「…で、どうすんだ。」
視線を受けて、船長は少しだけ、ほんの少しだけ困ったような表情を浮かべてから、明るく笑った。
「何とかなるだろ!」
こういう時に、明るい展望を示されることは、気分も軽くなって良い事だと言われる事もあるが、明らかに、何の根拠もなく言っていることが分かるときは、複雑な気分になるものだ。
「何とかって、船の修理もしなくちゃならないのに、人の姿すら見えないんだぞ。」
船は、旅の途中に嵐に遭い、少々の被害を受けながら、小さな島に辿り着いた。なだらかな海岸線が殆どないその小さな島は、船を泊めて上陸するには便利だったが、外から見える所に民家はおろか、人の姿も見えない程、木々が生い茂っていた。
「とりあえず、これだけの木があるなら、船の修理はできるだろうけどな。」
「森の中に暮らす人々も少なくないわ。少し中を探してみるのもいいんじゃないかしら?」
たった4人きりのクルーの半分は上陸を提案し、上陸拒否をするはずもない、冒険好きの船長は喜んで頷いた。
「じゃぁ、ウソップは船番な。」
「おう。気をつけて行って来い。」
この船の暗黙の了解となっている、上陸組の決定もあっさり終わり、彼らはいそいそとその島に足を踏み入れた。
「海図に、こんなに大きな森のある島なんて、載っていなかったと思うけれど。」
考古学者であるロビンはそう呟いて森を見回し、前を機嫌よく進む船長のルフィを追いかける。
「動物でもいりゃ、捕まえて食料にするんだが。」
サンジはそう呟いて、森の木々に食べられそうな実が実っていないかと、辺りを見回す。
「食料足りねぇのか?」
「足りなくはないが、どこまで流されてるかによっちゃ、厳しいことになると思うぜ。」
船に載せられた保存食に手を出すのは、最後の最後と心に決めているサンジは、多めの食料を船に積むようにしている。今回も、今のところは問題ない量の食料があるが、近くに街がなければ、いずれ底を尽きることになりかねない。
今回は特に、嵐でルートを外れてしまったことが、どれほどの影響を見せるかがわからないのだ。
「それは、困るわね。」
ロビンは苦笑を浮かべ、ルフィは泣きそうな顔を見せる。ルフィにとって、食事は冒険と同じ位に重要な事柄なのだ。サンジを船のクルーに選んだのだって、その料理の腕前が一番の理由で、彼が戦闘にも長けていることは、二の次だ。
「人が住んでれば、売ってもらうことも出来るだろうがな。」
これだけ立派な森があるのならば、人が住んでいておかしくないと思うと、ロビンは主張し、彼らはその言葉を頼りに、森の奥へと進んでいった。
カサリ、と枝葉の擦れる音を聞いて、彼らは足を止めてその音の聞こえる方へ意識を向けた。
カサカサ、と草を踏みしめ、木々の間を抜ける音は、近くで聞こえ、そして、ピタリと止まった。
「…人か?」
動物かもしれないが、少なくともそれは、彼らの気配を感じ取って動きを止めたように感じられた。それが人だとしたら、これは、攻撃を暢気に待っているような事態ではないかと思った彼らは、迷わず先制を取ることを視線で確認し、音の方向へ走り始めた。
途端に、止まっていたはずの音が一瞬で動き始め、彼らの先を驚くほどの速度で遠ざかっていく。今まで、これ程早く移動する生き物に出会ったことがないと思う速度だった。
「木の上を移動してるわ。」
音は上方から聞こえ、枝が揺れているのがそれを証明しているが、樹上を高速移動するものにしては、先ほどの音は大きかった。
木々の間を抜け、少し開けた場所が目に入った時、そこにいた目にも鮮やかなオレンジ色の髪の少女が驚愕の表情を浮かべて彼らを見やり、叫び声を上げた。
「ゾロ、急いで!」
声に答える様に、木々の間から緑色の髪の青年が重力を感じさせない動きで飛び降りてくると、少女を掬い上げる様にして木の上へ飛び上がり、彼らの気配はそこで完全に消え去った。
「…どういうことだ?」
今さっきまで、樹上を移動する生き物の気配はあった。それは、先ほど飛び降りてきた青年のものである事に間違いはないはずなのに、それはもう、欠片も感じることが出来ない。その青年を待っていたらしき少女の気配も、完全に消え去っていた。
「不思議な色の二人だったわよね。」
彼らの暮らす国には、明るい茶色の髪の人間や、赤毛の人間はいるが、ああまで鮮やかなオレンジ色は見たことがないし、緑の髪なんて想像の範疇を超えている。二人共に、肌の色は驚くほど白く見えた。この辺りの海域に暮らす人々の肌色は、あまり白くはない。それも、ロビンが『不思議』と表現する理由だ。
「あんだけの背があって、あんなに早く、木の上を移動できるものか?」
この辺りの木は、確かに立派なものだが、枝の先は通常細くなっている。青年とそれ程背丈の変わらないようなサンジやルフィがやろうとしても、多分、うまくはいかないだろう。例えば、枝の太い場所から場所へ移動したのならばそれも可能だろうが、その為には、随分長い距離を跳躍していかなくてはいけないことになる。
「ちょっと、難しいような気はするわね。」
ロビンはそう呟いて、人の気配の消え去った森の先を眺めるルフィに視線を向ける。
「どうするの? 彼らは、私達との接触を拒んでいるようだけれど。」
「ん…とりあえず、人が住んでるのはわかったし、船に戻って、考える。」
無理に追いかけたって、どうせ会ってもらえないのは目に見えている。ならば、全員で対策を考えたほうがいい。船に残っているウソップは発明家で、彼らに近づくにいい物を用意できるかもしれない。
決定権は船長のルフィにあっても、会議制が彼らの船の決まりごとだった。
「ロビンちゃんは、ああいう生き物の情報を知ってる?」
考古学者のロビンは、遺跡調査を目的としているが、各地に残る伝説なども調べている。彼らの船にとって、彼女の知識は重要なものになっていた。
「緑の生き物の言い伝えは、沢山あるのだけれど、どれも話が大きすぎて、本当とは思えないのよね。」
「どんなのだ?」
「一番有名なのは、天候を操るというものね。その次が、森を作るというもの。」
森を作るというのは、生活圏とそれによる恵みを与えてくれるという意味だと考えられている。天候を操れば、災害から遠ざかることが出来る。更に、森を手に入れられれば、生活の安定は間違いない。ロビンの言う通り、少々話が大きい。
「緑が植物に通じるから、そう言うのでしょうけれど、あまり本気で考えたことはなかったわ。」
今、目の前で存在を確認したから、その存在は認めるけれど、だからと言って、彼にそんな力があるとは思えなかった。精々、運動能力の優れた人間、というところだ。
「でも、消えたんだよな…」
ルフィの呟きに、彼らは顔を見合わせて頷く。
「やっぱり、人じゃなかったのかしら?」
ロビンの呟きに、彼らは揃って首を傾げた。
「外の人間?」
「見たことがない人間だったわ。」
ナミは、目の前に座るチョッパーにそう答えた。
チョッパーは、獣人族の中でも、トナカイの特徴を持っていて、この村に来る前は、人間に虐げられていたこともあったらしい。この島にかつて暮らしていた医者に拾われ、医術を身に着けた。村の全員に心を開いているわけではないが、ナミにはよく懐いていた。
「ゾロが一緒でよかったな。外の人間は怖いぞ。」
ナミは女だから、沢山気をつけなくちゃ駄目だぞ。とチョッパーは言い、ナミは笑って頷いた。
人間は3人いた。必死に走ってくる様子から、ゾロが追いかけられていることはわかった。ゾロに様子を見に行かせたのはナミで、そのゾロが見つかったなんて、ナミには驚きだったけれど、彼らはナミとゾロを見て、不思議なほどに驚いた顔をしていた。
「なんだか、凄く驚いてたわよ。」
「ナミもゾロも珍しい色だから、驚いてたんだよ。気をつけないと、危ないぞ。見世物にされるかもしれない。」
チョッパーも、初めて二人に会ったときは驚いたのだ。オレンジも緑も、見た事がなかったから。
「捕まって、連れて行かれるということ?」
問いかければ、チョッパーは大きく頷いた。
ナミは生まれた時からこの村にいて、ここを出たこともなく、外の世界も知らない。ここにある生活がナミにとっての当然の世界だが、外に行けばそれが当然ではない世界があるということを、チョッパーに会うまで知らなかった。
「見世物って?」
「檻に入れられて、人が沢山見にくるんだ。俺は、変身しろって言われた。しないと叩かれたりするんだ。」
チョッパーは項垂れ、ナミはその頭を撫でてやった。
チョッパーは獣人族の中でも珍しい能力を持ち、時々に応じて、姿を変えることが出来る。普段は今のように小さな子供くらいの大きさで、二足歩行する姿でいるが、戦闘時は大人ほどの大きさになるし、走るときは四足の形態になる。人間には到底できない事だから、それが見世物になる得るのだ。
「そいつらがいなくなるまで、気をつけなくちゃ駄目だぞ。」
「そうするわ。」
チョッパーは、自分の経験から人間に対する警戒が強いことを、ナミはよく知っている。言う事も尤もな事だと思うけれど、ナミは先ほど見た人間達が気になって仕方なかった。
この村には大きな変化がない。ナミは、チョッパーがこの村に現れたときから、外への憧れを抱いていた。それに、チョッパーやゾロは特別だけれど、ナミは普通の人間だ。言葉がきちんと通じれば、それ程恐れることはないと思う。だから、明日は一人で少し出かけてみようと思っていた。
「じゃぁ、サンジは食料を探しに。俺は森の中。ロビンは島の外縁の探索な。」
対策会議として、その日一日の行動を決めたのは昨晩のことで、朝になって、ルフィは皆に確認でもある指示を出した。
「昼には一度戻ること。そこで、報告会だ。」
確認に3人が頷くと、ルフィは真っ先に船を飛び降りる。
「怪我しないようにな!」
お前が一番心配だ。といつも返されていることも知らずに、ルフィは森の中へと走っていき、サンジとロビンは苦笑を浮かべながら、船を下りて、それぞれの目的を果たすために、行動を開始した。
一人、森の中を歩きながら、サンジは目に付く木の枝から、そこに実っている実を取ったり、草の葉を千切ったりして、食料になりそうなものはないかと歩き回り、小さくため息を漏らした。
これだけ立派な森である。食べられる植物よりも、動物を探していたというのが、サンジの正直な気持ちだ。海上生活には野菜も重要だが、船長の好みからして、肉は絶対になくてはならないものだ。ここで補給ができれば一番有難いと思うのに、先ほどからこれという動物を見かけない。見かけても小さな鳥が精々で、とてもそれを食べる気にはならない。中々悲しい状況である。
そんなため息交じりの捜索活動中、サンジは人の声を聞いて、動きを止めた。
声は小さな子供のもののようで、何かを探しながら歩いているようだった。特にサンジに対する警戒は感じられず、サンジは声の聞こえる方へ足を進めた。昨日は逃げられてしまったが、島民と接触できれば、何よりも有難い。
木々の間を抜けてこっそり様子を伺うと、小さなもこもこした毛皮を纏った子供が、木の上に向かって何か言葉を掛けている。
「…?」
毛皮を纏っているにしては、帽子から飛び出た角が、本物のように見えるし、手の先にあるのは、五本指ではなく、偶蹄目の蹄のように見える。
「ゾロ、赤くなってるやつがいいんだ。」
「それ以上は駄目だ。」
「これじゃ、数が足りないぞ。」
木の上から返る声は、小さな子供の声に聞こえたが、呼ばれた名前は昨日見た少女が呼んだものと同じだと気づいて、サンジは首を傾げて様子を伺った。
「…?」
上を見ていた子供が、何かに気づいたようにサンジを振り返り、サンジはそれがトナカイの獣人であることに気づいて息を呑んだ。
獣人は一番需要の高い見世物だが、安い小屋での興行では、殆どが偽物だ。だが、こんなところに普通に存在するのならば、それは本物ということで、サンジがそれを見たのは初めての事だ。
「お前、何してる?」
不意に頭上から掛かった声に驚き、サンジがそちらを振り仰ぐと、緑色の髪の少年が見下ろしていた。
「…何って…」
「お前が、昨日ナミが言ってた人間だな!」
少し離れていたはずのトナカイが直ぐ近くまで寄ってきて、サンジを威嚇している。昨日は逃げたのに、今日はどうして寄ってくるのかと思いながら、サンジはこの事態を何とかせねばと考えた。
「食糧を探しに…」
嘘を言っても始まりそうにないと、サンジが素直にそう答えると、彼らは怪訝そうにサンジを見やり、手元に持っていたものを眺めて、目線を交わして首を傾げている。
「嘘じゃないって。」
「それ、食べられないぞ?」
トナカイが言い、樹上の少年はサンジの背後に降りてきて、サンジが来た道に目をやって、少し怒ったようにサンジを見上げた。
「お前、森を荒らしたな。」
「そんな事言ったって、俺はこの森の中の何が食べられるかもわかんねぇんだ。とりあえず手に取ってみなくちゃはじまらねぇよ。」
そう答えると、二人の子供は疑わしげにサンジを見上げ、サンジは手に持っていたものを地面に下ろすと、彼らの目線に合わせるべく、地面に腰を下ろした。
「食糧を探してるのは本当。色々千切ったのも認める。けど、悪気があってしたわけじゃねぇよ。」
「悪気があったら、ただじゃおかねぇよ。」
可愛らしいと表現しても良さそうな姿の割には、口の悪いゾロと呼ばれた子供は言い、サンジから距離をとりながら、トナカイの横へ移動する。
「どうする?」
「悪い人間じゃねぇとは思うが…」
小さい子供に悪い人間だと言われるほど、自分の人相が悪くなくてよかったと、サンジは思った。
「できれば、食料は動物の方がいいんだけど。」
サンジが言うと、二人は目を見開いてサンジを見返し、トトトっと数歩間を空け、トナカイを背後にかばったゾロが叫ぶ。
「チョッパーは駄目だ! 獣人族だから、お前らと同類だろう!。」
トナカイの名前はチョッパーというらしいとサンジは理解し、ゾロの言葉に少々の引っ掛かりを感じた。こういう場合、獣人族なんだから、俺達と同類だ、と言うのが普通ではないだろうか。お前達という言葉は、そこに発言者が含まれないことを意味する。
「俺は食っても旨くなんかないぞ! ゾロも食えないからな!」
トナカイも少年の後ろからそう叫び、サンジは思わず声を上げて笑ってしまった。
「お前を食うなんて思ってもいねぇよ。俺は人語を解す生き物は食わねぇ。」
笑いながらそう言うと、二人は顔を見合わせてから、サンジの傍へちょこちょこと寄ってきた。
「俺の言った物しか取らないなら、食べられるものを教えてやる。」
サンジは、その提案に、にこりと笑って頷いた。
「約束します。」
「じゃ、こっちだ。」
テクテクと歩き始める子供の後に続きながら、サンジはその不思議な生き物達をしげしげと眺める。
「…お前、外の人間だろう?」
チョッパーに問いかけられ、サンジは頷いた。
「何しに来たんだ?」
「偶然、着いただけだ。嵐に遭ってな。」
答えると、チョッパーはゾロに目を向け、ゾロは小さく頷いた。サンジの言葉に嘘がないことを確認したかのような表情だった。
「お前達は、何を取ってたんだ?」
反対にサンジが問いかけると、チョッパーは手元にある赤い実をサンジに見せた。
「それは?」
「薬にするんだ。のどが痛いときに使う。」
赤いのが効くのに。とチョッパーは呟いてゾロを見やり、ゾロはちょっと困ったようにチョッパーを見返し、手元に持っていた赤い実を差し出す。
「あんまり取ると、森に悪い。」
ゾロはそう言って、足を止めた。
「あの橙のは、食べられる。」
ゾロが指差す先には、オレンジ色の実が生っている。色の通り、オレンジによく似た植物だろうとサンジは考え、手を伸ばしてそれを取ろうとして、ゾロに服の裾を引かれて手を止める。
「何?」
「一つの木から二つまでだ。」
その言葉に、ロビンの話を思い出す。
緑の生き物は、森を作る。
もし、ゾロが本当にそうだというのなら、これもその一環なのかもしれない。
もし、何もない砂漠に森を作れるというのならば、それは奇跡と呼べるかもしれないけれど、木々の群れを森に作り上げるということなら、奇跡ではなく知識と技術だ。彼らは、そういう能力を持った一族なのかもしれない。
「わかった。」
彼らの努力でこの森が作られたのならば、一時の滞在を許されるためにも、彼らに従うことが得策だろうと思う。必死に作り上げたものでも、ほんの僅かなきっかけで壊れる事がある事を、サンジはよく知っている。
「取らないのも悪いが、取り過ぎるのも良くねぇんだ。」
どんなものにも、バランスが重要なんだと、小さな子供とは思えないことをゾロは言い、サンジは昨日見た青年のことを問いかけた。
「ゾロには、お兄さんとかいる?」
質問の意図を測りかねる、という表情でゾロはサンジを見上げ、暫く考えてから首を横に振った。
「その髪の色は、ここでは珍しくないの?」
「沢山はいねぇ。」
ゾロはそう答え、ゾロの隣でチョッパーがサンジを疑わしそうに見ていることに気づいて、サンジはそれ以上を追求せず頷いた。
それにしても、姿と口調の違和感には慣れないと思うのは俺だけなんだろうかと、違和感を感じていない様子のチョッパーを見てサンジは思った。