気になり始めると、色々と気になる事は後から後から沸いてくるもので、カカシはイルカの行動を目で追いながら時間を過ごす事が少しだけ増える事になった。
「何でですか?なんて、聞けないよねぇ……」
家畜小屋にいる姿を、井戸へ足を向けるついでに覗いた時、イルカは手袋をしたままで乳搾りをしていた。洗濯を頼みに行った時も、手袋をしたままだった。革の手袋を水に浸けるなんて、と思ったものの、そんなことは当人が一番良くわかっている事だろうと、口にする事も憚られた。別に、そうではいけないというものでもないから、余計な事を言うと思われるのも嫌だった。しかも、当人がそれに触れられる事を嫌がっているような様子を見ておいて、知らぬ振りで聞ける程、カカシの面の皮は厚くなかった。
「何、唸ってんの?」
声が掛かり顔をそちらへ向けると、楽しそうな笑みを浮かべてセンカが立っていた。
「……別に。」
「あ、そ。」
ならいいけど。と、小さく呟き、店の棚を見て回る姿が、なんとも腹立たしいと、カカシは思った。
昔からずっと変わらず、センカは情報を出し惜しみする人間だった。様子を見ていれば、それを知りたがっているとわかっても、問いかけない限り、その答えをくれる事はない。ならば、何も知らない振りをしていてくれればいいものを、知っている事を隠すどころか、見せびらかそうというような態度を取るのだ。それで問いかけても、相当勿体ぶって答えを焦らす。それは、どんなに時間が経っても、慣れる事のできないセンカの癖の一つだった。
「……イルカさんの手袋。ずっとしてる?」
問いかけると、くるりと背中が振り返り、にこりと笑うセンカの顔があった。
「気になる?」
「…………まぁ、少しは。」
「少しね……」
「……………………かなり。」
向こうを向きかけた背中を止めるためにそう答えると、センカは嬉しそうに笑いながら、カウンターの中に座るカカシの前までやってきた。
「ここに来てすぐの頃は、右手だけ包帯をしてた。けっこう酷い傷みたいで、かばいながら生活してたんだよね。それがとれてからは、あれをしてる。傷が残ってるんだろうと思ってたけど。」
右にだけ手袋をしていては、浮いてしまうから、両手にはめているのかと思いつつ、それでも傷くらいならば隠す事もないのではないかと、カカシは思う。
例えば、女性ならば、傷の残る手というのはみっともないと思うかもしれないが、男となれば、傷の一つや二つ気にするものでもないだろう。町にだって、腕の肘から上に一直線に傷の入った者もいるくらいだ。
「イルカは他所から来た人間だから、傷を詮索されるのが嫌なのかと思って、気にしてなかったけど。」
「……ああ、そういうのもあるな。」
あの黒髪だけでも十分に目立つ人間が、更に傷を持っていたのでは、詮索好きな人々から何かと声を掛けられるだろう。
カカシとセンカがここへ来た時も、最初の頃は影でいろいろな噂が立ったものだ。薬師という役立つ職業の人間であった事で、割合あっさり根拠のない噂は消えたようだが、カカシはその間、殆ど町には足を向けなかった程だ。
「何か、気になるの?」
「前に垓紫に行った時、手の甲を隠すのを嫌がった男がいたんだ。」
「垓紫の風習?」
「わからない。ただ、昨日、隠すような様子を見せたから。」
怪我をしている事がすぐにわかる、包帯を巻くという事を拒否した理由が、『恥曝し』である。イルカも、そう考えているから手を隠したというのならば、あれは傷を隠すというだけの意味ではないのかもしれないと、カカシは思う。
「……別に、イルカに不振な所なんてないと思うけど。」
「じろじろ見られて嫌だったのかもしれない。」
取り立てて、おかしな行動をするわけでもないし、町の人も村の人も、イルカには好意的だ。カカシが戻ってから店に立つようになった時、嬉しそうに見せに入ってきた人々が、カカシを見て明らかに落胆の色を見せる事にも、カカシは気付いていた。あまりいい気分ではなかったが、そんな様子を見ていれば、イルカの人となりもわかるというものだ。
「そうかもね。お前、目つき良くないから。」
カカシが掌を返すような事を言った事にも、センカは追求をせずに頷いた。それを見て、センカもイルカを疑いたくはないのだと、カカシは思った。そしてそれは、カカシも同じ事なのだと思う。悪い何かを感じる所を、別の良い事で否定しようとするのは、結局そういう事だ。
「じゃ、俺はイルカに勉強教えてくるね。」
センカはそう言って、カカシの頭をポンポン、と叩き、店を出ていった。
カカシが旅から帰り、採取してきた薬材の保管処理を終えると、イルカは店番をカカシと交代し、センカから薬師としての修行を受けるようになっていた。センカに聞くところでは、素地はきちんと出来上がっているが、如何せん知っている薬の種類が少ないという話だった。垓紫にない薬草の知識は、本に書いてある事しか知らないため、新しい薬草を知る度に、嬉しそうにしていると聞くと、なんとも微笑ましい気持ちになる。
「……別に、いいか……」
例えば、イルカが手を隠す理由が、傷があるからと言うだけの事でなかったとしても、今ここにいるイルカを見ていれば、それに大した意味があるとも思えなかった。
ここへ来る前のイルカがどうあれ、今ここにいるイルカは、人当たりもよく、裏のないように見える。それでいいのだと、カカシはそう思った。