籠の鳥



 ナミは、こっそりと一人で家を抜け出した。普段ならば、一人で外へ出ないように、チョッパーや他のお目付け役がいるのだが、今日は調子が悪いといって、傍へ寄らないように言いつけたのだ。チョッパーが薬を作ると言って、張り切って出かけていくのは部屋の窓から確認した。どうやら、ナミの動きに敏感なゾロも連れて行ったようだから、そうそう簡単に見つけられるとは思えない。これは、チャンスなのだ。
 ナミは、この村で特別な家に生まれた。お目付け役なんてものがいるのは、その為だ。一人で村を抜けるのはもちろん、家を出ることにすら、うるさく言われるのだ。そんなだから、本当はナミよりも行動を制約されているゾロを連れて出る事が、許されている。
 昨日も、ゾロがいたから無事に戻れただけで、それを何事もなかったなんて思わないようにと、きつく言われたけれど、ナミと同じ年頃の少女達だって、普通に一人で家を出て村の外に出かけることもあるのだ。ナミだけが駄目だなんて、納得できることではなかった。
 こっそりと部屋の窓から抜け出して、裏手の森に駆け込み、昨日外から来たらしい人を見た場所へ急ぐ。彼らがゾロを追いかけて走ってきていたのならば、きっと今日もあの場所を探しに来るだろうと思ったのだ。昨日はゾロがいたから急いで戻るべきだと思ったけれど、ナミ一人なら気にすることもない。この村では特別かもしれないけれど、きっと彼らから見れば、自分は他の少女達と何も変わらないはずだ。





 昨日少女を見かけた場所まで来て、ルフィは辺りを窺った。ロビンはあの二人を特別な人間ではないかと言っていたけれど、それは特にルフィの中で重要な問題ではなかった。今船には修理が必要で、この島がどこに存在しているのか、正確な情報が知りたいのだ。その為にはちらりとでも見かけた人間を探すしかない。少女の言葉は理解できたし、話ができれば自分達が何を求めているのか伝えて、協力を頼むことができる。その為には、会った場所に戻るのが一番だと思ったのだ。
 辺りを窺っていたルフィの耳に、草を踏み分ける足音が聞こえた。そして、じっとそこでその足音が近づくのを待っていたルフィは、姿を見せた少女に手を挙げて挨拶をした。
「おはよう!」
「…おはよう…」
 ルフィの挨拶に少し驚いたような顔をしながら、少女はそう返し、ルフィの傍へ寄ってきた。
「あんた、外から来たの?」
「おう。海を旅してるんだ。」
 問いかけてくる少女に、ルフィは深く頷いた。
「俺はルフィ。世界中の珍しい物を探す旅をしてる。」
「私はナミ。珍しいものって?」
 ルフィが名乗ると、少女は警戒心を見せながらも、名前を名乗って問いかけた。
「色々だ。今回は人魚を探してたんだけど、嵐が来て、ここに辿り着いた。」
 ルフィは地面に腰を下ろし、ナミはそれをちょっと眺めてから、少し離れた所へ腰を下ろす。
 ナミにとって、こんな風に明るく話をする少年を見るのは初めてのことだった。村では少年達はナミにあまり声を掛けないし、ナミも気軽に話をしてはいけないと、言いつけられている。それもこれも、ナミがあの家に生まれてしまったせいだ。
「人魚なんているの?」
「いたら、その証拠を持って帰るんだ。そうすると、それを買ってくれる奴らがいる。俺達はそういう商売をしてる。」
 その話は、ナミにとってはとても羨ましい事だった。ナミは、この小さな島の小さな村から抜け出すことすら大変なことなのに、この島の外に広がる海を旅している人々がいるなんて、考えたこともなかった。
「それで、人魚はいそうなの?」
「魚人がいるのは確認されてるんだ。人魚だって、いるだろうって、ロビンは言うんだ。」
「ロビンって?」
 まるで初めて会った人間に話をすることなど考えていないようなルフィの話に、ナミはそれでも楽しく感じて問いかける。
「学者なんだ。ナミの事も人間じゃないかもって言ってたけど、ナミは人間だな。」
 ルフィは何の裏も感じさせない笑顔でそう言い、ナミは頷いた。
 ナミは確かに特別な家には生まれたけれど、普通の人間だ。チョッパーのような獣人でもないし、ゾロとも違う。
「あの緑の奴は?」
「ゾロは、化け物なんかじゃないわ。」
 チョッパーが化け物扱いされていたと傷付いた様に言ったことを思い出して、ナミはそう答えた。
「違うのか?」
 驚いたように問い返されて、ナミは自分は失敗をしただろうかと考えた。
 ルフィは村の他の少年達とは違うけれど、昨日見かけただけで、今さっき話をしたばかりだ。昨日はゾロを追いかけていて、今、珍しい物を探していると言ったばかりだ。もしかしてチョッパーが心配していたように、彼を捕まえるかもしれないことを失念していた。
「……あの…」
「別に俺達は、あいつを捕まえようなんて思ってないぞ。ただ、ロビンが緑の生き物は、森を作るんだって言ってたから、そうなのかと思っただけだ。」
 ルフィの言葉にナミは小さく頷いた。ルフィの様子を見ていれば彼から悪い感じはしなくて、何も心配することはないように感じるのも確かだ。
「村でもそう言われているけれど、本当にそうなのかは、私にはわからないわ。」
 ゾロは森の木の事には詳しいし、特別な存在なのだと言われているけれど、どんな風に特別なのかはナミははっきりと聞いたことがない。ただ、ゾロと同じ家に暮らす者達が、この島の森を見つけたのだとは言われている。そして彼らを連れてこの島に来たのが、ナミの祖父の祖父であるとも。
「ふぅん……そうだ!本当は、そんな話をしに来たんじゃないんだ。俺達の船、嵐で少し壊れてるんだ。修理をしたいんだけど、森の木とか切ってもいいか? それと、ここがどこなのか詳しく知りたいんだ。」
 ルフィの申し出を聞いて、ナミは戸惑った。
 そのどちらも、この島では特別な許可が要ることだ。ナミが勝手にそれに答えを返すことはできない。
「それは、村に戻って相談しなくちゃいけないことだわ。森の木を切るのは難しいことだし、この島のことは、あまり外に知られたがらないの。」
 ナミが答えると、ルフィは深く頷いた。
 ルフィも船を預かる船長である。ルフィにとっては船が自分の国で、クルーは国民だ。彼らに被害が及ばないように色々と気をつけることはあるから、漏らしてはいけない情報もある。ナミが答えたことは、当然起きるはずの事態で、だからこそルフィは生い茂る森から木の枝の一本も切り出さなかったのだ。
「ただ、私はあまり外へ出てはいけないことになっているから、答えが出たらゾロを行かせるわ。」
「あの、緑の奴だな。船の場所はわかるのか?」
「多分、大丈夫だと思うわ。」
 ゾロは人の気配をたどって移動することができる。昨日会っているのだから、気配は覚えているはずだ。
「じゃ、待ってるな。」
「明日になると思うけれど、大丈夫かしら?」
「おう。そんなに急ぐ旅じゃなくなったからな。」
 嵐に遭う前は早い者勝ちのこの世界、急げ急げと思っていたが、既に進路は外れてしまって、一日二日の遅れなどもう気にすることもないという気持ちになっていた。
「まだ、話をしていても大丈夫?」
「おう。」
「外の話を聞かせて。」
 そう言うと、ルフィはにかっと明るい笑みを見せて、大きく頷いた。






「収穫は?」
 一番後に戻ってきた船長は、クルー達に問いかけられて、ニカリと笑った。
「ナミに会ったぞ。都合を確認して、明日知らせてくれるって言ってた。」
 誰の事だ、と誰もが思い、そして昨日の少女であろうと当たりをつける。
「人は沢山住んでるのか?」
「そんな感じだったぞ。お前達はどうだったんだ?」
 サンジの用意する食事を待ちながら、ルフィはロビンに顔を向けた。
「ちょっと厄介な事態の様よ。」
「どんなだ?」
 ざっと話を聞いたのか、ウソップもサンジも黙っており、ルフィはロビンに話の先を促した。
「島の反対辺りに船がいるわ。旗印は籠の鳥。」
「見間違いじゃないんだな?」
「そうであれば良いと思ったけれど、間違いじゃないわ。」
 旗印に籠の鳥を描くその船は、ルフィたちと似た目的で海に出ている一団だが、性質は略奪船に近い。
 ルフィたちは伝説の生き物などの形跡や証拠物件を手に入れるが、彼らはそれ自体を持ち帰る。その上、相手は自分達のような文化的な人間ではないと言って憚らず、人であれ物であれ、構わず奪ってくるという話だ。実際に彼らの略奪にあったと言う人々に出会ったこともあるし、彼らが捕らえた獣人族などが見世物になっていることもある。
 確かに、ルフィたちも外の世界へ出かけて、目新しいものを探しているのだから、自分達の立つ世界を中心に考えているのかもしれない。けれど、例え人の言葉を解さない動物相手でも、弁えるべき行動があると思っている。とても彼らの考え方には賛同できるものではなく、近くにいればわざと邪魔をした事だってある。早い者勝ちの世界において、相手の邪魔をすることは卑怯な事ではない。それで恨まれるのはお門違いだが、彼らのやり方に抵抗するのは間違いではない。
「人買いか?」
 人買いと言っても、彼らのすることは人攫いだ。そこで暮らす人々を捕らえて連れ去り、売り払うのだ。
「多分。」
「俺は、獣人の小さいのと緑の子供に会ったんだが、あれはどう見ても人じゃない感じだったし、ちょっとここの住人にも厄介なことになるんじゃないか?」
 獣人族は珍しいし、高値で取引される。人外の生物が人の言葉を解して、人のように動くことが物珍しいからだ。この島にそういう者達がいるのならば、あの船にとっては、格好の猟場となる。
「そう言えば、ナミは人間だったぞ。」
 ルフィは思い出した、とばかりにそう伝え、彼らは眉を顰める。
「例えば本当に普通の人間だったとしても、あの色は珍しいわ。彼らはそんなことに構ったりしないんじゃないかしら。」
 ロビンは言い、その事実は救いにはならないと示す。
「もし警告できるのなら、そうした方が良いけど、向こうが出てきてくれないんじゃ、それも難しいよな。」
 ウソップはそう呟いて、目の前に出されたキノコのソテーに眼をむいた。
「何だよサンジ、手に入った食材ってのはこれか?」
「文句言うなよ。これだって、森が供出するには精一杯だって言われたんだからな。」
 それでも、サンジがそれをウソップに差し出すのは単なる意地悪だ。ウソップの嫌いな食べ物がキノコであることを、サンジはよく知っている。
「明日、木を切ってもいいか、ゾロって奴が知らせに来てくれるんだ。その時に、気をつけるように伝えてもらうことにしたらいい。」
 ルフィは言い、サンジはその名前を聞いて、自分の疑問を話し始める。
「あのさ、今日俺が会った緑の小さい子供もゾロって名前だったんだよ。昨日見た奴もゾロって呼ばれてただろ? 同じ名前の他人が、こんな小さな島の村に、二人もいると思うか?」
 その言葉を聞いて、ロビンがテーブルの端へ置かれた本を指で示した。
「コックさんの話を聞いて気になって調べたの。森を作る緑の生き物の言い伝えは幾つかあって、その中に面白い記述があるわ。」
 食事の最中に本を開くことはできなくて、ロビンはその内容を説明する。
「彼らは人間ではなくて、精神生物のようなもの。解り易く言うと、精霊とかそういうものだと言われているの。ここでもう伝説みたいになってしまって、実在を信じている人は少ないのだけれど、そういうものだから、彼らは姿を自由に変えられるというのよ。」
「それじゃ、昨日見たでかいゾロも、今日俺が見た小さなゾロも、同じものだってこと?」
「そう考えれば説明がつく、ということよ。」
 伝説に理由を求めるのもどうかと思うけれど。とロビンは答え、ルフィはそれに頷いた。
「ナミも、なんかはっきり言いたくないような感じだったから、そういうのもあるかもしれないぞ。」
 不思議生物だな。とルフィは言い、サンジは今日会った少年を思い出して、人間らしい質感があったが、と思う。
「人間に見える姿は、全部擬態だと言うのよ。」
「擬態って、真似するやつだろ?」
 唯一、緑の生き物とやらを見ていないウソップは、一体それはどんな生き物なのかと、興味津々で話を聞いている。
「彼らの場合は、それを見る者に影響されて、形を変えるという話よ。それが本当ならば、昨日の彼はあの女の子の意識を受けてあの姿だったということになるわね。同じ年頃のように見えたし、あの年頃の女の子の意識が作ったとしたら、納得がいくわ。」
「じゃ、今日のは、あのトナカイの意識が作ってるって事か。」
 二人並んで、ゾロの方が少しだけ背が高かった。同行者として、頼りにしている意識が働いているのならば、あのバランスは納得できる。
「そこまで話が揃うと、なんか、本当にそれみたいな感じがするな。」
「じゃ、そいつを狙ってきてるって事か?」
 ウソップが問いかけ、ロビンは首を傾げる。
「確かに不思議な生き物ではあるけれど、精霊や妖精なんてものを、本気で信じて欲しがっている人がいるとして、彼らがそれを本気で探すとも思えないわ。」
「ちょっと珍しい容姿の人間が見つかればいい。ってところか。」
 それが本物かどうかなんて事を、あの略奪者達が考えるはずはないのだ。今回の上陸だって、単なる偶然である可能性もあるが、そこにナミのような変わった容姿を持つものがいたら、彼らは迷わずそれを捕らえるに違いない。そして待っているのは、彼らの旗印のような、檻の中の生活だ。
「俺達の目の前でそんなことをされるのは、不愉快だな。」
 サンジは言い、ゾロのことを思い出す。
 彼は普通の少年のように見えた。考えてみると、少し不思議なことを言ってはいたけれど、言う事も考え方も特別な感じはしなかった。それが捕らえられるなんて、とてもそれには納得できなかった。

 
 


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