先が欠けてる……」
それは多分、人形の芯の部分に入れてある鉄の棒に、刃先が当たったせいだろうと鍛治師は思った。まさか、ナイフの先にそんな衝撃が加わるとは思わず、強度は剣には劣るのだ。
「………作り直すよ。」
イルカがナイフを投げた一瞬、その様子がそれまでののんびりしたものと一変した事に、鍛治師は驚いていた。それは、これを注文していった時のイルカの様子と同じ意志の強さが伺えた。
この注文主を、見くびっていたかもしれないと、鍛治師は思った。人ぐらい仕留められると言った時も、はったりだと思っていたのだ。だが、ナイフは迷いなく心臓部に刺さっており、イルカはそれをずれたと言ったのだ。それは、イルカがそこを狙ったと言う事だ。彼は、そうするように教えられた人間だという事だ。
「まかせとけ。」
そう鍛治師が言った時、扉が開いて慌てた様子のミズキがイルカを見て息をついた。
「イルカさん、今、イルカさんを探してるって子どもが来てるんです。赤目の子ども。」
その声を聞いて、呆然とイルカの後ろ姿を見ていたカカシは、気を取り直し、首を傾げた。
「早すぎないか?」
子どもが徒歩で町を一つ進む時間と、カカシが馬でここまで来る時間が殆ど変わらないなんて事があるだろうか。そう思ったカカシとは違い、イルカはすぐに頷いて立ち上がった。
「それじゃ、お願いします。」
鍛冶師にそう言いおいて、イルカは慌てたように店を出て、先に立って行こうとするミズキの脇を通り抜け、カカシの存在すら忘れたように急ぎ足で薬屋へと歩いて行く。
「イルカさん!?」
ミズキもその様子に驚き、慌てて走ってそれを追って行き、カカシも思わずそれに続いていた。
半ば駆け足でカカシが薬屋の扉を潜った時には、既に感動の対面は終わった後なのか、イルカが立ち上がったところだった。
「本物ですか?早すぎますよ。」
その問いかけに、サスケはカカシに目を向けて首を振った。
「あんたが遅いんだ。」
ヒクリ、とカカシの顔が引きつるのを見て、イルカは慌ててサスケの口を覆ったが、その様子もカカシには気に入らないものだった。
サスケがイルカを呼び捨てにした事、イルカはここではあまり人に触らないようにしているのに、まるで抱きかかえるようにして言葉を封じようとしている事、そのどちらもが、彼等はとても近いのだと思わせて、それがなんとも気に入らない。
「すみません。カカシさん。こいつ、口が悪いんですけど、悪気はないんです。」
「……気にしやしませんけど……」
嘘だ。でも、大人気なく否定しても、何もいい事なんてない。カカシは仕方なくそう答えるしかなかった。
「あの、今日は、こいつ泊めてやってもいいでしょうか?」
「ああ、いいですよ。せっかく来たんだし、暫く泊まっていったらどうです?」
イルカの問いに軽く請け負って、カカシは頷いた。
サスケはあまり気に入らないが、イルカが彼を大事にしているようなのは見て取れる。国へ帰る様子の見えないイルカが、国から来た知り合いと過ごせるのなら、それは喜んであげるべき事だと思う。
「じゃ、サスケ、行くぞ。」
イルカの腕の中で深く頷いたサスケに、カカシは気付かれないように小さく舌打ちをした。どうにも、彼から敵意を感じるのは、気のせいではないのじゃないかと思わずにはいられなかった。
「あいつ、凄い凶相だ。傍にいない方がいい。」
イルカの荷馬車の荷台に乗って、サスケは先に帰っていったカカシの顔を思い浮かべてそう言った。
「何?」
「あいつ、あの目。」
御者台に寄って、サスケはそう言い直した。
「ああ……でもほら、当人には吉相だろ?」
何でもない事のようにイルカは答え、サスケは小さくため息をついた。
「周りには迷惑だ。イルカの幸運だって、持っていかれる。」
垓紫の呪術師は、人の姿に、様々な運勢を見る。特に、その目にそれを認める事が多く、左右の色の違う目には、色々な言い伝えがあるのだ。
「大丈夫だよ。」
「………守りも持っていかなかった癖に。」
「うん。だから、ありがとな。」
自分の主張が聞き入れられない事が腹立たしくて、それでもイルカが全然変わっていなくて、サスケは小さく息をついて空を見上げた。
「馬なんて、呼べるようになったのか?」
「……虎。」
「ああ、お守か。」
自分が、馬と変わらない早さで町まで辿り着いた理由を理解してるイルカの言葉に、嘘もつけずに答えると、安心したような声が返ってくる。
「大先生が、心配してた。薬草送ってくる金があったら、自分のために使えって。」
「………そっか……」
「でも、助かったって。」
少し苦いものだった声が嫌で、言葉を付け足せば、後ろから腕が伸びてきて、頭をかき回していった。
暫く会わなかった間に、彼が変わってしまったりしていないかと、少し心配だった。でも、少しも変わっていなくて安心する。
「色々、皆から預かり物がある。薬草の礼。」
「……いらないのに。」
「どうせ、イルカの金だから。」
そう返すと、背中の方から、笑う声が聞こえた。