不公平な世界



 馬車が森の中へ入ると、サスケは辺りを見回して御者台のイルカの方へ身を乗り出した。
「どうして、薬師がこんな森の中に住むんだ?」
「隠居したかったんだって。」
「カカシ?」
 あっさり呼び捨てにするサスケにちらりと目を向けて、イルカは頷いた。
「カカシさん。な。」
「カカシサンが隠居するって言ったのか?」
 言い直したサスケに頷いて、イルカはため息を漏らした。
「お前、俺の雇い主に喧嘩売ったりするなよ。」
「何で俺が、イルカの不利になる事をするんだ。」
 むっとしたような答えに、イルカは苦笑を浮かべて頷き、見えて来た家を指差した。
「あれが店だよ。失礼のないようにな。」
「わかってる。」
 しっかりと頷いた同郷の弟分を眺めて、イルカはこっそりと笑みを浮かべた。
 イルカが村を出る頃は、もっと子どもじみていたと思うのだが、どことなくしっかりして来たような気がする。ここから帰れば、もっともっと大人の表情を浮かべる事になるだろう。そう考えると、それを傍で見られないのは惜しいと思う。サスケだけでなく、他の村の子ども達や住人たち。それと離れている自分を、とても惜しく思う。
「皆は、元気にしてるか?」
「大先生が、毎日暇だって言ってる。」
 イルカが薬師として認められた時から、村の人々はイルカを若先生と呼び、イルカの師を大先生と呼ぶようになった。それが嬉しいようなくすぐったいような、なんと表わせばいいのかわからないくらいに、幸せな時間が、あの村にはあった。だから、イルカはそれをなくしたくなかったのだ。
「そっか。」
「うちの師匠と毎日カードで遊んでるくらいだ。」
「お昼のお茶を賭けて?」
「そう。」
 二人で顔を見合わせて笑って、イルカは店の脇に荷馬車を止めた。
「イルカは、ここで良かった?」
「ああ。」
「………じゃぁ、いい。」
 荷物を荷台から降ろして担ぎ上げていると、店の扉が開いた。
「お帰り。」
 その声に振り返ったサスケが、顔を強張らせて口を開きかけたのを見て、イルカは慌ててその口を押さえた。
「イルカ?…それが、サスケ君?」
 その行動を訝しむように首を傾げたセンカに、イルカはカクカクと頷き、サスケはゆっくりと口を閉じた。
「はじめまして。」
 イルカの手を引き降ろしてサスケは言い、センカはにこりと笑ってそれに挨拶を返す。
「はじめまして。俺が、イルカの雇い主のセンカ。」
「カカシサンとはどういうお知り合いなんですか?」
 サスケの声と表情を見ながら、イルカはその恐ろしい程の愛想の良さに驚いてその顔を呆然と見つめた。
「カカシ?…あれが弟弟子なんだよ。心配だから、ついてきたの。」
「………そうなんですか…」
 サスケは力なくそう呟いて、イルカを見上げ、イルカは黙っていろと目で訴えた。
「暫く泊まっていけばいいからね。疲れてるだろう?その荷物、運ぼうか?」
 センカはそんな二人の様子に構わずそう言って近付いてくると、サスケが足下へ降ろしていた袋を持ち上げようとして固まった。
 サスケが軽々と降ろしていたその布の袋は、恐ろしい程に重たかった。金属の固まりか、岩でも入っているのではないかと思った程のそれに、センカはそれを持ち上げる事を諦めかけた。
「有難うございます。でも大丈夫です。」
 サスケはにこりと笑ってそれに手を掛け、センカが戸惑う横で肩へ担ぎ上げた。
「センカさん、こっち運んでもらってもいいですか?」
「あ、うん。酒樽しまってくるよ。」
 イルカが降ろした木の樽を引き受け、センカはそれを転がすようにして、倉庫の方へと運んでいった。
「……イルカ、やっぱり、ここは良くないと思う。」
「さっき、いいって言ったじゃないか。」
 センカが見えなくなってから、サスケがぽつりと言った言葉を聞いて、イルカは苦笑を浮かべる。
「だって見ただろう?あの人、百人に一人、って言われてもいいくらいの吉相だぞ。それが、こんな森の奥の小さな店で薬師なんてやってるなんておかしいじゃないか。絶対、カカシに引っ張られたんだぞ。あれは。」
 サスケの言葉に、イルカは黙って空を見上げた。イルカも、そうではないかな。とは思っていたのだ。ただ、イルカはあまりきちんと呪術師の修行をしていないから、顔相に関してはあまり詳しくない。カカシの目程のものになればわかるのだが、微妙なところはわからない。それが、きちんとそれを修得している人間に言われてしまうと、なんとも言い様がなくなってしまう。
 それに、センカの過去を考えると、それはあながち間違いとも思えないのがいけない。
 センカは、大陸随一の薬師であるレカントの一番弟子とまで言われたように、実に多くの薬草を見つけ、調合方法を作り上げた人だ。その年齢にしては、名前の売れ方はただ事ではない。ただ、カカシがレカントの元へ弟子入りした頃から、センカは新しい薬を作り上げたと言われる事が格段に少なくなっているのだ。偶然と言ってしまえばそうかもしれないのだが、イルカのように、産まれた時から運命だの宿命だのと言うものと近い部分で生きている人間には、どうにも、偶然で済ませる事ができないのだ。
「イルカ程度の幸運なんて、あっという間に空の彼方だ。」
「……お前、そこまで言う?」
「………まぁ……大丈夫そうには見えるけど。………でも、あの人は何だか不憫すぎる。」
 サスケはそう呟いて、先を歩き始めたイルカの後を追い掛けた。
 
 
 
 
 
 
 
 センカは、転がして来た酒の樽をいつもの棚へ上げようとして固まった。それは、センカ一人で持ち上げられる重さではなかった。それでも、イルカはこれを軽々と持ち上げて、馬車の荷台から下ろしていたのを、センカは見ている。それに、いつもこれを買ってくるイルカは、一人でこの食料庫の中へしまっているのだ。ならば、これを棚に上げているのも、イルカ一人の力だとしか思えない。
「センカ、何してるんだ?」
 ふいに後ろから掛かった声に振り返り、センカはそこに立つ弟弟子を手招いた。
「これ、上げてみて。」
「……無理だろう?」
 端から諦め気味のカカシは、それでも言われるままに樽に手を掛け、片側だけ持ち上げて固まった。
「イルカって、いつも一人で運んでるよね?」
「ああ。」
「これ、いつもここに置いてるよね?」
 一段高くなった棚床を叩いて、センカはカカシに問いかけた。
「………ああ。」
 やっと、センカの疑問の理由に気付いたらしいカカシが、手を掛けている酒樽を見ながら頷いた。
「さっきさ、サスケ君の荷物運ぼうとしたら、物凄く重くて持ち上がらなかったんだ。でも、サスケ君は、あんなに小さいのに、それを平気で肩に担いだんだよ。俺たちって、そんなに非力だと思う?」
「まさか。」
 カカシは首を振ってそれを否定した。もちろん、並外れた力を持っているとは言わないが、これまでに、非力だなんて評価を受けた事はない。どちらかと言えば、重い物を持つのに慣れているはずだと、カカシはこれまで思っていた。
「垓紫の人たちって、俺たちと体の作りが違うのかな。」
 イルカは中肉中背を地でいく体型だ。筋肉質でもないし、痩せてもいない。所謂、ごくごく平凡な人。どちらかと言えば、長剣を振り回すセンカやカカシの方が、上体に筋肉がついているだろうと思う。それなのに、二人には持ち上げられない物を、イルカは軽々と持ち上げられる。コツがあるのだと言っても、それとはまた違うとしか思えなかった。
「………それは、あるかもしれないが……」
 イルカが特別なのか、垓紫の人間が皆そうなのか、人として、種族として劣っていると思うのは、どことなく、いい気分はしないものだった。別に、自分達が劣っている事が許せないわけではないのだが。
「……ま…いいんだけどね。」
 センカもぎこちなくそう呟き、二人は力を合わせて酒樽を棚に上げると、母屋へ足を向けた。

 
 
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