彼は目を開けて、そこにある天井が見なれない事に気付いて視線を横へ移動させた。
誰も使っていなかったような、生活感のない真っ白な壁が目に入り、彼は体を起こして反対側へ目を向けた。
「…?」
彼が寝ていたのは、固めのパイプベッドで、がらんとした部屋にある、三つだけの家具の内の一つだった。そして、残り二つの内の一つの家具であるソファには、姿を見るのが三度目になる青年が座ったままで眠っていた。
彼は自分の体を見下ろして、着ているものが自分のもの出ない事に首を傾げ、更に足に手当ての跡がある事に気付き、自分の状況を何とか理解した。
自分が彼に助けられたらしい事と、とりあえず今は無事であるらしい事。彼がどうして自分を助けたのかもわからないし、ここがどこなのかもわからなかったが、ここは安全なような気がした。
目がさめてしまってからもベッドに横になっているのは落ち着かなくて、彼はベッドから下りて窓に近寄った。部屋の中は既に暗かったが、窓の外からの明かりのおかげで、歩けない程暗いわけではなかった。
「………Nエリア…?」
窓の外に見える風景に驚いて、ぽつりと呟いて彼は目をこらして外を見た。
彼の記憶に間違いがなければ、彼が助けられたのはAエリアの一角だった。最初に彼に会ったのは、CAエリアだ。それが一体どうして、こんなところにいるのだろうかと思う。
彼は、2回共買い物の帰りのように荷物を運んでいて、1度目は自力で荷物を運んでいた。常識で考えれば、わざわざ買い物に出かける時に、エリアを越える事は珍しい事だ。生活範囲は同一エリアの中でもブロックが5つも入ればいいと言われている。ここがエリアの端に位置するのならば、隣のエリアに出かける事も珍しくはないが、それにしても不思議だった。
カタリ、と背後で音が立ち、部屋に電気が灯ったことに驚いて、彼はくるりと振り返ってそちらを見た。
「お目覚めかね。」
そう声をかけて入ってきた禿頭の人物は、ソファに目をやって大仰にため息をついた。
「見ていると言っておいて、これではどうしようもないな。」
そう言って彼は、手に持っていたトレイをテーブルへ下ろし、ソファの青年の額を一つ小突いた。
「っ!」
ばっと目を開けた彼は、慌てたように頭を振って周りに視線を飛ばし、すぐ目の前に立つ人物と、窓際に立つ人物が自分をじっと見ている事に気付いて天を仰いだ。
「お前が寝ててどうするんだよ。」
「すまねぇ……」
力なく呟いてから、窓際の彼に目を向けて、その様子が随分落ち着いている事にほっと息をつく。
「腹が減っているだろう?君もここへ来て食べたまえ。」
そう言って、彼を手招き、自分もあいた椅子に腰を下ろし、彼はお茶をカップに注ぎはじめる。
「君の名前は?我が輩はグレート・ブリテン。こっちはジェット・リンクだ。」
「アルベルト・ハインリヒ。」
返った名前は、フランソワーズの調べたものと同じで、彼が自分の身元を偽らねばならないような人間ではない事に、ジェットは腹の中でほっと息をついた。
「追われている理由に心当たりは?」
「………」
黙り込んだ彼は、それを話すべきなのかどうなのかを迷っているようで、グレートは軽く息を吐いて笑みを浮かべる。
「まぁ、人間生きている間に色々なしがらみを背負うもんだ。とりあえず、食事をして落ち着きたまえ。」
「……すまない…」
軽くしがらみと言ってしまっていいような事情ではないのだろうが、彼はその言葉におとなしく従い、テーブルまでやってくるとあいた椅子に腰を下ろした。
「中華は好きかね?ここの夕食はまず間違いなく中華だが。」
「あまり食べた事はないが、嫌いなものではなかったと思う。」
正直な感想にジェットは笑みを浮かべてソファから立ち上がった。
確かに彼は銃で撃たれるような理由持ちの逃亡者かもしれないが、彼自身は嫌な人間ではないようだ。助けてもらった割には礼もないし、愛想もないが、誠実さのない嘘つきよりもずっとましだろうと思う。
「不味いなんて言ったら、へそ曲げて二度と飯を作ってくれないような奴だから、気をつけた方がいいぜ。」
「………俺は」
「朝になったら出ていくって案は却下だ。逃げ回って見逃してくれる相手じゃないなら、きちんとカタつけた方がいいだろう。」
言いかけた言葉を先手を打って却下すると、彼は戸惑うようにジェットを見返し、首を振る。
「きっと迷惑をかけるから、世話になるわけにはいかない。」
「そうは言っても今さらなんだよね。俺はあんた連れてくの見られてるし。」
「でも。」
「まぁ、そういうわけで、しばらくここで身を隠していればいい。逃げるにしても、怪我も治ってからの方がいいだろう?」
そう言ってカップを差し出したグレートの言葉に、彼は迷いながらも頷き、ジェットはその態度の違いに少しだけ腹を立てた。もちろん、それを口に出したり態度に出すことはなかったが。