俺は、案外、この二人が苦手なのかもしれない。サンジは訪れた家で会った二人を見て思った。
ミホークとシャンクス。どちらも北の家の下にある貴族の一人だが、その存在感は未だに若輩とみなされるサンジとは比べるべくもない。
家がどんなに立派であろうと、人間性は別物だと、サンジに思わせる人間たちだ。
ゾロはこの二人と親しいようだが、それはあくまでも自分の上にある人間として対応していることで、友達付合いをしているとかそういうことではない。
それでも、彼らがゾロの事を大事なものとして扱っているのも見て取れた。
だから、苦手だと思うのかも。と考えながら、それでもそのゾロの事を相談するのならば、この二人しかないのだと、サンジは思う。
「どうしたら、ゾロをものに出来るか、ってなぁ…」
呆れたようにそう言って、シャンクスはサンジを見やる。
「何か足りないんでしょうか。」
問い掛ければ、二人は視線を合わせ、それから同時に溜息をついた。
「手っ取り早く事を進めたいなら、有無を言わせず押し倒しちまえばいいことだろ。」
ゾロとサンジの体格から言うと、サンジがゾロを無理やり手篭めにしようとするのはなかなかに難しそうなことではある。
だが、ゾロにはサンジの行動を拒否しない理由がある。故に、事は大変簡単である。
「それじゃ嫌だから、こうして相談に来てるんじゃねぇか。」
そんな事はとうの昔に気付いていることで、それでもそんな風に行動することを自分が許せないからこそ、こうしてじっとゾロの行動を待っているのだ。
大体、そんな事をする気でいるのならば、態々この二人に会いになど来ない。
「足りないものは幾つもあるだろうが、最低限手に入れるべきは、妻と子だろう。」
呆れたように、シャンクスを一瞬見やったミホークがそう言うのを聞いて、サンジはその意図がわからずに首を傾げた。
「妻と子?」
それでは、ゾロを自分の伴侶にすることが出来ないではないかと、サンジは思う。
それでも、目の前の二人は当然の事を言っていると思っているようで、シャンクスも横で頷いている。
「俺は、ゾロを俺の伴侶にしたいと思ってるんですけど。」
「それは、一生無理。」
即答でシャンクスに否定され、サンジは口を噤む。
「別に、ゾロが男だから、とかそういう理由じゃねぇぞ。」
別にそんなものを規制する法律はないはずだ。とシャンクスは言い、サンジを見据える。
「お前はな、ちょっと世界に対する理解が足りない。」
普段は暢気な顔をした男が、真っ直ぐに自分を見据えて、真剣な顔をしている事に、
サンジは戸惑いつつも、蛇に睨まれた蛙のごとく、息を詰めてその先を待った。
「この世界には、階級がある。大雑把に言えば、王族と、貴族と、一般市民。それぞれの階級の中も、細かく分かれている。
お前は貴族の中では第一位。ゾロは最下級だ。当然、お前に課せられた使命は、ゾロのものとは比べ物にならなく大きい。
そして、その見返りとして、お前にはゾロとは比べられないほどの自由が与えられている。」
シャンクスはそこで息をついて、理解できているかと、サンジの様子を伺う。
「お前は生まれてからこれまで、金を稼ぐために働いたことがあると思ってないだろう。
お前は自分の懐にある金を使って、好きなものを買って、好きなものを食べて、自分の気に入った者に物を買い与えていただけだ。
それがどうして自分に許されているのかを、本当には考えた事がない。」
自分の家が北の家で、自分がその家の当主だから、ということは、サンジだって知っている。
「ゾロが自分と執事夫妻が生活するために、株取引だのなんだと金を稼いでいるのを知っているだろう。
お前は、ああいう事や一般市民が会社勤めをしたり、農地を耕したりすることだけが、仕事だと思っている。」
「それが悪いって言うのか。」
自分が働いて金を稼いだことがなく、身代を使って生活していることが悪い事だというのか。
それを言うならば、シャンクスや、ミホークも同じことのはずだ。貴族が金を稼ぐために働くことなどないはずだ。
それを、自分だけが責められるのは理不尽だ。
「そうじゃねぇよ。俺たち貴族の仕事ってのは、そういうわかりやすい仕事とは違ってるって事だ。」
「貴族には領地がある。その領地で働いて、金を得ている者達が、その一部を我々貴族に納める。
それが我々の生活を支えている。我々が、金がもっと欲しいと思えば、その納めさせている金額を多くするだけで、我々の収入は増える。
我々は自分が生きるために、そうして金銭を得ているわけだ。」
ミホークの言葉に、サンジは頷く。それくらいのことは、サンジだって知っている。
租税を管理し、領地の様子を視察し、土地を整える事も、貴族の務めだ。
「お前が、どれだけその管理に関わっているかは、俺にはわからん。
それでも、北の家の領地を管理しているのは、北の家の当主だと皆が思っている。
だからこそ、北の家の当主は国中から尊敬されている。お前が普段遊び歩いていたって、誰も何も文句は言わない。
それは、そういう理由があるからだ。」
「言うなれば、お前は生きていることが、働いているという事になるわけだ。」
こう言っては何だが、代々の北の家の当主が、全て賢明であったわけではない。
それでも、変わらず北の家が敬われるのは、その家の行う政策がどれも、領民や国の事を考えて行われていると、はっきり見えるからだ。
北の家の貴族としての務めは、その家を支える様々な人々によって行われ、守られていると言っていい。
愚かな当主でも狂わない仕組みを持っているのだ。
そうなれば、北の家の当主の最大の務めは何か、という話になる。そしてそれが、今回の最も重要な問題である。
「あんたに言われると、ちょっと複雑だけど…」
お前の一族、実は大したことないもんな。といわれているようなもので、シャンクスの説明に複雑な気分を感じつつも、
それがけして間違いではないことも事実。サンジは反論の余地を見つけられなかった。
「お前がこれまでお付き合いしてきた女の子達は、一度でも、お前の妻になりたいようなそぶりを見せたことがあったか?」
不意に変わった方向に、サンジは首を傾げつつも、振り返ってそれはないことに気付く。
「お前は意識してなかったかもしれないがな、周りは皆、お前の最大の役目を理解してるのさ。」
シャンクスは笑って、サンジの鼻先を指ではじいた。
「北の家の当主となれば、迎える妻は四家の娘か、王族の姫。下位の家から妻を迎えるなどありえない。
妻となり、その子を産む人間は、その血筋に見合ったものではなくてはならない。
一般市民はどう考えているか知らないが、貴族は皆そう思っている。」
それは、上から下まで、全ての人間が。笑ったシャンクスに、ゾロを手に入れたければ、妻と子を作れと言われた意味がやっと見えた。
「ロロノア家の御当主というのは、それはそれは見事なまでの士族の家長でな。ご自身の考えと代々の方針を変える気がまるでない。」
苦笑を浮かべて言ったのは、ミホークだった。
「それは、俺も知ってるけど。」
青二才に深々と頭を下げるその人のどこにも、自分への侮りなどなく、心底北の家の当主に敬意を抱き、
それに会うことを光栄と思っているのがありありと見える人だった。
家を継いで僅かの頃、周囲から侮りを感じていたサンジにとって、彼の人の存在が、どんなに貴重であり、救いであったかは計り知れないものがある。
「ロロノアが成人する際に、我が家へ養子に貰おうかと思ったことがあってな。提案してみたが、真っ赤になって怒られた。」
ミホークの言葉に、シャンクスも一緒に首を竦める。どうやら、彼らの間では、彼の人の怒りは相当に恐ろしいものらしい。
「ゾロの父親が俺たちの学友ってやつでさ。あの人も俺たちだったら怒鳴りつけたりするんだけど、これがまぁ、怖い怖い。」
シャンクスは笑い、ミホークも同意を示す。
「戦場で手柄を立てたのみで貴族になったような成り上がりの血が、由緒正しき貴族の中に混ざるなど、
畏れ多い話ではあれど、血統についてとやかく言うことに意味はない。
重要なのは、その者がどこでどうして育ってきたか、という事だ。とな。」
今の世の中、一般市民から貴族の元へ嫁ぐ者も増えてきた。それについて、世間も何も問題視はしていない。
一般市民ともなれば、一躍時の人、とばかりに注目を集めるような事でもある。
それでも、貴族の中にはその血統を重要視するものも多く、流石に大貴族に一般市民から嫁ぐものはない。
「一家族を養うのが精一杯の土地しか持たぬ貴族の家で育った者が、突然その何十倍もの領地を持ち領民を持つ家で、
正しく土地を治められると思うのか、というのがあの方の主張であり、あの家の主張だ。
あの家は、明日から突然一人になる可能性を常に感じているのだな。
我らならば、それは当主になるまでに覚えればいい事だと思うが、あの家にそれは通用しない。」
「それで、ゾロは結局ミホークに家だけ貰って、領地も領民も持たないまま。
何れ、同じ士族出の貴族の家に婿に入る予定だったわけだ。」
そこにお前が入り込んだから、これまた複雑な様相を呈してるけど。とシャンクスは笑う。
「北の方のお気に入りのロロノア家の次男坊を、わざわざ自分の跡継ぎに据えようって家は、なかなか見つからないだろうな。
下手に怒りを買っても面倒だと考えるほうが多いはずだ。」
「だが、北の方はロロノアを自分の手元に置くわけでもない。ならば、我が家の婿にと動いていいものか。と皆が様子を伺っている。」
可哀想に、どっちへ転ぶかもわからず、宙ぶらりんの状態さ。
とシャンクスは言い、サンジはその意見に驚かずにはいられなかった。
「ゾロの父親の関係で、俺やミホークと誼があるのは皆知っている事だからな。
ロロノア家だけならば大きな人脈が手に入るということもないかもしれないが、
ゾロが入ってくれれば、その家にとっての影響は大きいに違いないと、考えるのは当然だ。」
これでこの世界、なかなかに大変なものだからな。とシャンクスは笑った。
「お前がどうしてもと言えば、ゾロはお前のところに来るさ。
それが嫌で、それでもゾロが傍に欲しいなら、お前は早く妻と子供を持って、遊び相手としてゾロを手元に置くしかないだろう。」
それが、世間を納得させて、ゾロを手に入れる手段だと、シャンクスは笑う。
「お前が、国王の近衛兵の如く、ロロノアを自分の護衛として手元に置くのならば、それは一層簡単な事だ。
その護衛に戯れに手を出そうと、それはその家の中のこと、外からあれこれと言われることもなければ、
どこへでも傍に連れて歩いても、表立って何を言われることもない。だが勿論、それは伴侶ではない。
妻も子も作らねばならないのは当然の事だ。
そして、そうなれば、ロロノアは貴族としての身分は捨てる事になるだろうが、
お前が騎士に叙任し、土地を与えれば、士族としての家を立てる事は可能だな。」
本家と離れることになるが、領地があれば、士族も貴族も今の時代では変わるところはない。
余程、今の領地も領民も持たない状況よりは、より貴族に近いと言えるかもしれない。
「護衛か…」
サンジにもそれは考えた事のないものだった。
今まで、自分が出かける時に傍に誰かを連れたことはない。屋敷には警備の担当者がいるが、サンジ個人に護衛をつけたことはない。
サンジの立場というのは、それが許されるほどには、世の中に認められており、敵意を向けられる可能性が低いのだ。
「どういう方法にしても、お前が北の方としての責任を果たす事がない限り、ゾロがどんなにお前のことが好きだろうと、
お前の手を取ることはないだろうけどな。」
シャンクスはそう言い、それからにんまりと笑みを浮かべた。
「でもまぁ、まずはゾロをどうやってお前に惚れさせるのかが、一番重要なことなんじゃねぇの?」
あれは、お前の事をどうこう思ってないみたいだぜ。とさらりと言うシャンクスに、サンジはぐっと言葉を飲み込む。
「そんな事は、俺が一番わかってんだよ。」
ゾロが自分に惚れてはいないこと。自分の立場とサンジの立場を考えて、サンジの手を拒んでいるわけではないこと。
だけれど、どうしたらゾロが自分に惚れてくれるかなんて、そんな事は誰かに相談することではないのだ。
それはサンジが自分で考えるべきことであり、そのための努力はサンジが一人でこっそりと行うべきことなのだ。
「とりあえずお友達から。なんてのは、あの家の人間には無理だって事は、わかってるだろうな。」
北の家を敬意を持って見つめる彼の家の人間が、その家の当主と友達になるなど、永遠にありえないことである。
絶対的な立場の差があることを、サンジはいつでも感じている。
ゾロはサンジから贈られる物を拒んだことはない。誘いにも必ず応じる。
だからといって、それを心の底から喜んでいるかどうかは別の話だ。
「俺がどんなに望んだって、それが無理だってのはわかってる。」
ゾロがサンジを容認するのは、サンジが北の家の当主だからだ。
サンジはいつでもそれを肝に銘じている。
そして、いつかゾロがサンジだから許すのだと、自分を認めてくれる日を願っているのだ。