不公平な世界



 朝食を終え、出かける用意をするとイルカが自室へ戻っていったのを見送り、センカはカカシの肩を叩いた。
「イルカの買い物、ちゃんと見張ってるんだよ。」
「は?」
 いきなりの言葉に、カカシはセンカの顔を凝視した。イルカはセンカから見れば年下かもしれないが、買い物もできない子どもではない。いくらなんでも、それはないだろうとカカシは思う。
「あれは絶対、自分の物を買うの後回しにするタイプだから。ちゃんと、自分の物も買うように言って。」
「あぁ…」
「それから、武器を持ってないみたいだから、ちゃんと用意させて。」
「わかった。」
 薬師の所持品の中に、武器がない事はまずありえない。普段薬を調合している間ならば、武器の携帯など邪魔なだけの仕事だが、採取の旅に出れば武器は必需品である。
 薬材が動物である事もあるし、危険な場所へ近付けばモンスターも出る。取り引き価格の高い材料は、得てしてそういった危険な場所にある事が多いのだ。
 買って済む物を採取に出かけるという事は、危険な目にあってでも自力で手に入れたいからに他ならない。採取の旅に出ない薬師もいるが、それはかなり稀である。
 薬師は薬の調合ができる事だけでなく、武器を取って戦える人間であることも重要な職業だった。
 旅を続けてここまで来たイルカが武器を持っていないはずはないのだが、センカが言うのならば、そうなのかもしれないとカカシは考える。
 殆ど金もなかったという事から、武器も売り払ったという可能性もあるだろう。
 垓紫は金属加工で名を売る土地柄だ。そこで作られた武器だというのならば、それなりの値をつけて買い取られたかもしれない。
 金がないというのは、そういう事なのだろうとカカシはぼんやり考える。幸いカカシは金に困った事がなく、その辺りの本当の事情は想像の域を越えないものだったが。
 だが、いずれここを出ていくにしろ、ここで薬師として過ごすにしろ、必ず用意しなくてはならないものならば、金があるうちに用意させるに限る。
 流石に、それぞれに好みのある武器を他人が与えるわけにはいかないのだ。剣を使えない人間に剣を送っても仕方がないし、たとえ使えたとしても手に馴染まないものや使い勝手の悪いものではいけない。
 それが武器というものだと、カカシは教わってきていた。
「なんかさ、不安なんだよね。」
 センカは小さくため息をついてそう呟いた。
 センカは、イルカに対して随分親切だと、カカシは思う。
 もともとセンカは人当たりもいい上に表向き親切だ。だが、実のところ、それが心底の親切かどうかは微妙なのだ。誰にでも優しい事は結局誰にでも冷たいのと同じなのではないかと、カカシは思う事がある。
 イルカにもそれと似たものを感じる事があるが、センカと違いイルカは悪意の表れが随分少ない。ニコニコ笑って対応をした後、振り返って壁を蹴る事もないし、正規の値段の倍額を吹っ掛けるような事もしない。
 センカの明確な好意が向く相手というのは、本当に少ない。兄弟弟子の中でも、センカに嫌われている者はいる程だ。
 それが、イルカには薬師の修行もつけている。それを聞いた時、兄弟弟子でもものを教える事を拒否する事がある人間が、と、カカシは驚いて言葉を失ったものだ。
 以来、イルカのどこがそんなに気に入ったものかと、聞くに聞けない問いをカカシは抱えている。
 それを口にしないのは、その問いにそれとよく似た問いが返ると知っているからだ。
『どうして、そんなにイルカを気にするのか?』
 そんな事を問われてもカカシには返す言葉がない。
 気になるものは気になる。今のところカカシが返せる答えはその程度で、その答えを聞いてセンカが答えるのは、それとよく似たごまかしになるのだろう。
 ならば、黙っていても同じ事だと、カカシは知っている。少なくともセンカとの付き合いはその程度には長く、自分がセンカの好意の対象である事も、カカシはよく知っていた。
「そんなに心配なら、センカがついていけばいいだろう。」
 店番の順番を言えば、カカシの番なのだ。それをわざわざ自分で引き受けておいて、あれこれ指示を出すと言うのも不思議だった。
「そういうわけにいかないのが、今日のカカシ君の使命なんだな。」
「は?」
 まだ何か頼みごとがあるのだろうかと、センカの言葉を待つと、センカはずいっと小さな袋を差し出した。受け取って中を確認すると、中には十数枚の金貨が入っていた。
「それ持って、馬車貰ってきて。」
「……馬車?」
「イルカ、荷馬車なら御せるって言ってたでしょ?それ、半金。」
 あの話は、あの時立ち消えになったのではなかったのかと、カカシはその金袋を見てぼんやり思った。少なくとも、カカシもイルカもそう思っていた。だが、センカはそうではなかったという事らしい。得意げな顔をして、カカシを眺めている。
「俺が一緒だと、いらないってごねるかもしれないでしょ?センカに頼まれたからって、無理矢理にでも受け取らせて。」
「……わかった。」
 センカは、こうと決めたらてこでも動かない人間である。カカシがその決断を覆せた事はこれまでに一度もないし、多分、これからもないだろう。
 イルカには、それを覆してもらいたいものだと思わないでもないが、この事に関して言えば、おとなしく受け取ってもらいたくもある。
 今はまだ、歩いて町まで行くのもそれほどの苦痛ではないかもしれないが、季節によっては苦労する事もあるはずである。本当の事を言えば、馬に乗れるようになってもらえば、採取の旅に出かけるのでも、苦労は軽減していいと思う。
 ふとそこまで考えて、採取の旅にイルカが同行する事を考えていた自分に、わずかに動揺した。
「カカシ?」
「………なんでもない。」
 顔に出たのだろうかと首を振ると、センカは少し不思議そうな顔をして頷いた。
「イルカが持つ武器ってなんだと思う?」
 戻って来ないイルカを待ちながら、センカは思いついたようにカカシに問いかけた。
「剣を振り回す様には見えないな。」
「だよね。」
 センカもカカシも、武器と言えば剣だろう。という感覚の中で育ってきたが、世の中にある武器はそればかりではなく、少ない数ではあったが、兄弟弟子の中にも、鞭などを使う人間もいた。それ程大きくはない動物を仕留める為ならば、長剣など振り回さなくても事足りるのである。
「垓紫の薬師はどうだった?」
「あまり覚えてない。剣を持っている人間は少なかったような気がする。」
 ナイフを持っている人間は見たが、剣を家に置いている薬師は見なかったような気がすると、記憶を辿りながらカカシは答える。
「……脇に何か入れてるようではあるんだけどね……」
 イルカが時々身構える時に、そこへ手をやるのをセンカは数回見ている。
 主に挙動不振な客が現れた時に見るのだが、客に向かってイルカが攻撃する事はこれまでにはない。但し、盗みを働こうとしたならば、彼は迷わず客でも攻撃する事だろうと思ってはいた。
「…脇?」
「ベルトに挟んでるのかな、って気はする。」
「それじゃ、投擲具か?」
 薬師でそれを使う人間はあまりいない。遠敵を倒す為にある武器であるそれは、牽制には向いても仕留めるのには向かないというのが、割合広く信じられている事なのだ。投擲具を使うならば、弓を使うというのが一般的だった。
「そうかな、って思うだけ。」
 実際に、センカはそれを見た事がないのだ。イルカにはその程度の武器が似合うと思っているが、それで渡って来られたのかと思うと、疑問を感じないわけではなかった。
 土に力がなく緑の少ない垓紫は、それ故にか、動物は手強い。それぞれ、自分の縄張りに他者が立ち入る事を激しく拒否し、迂闊に近寄れば命が危ないと言われる。
 それもこれも、生存競争が厳しいからだと言われている。その上、完全に生存形態が違うモンスターは、垓紫に出現するものが一番凶悪だとも言われている。
 その垓紫に住む薬師が、投擲具ごときで渡って来られるとも思えなかった。
「こっちにはない武器があるのかもね。」
 武器の形は地方によって様々である。同じ剣でも、刃の形状が違うものは幾つもある。もしかしたら、そういったものの一つなのかもしれないと、センカは思った。
「それじゃ、尚更手に入れるのが大変じゃないか?」
 武器は職人がいなくては良質なものは手に入れられない。その土地固有の道具を使う者は、修理と新調の難しさを嘆くことが多かった。
「だからさ、お前、鍛冶屋に顔が効くでしょ?少しの無理ぐらい突っ込んで。」
 センカの言い分に、カカシは苦笑して頷いた。昨夜の顔が効く発言は、そこへ来るのかと、納得できた。
「垓紫の武器に勝るものができるとは思わないけど、金を積めば少しはましなものができるでしょ。」
 カカシやセンカが持っている剣も、実は垓紫で作られた武器だった。剣の手入れは、原産地が他国でも割合どこでも受け付けてくれる性質がある。近くの街の鍛冶屋はなかなか腕が良く、二人は満足していた。
 だが、手入れを受け付けるのと、武器を作るのとでは流石に話が違う。ある程度性能が劣る事も、我慢しなくてはならないだろう。
「……そういえば、昨日の採取、イルカさんが見てなかった?」
 ふと思い出し、カカシはそう告げた。
 昨夜は新月だった。新月の晩にだけ咲く『暗夜草』という薬草を採取する為に、カカシとセンカは裏庭の薬草園に出ていた。
 そこで、花が咲くのを待っていた時にふと空を見上げた時、イルカが窓辺に立っているのを見たような気がしたのだ。
 すぐにその影はそこを離れてしまい、確認はできなかったが、そこはイルカの部屋で、この家には3人しか住んでいる人間がいなかった。
「暗夜草の摘み取りを?」
「……多分。こっちを見てたと思う。」
 暗夜草は解熱薬の材料として重宝する薬草で、野生はあまり多くはないが、レカントの弟子たちは、それを栽培する技を持っていた。その為、この家でもしっかりと栽培されている。
「前にも、あれをじっと眺めていた事があったんだよね。」
「イルカから、暗夜草の話題を聞いた事はないけど。」
 凱華ですら数がさほど多くはない薬草が、垓紫で大量に採れるという事はないだろう。多分、殆ど採れなくてもおかしくないはずである。
 その暗夜草を、イルカが知っているかどうかというのは微妙なところだ。知識としてそれを知っていたとしても、扱った事がある事はないかもしれない。
 そうならば、あれを暗夜草と知っていたという可能性は低い。暗夜草は花が咲かなければ、どこにでもある雑草とよく似ているのだ。あれをじっと見ていたのも、抜いてしまうべきか迷っていたせいかもしれないし、昨夜も二人が外に出ていた事を訝しんでいただけかもしれない。
「イルカなら、降りてきてもおかしくないだろうし…」
 薬師の仕事を教えている立場である以上、イルカが問えば、センカは自分の持つ技を教える事は躊躇わないと思っていた。レカントが外へ出そうとしなかった暗夜草の栽培方法も、教えてもいいと思っている。
 もちろん、栽培には適した場所が必要な為に、イルカがそれを垓紫へ持ち帰ったとしても、役に立つとは思えなかったが。
「薬草庫でも、暗夜草については何も言わなかったなぁ……」
 他の薬草は事細かに話を聞いていたのに、それだけはまるで避けるかのように質問をしなかった。これまで気にも掛けていなかったが、考えてみればおかしな事だった。
「おかしいね。確かに。」
 センカは呟いて、小さく息をついた。
「イルカは、色々わからない事が多いからねぇ……」
 どうして旅をしているのか、これからどこへ行こうとしているのか、イルカは自分の事は殆ど話さない。
 センカもカカシも、事情があるのだと、話さない事を聞くような事はしないが、気になっている事は確かで、イルカがそれを話してくれる日を待っているのも本当の気持ちだった。
 二人が小さく息をついて黙り込んだ時、階段を降りて来る足音が聞こえ、カカシは立ち上がって砂色のマントを羽織った。
「すみません、遅くなっちゃいましたね。」
 扉をあけてイルカが姿を見せ、ぺこりと頭を下げる。
「気をつけて行っておいで。」
「行ってきます。」
 センカの言葉にイルカは頷いて返す。
「カカシ、頼んだよ。」
「わかった。」
 カカシは頷き、イルカが不思議そうな顔をして自分を見ているのに気付いてほんの僅かの笑みを浮かべる。
「行きますか。」
「………はい。」
 一瞬驚きの表情を浮かべて、イルカはにこりと笑い、外へ続く扉に足を向けた。<

 
 
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