「イルカ、これ今月の給料ね。」
センカの軽い声とは正反対の、重たい音を立てて目の前に置かれた布袋を見て、イルカはそのまま視線をセンカへと戻した。
「……これ……取り分け分ですよね?」
おつりはいいですよ。と、太っ腹な人たちが残していった、本来は客へ返すべきお金だ。
「そう。イルカの給料。」
センカは驚いているイルカを不思議そうに眺めてそう言い、カカシの方を見る。
「こっちで間違ってないよね?」
「ああ。」
カカシもあっさりとそう答え、イルカはぎしぎしと音を立てそうな程にぎこちなく、首をカカシの方へ向けた。
「俺は、こんなに貰う程働いていないと思うんですが。」
「でもそれは、イルカさんに払われた代価でしょう?」
不思議そうにカカシは言い、その視線をセンカへ向ける。
「ちなみに、カカシが持ってるのが、カカシの店番の代価。」
センカの補足説明に従い、イルカはカカシが手にしている布袋を見たが、それは、イルカの前にあるものとは比べられない程に少なかった。
「ま、カカシは薬師としての金が入るから、店番の代価なんて、なくてもいいんだけど。」
「よく、わかりません。」
確かにそれは、イルカが店番をしている間に置いていかれた金ではあるが、それはイルカに支払われたものとは考えられなかった。
「そう?」
センカは不思議そうに問いかけ、カカシに困ったような視線を向けた。
「これまで、そんなに金が置いていかれた事はないんです。だから、それは、イルカさんに払われた金なんですよ。」
「でも、俺はただ薬を売ってただけです。」
「イルカはそうでも、お客さんは違うんだって事じゃないの?色々してくれたから、そのお金はとっておいてください。って意味があるお金なんだからさ。」
センカの言葉に、イルカは戸惑い首を振る。
「でも、薬がよく効いたから。って意味かもしれないし。」
「だったら、これまでだって、それと同じだけの金が払われてたはずでしょ?そうじゃないってことは、イルカのお金だって事。それに、うちって、今までもこういう方針できてるから、納得しておいて。」
センカはそう言って、そこで話を打ち切ると、さっさと調理場へ足を向け、イルカは困ったようにカカシへ視線を向けた。
「こんなに貰っちゃって、いいんでしょうか?」
「……多分、こんなにと言う程、多い額じゃないと思います。」
カカシの返答は、イルカの求めていた答えとは、どこか違っており、イルカは目の前の袋を見て小さく息をついた。
お金がもらえる事は嬉しいのだが、正当な代価であるという意識がない金を貰うのは、とても気の重い事だ。たとえ、イルカが思う程に高い金額ではないのだとしても、気になるものは気になる。そういうことなのだ。
「俺が店番をしていると、客が奥を気にするんですよ。」
「…はい?」
ふいに話し出したカカシに驚き、イルカがそちらへ意識を向け直すと、カカシは苦笑を浮かべて話を続けた。
「人によると、イルカさんは、今日は出て来ないんですか?って聞いてくるんですが、基本的に、彼らは俺に声をかける事が少ないので、イルカさんがやって来ないか、伺っているわけです。」
「……はぁ…」
何の話だろうかと、イルカはおとなしくカカシの話を聞き、先を促す。これまでに、カカシと話をした事があっても、殆どが、イルカから声を掛け、それにカカシが答えるというものだっただけに、カカシが何を話そうとしているのかという事よりも、何故、カカシが話だしたのか、という事の方が、イルカには気掛かりだった。
「で、自分が買い物を終わらせるまでに、イルカさんが出て来ないと、それはもう、随分とがっかりしたような様子で帰っていくのです。」
「……そうなんですか…」
カカシの意図が掴めず、イルカはぼんやりと頷いた。
「そういう時は、彼らは、絶対に、金を余分に払っていったりはしません。それはもう、しっかりと釣りを確認して帰っていくんです。」
もしかして、自分がこの金を受け取るに納得するように、説明をしてくれているのだろうかと、イルカはここでやっと、カカシの意図をそう受け取る事ができた。だが、説明するカカシの表情は、これといって何かを感じる事のできるものではなく、イルカは、この説明がどんな感情の元で行われているのか、それを理解する事はできなかった。
「ですが、イルカさんに向かって、釣りはいりませんという彼らは、それは、実に嬉しそうです。彼らは、間違いなく、イルカさんに金を払っていっているのだと、俺は思いますが。」
「…………ありがとうございます…」
カカシの説明に、それ以上の言葉を返す事ができず、イルカは戸惑い気味にそう返事をし、目の前の布袋を、自分の元へ引き寄せた。
「ま、次からどうなるかはわかりませんから、もらえる時に、きっちり貰っておいてください。」
あっさりと示されたその言葉は、イルカの中にストンと落ちてきて、それまでの説明のどれよりも、納得できる力を持っていた。
「薬なんてのは、常に手元に置いておくものだとは、思われていないですからね。」
備えあれば、憂いなし。と昔の人も言っているのにねぇ。と、カカシは呟き、イルカはその言葉を聞いて笑みを浮かべた。
「薬の効果が薄れるのが嫌だ。って、考える事もできると思いますけど?」
「………じゃ、そういう事にしておきましょう。」
そう言って、カカシが目を細めるのを見て、イルカは静かに頷いた。
「明日は、それ持って、カカシと買い物行っておいでね。」
食事を運んできたセンカがそう言い、イルカは首を傾げた。
「カカシさんは、お仕事があるんじゃないんですか?」
「ちょっと、お使い頼んでるんだ。カカシがいれば、ちょっとは顔が効くところもあるから、使ってやって。」
笑うセンカに、カカシは小さくため息をつき、イルカに向かって頷いた。
「下手をすれば、イルカさんの方が、顔が効くかもしれませんけどね。」
「……じゃぁ、お願いします。」
イルカはそう言って、ぺこりと頭を下げた。