ハインリヒは息を詰め、テレビに写し出される映像を見ていた。それは、1週間前に起きた、Dエリアのウルムビルの爆破事件の映像だった。
爆破に依る犠牲者は死者10名を含んだ30人を越えると報道されている。犯行声明は数件上がっているが、実際にどの団体が起こした事件なのかは解明されていない。ただ、使われた時限装置の構造と、火薬の成分などから、Dエリアを中心に起きている事件との関連性があると伝えられている。
『同型の時限装置が使われるようになったのは、ここ数年の事ですが、10年程前から、確実性の高い時限装置が使われるようになっており、同一人物により作られた物ではないかという見方がされています。』
解説者の説明に顔を歪め、祈るように手を組み俯く。
『今回は、ビルの3箇所に設置されていた内の二つの除去作業中に、残る一つが爆発しています。この一つは、ラウンジのテーブルに置かれていたようで、被害の中心であるその周辺の席に座っていた客達が、被害にあっています。』
『置かれていたようだ。というのは?』
『従業員が、席に残っていた荷物を持ち上げた時に、爆発したという証言がありまして、その荷物が爆発物だった様です。その席に座っていた人物が犯人の仲間と見て、調べが進められている様です。』
画面の中で繰り広げられる説明が、耳に突き刺さるよう感じて、目を閉じる。
「ハインリヒ、どうかした?」
後ろからかかった声に驚いて振り返ると、車のキーを指にかけたジェットが不思議そうな顔で立っていた。
「あ…」
「それ、この間の事件だよね。」
そう言ってジェットはソファまで歩いてくる。
「気掛かりなことでもある?」
「……ひどい話だと思って…」
「テロリストだか爆弾魔だか知らないけど、他人の命を勝手に縮めるなんて最低だ。何考えてるんだか気が知れないぜ。」
ジェットはそう言ってハインリヒを見遣り、その表情が苦しそうに歪んでいることに気付いた。
「………大丈夫か?具合悪いなら、寝てた方がいいよ。」
「そうじゃない。大丈夫だ。」
首を横に振ってそう返し、ハインリヒはぼんやりと以前に聞いた言葉を思い出した。
『皆が心を一つに。なんて言わないけれど、できれば仲良くしたいわよね。テロなんて、絶対にいけないことだわ。だって、命は大事なものなのよ。それを奪うなんて、最低の行動よ。』
彼女も、テレビに映る惨事を見ながら、そう言って表情を暗くしていた。それに黙って頷くことしかできなかった自分を、彼女は不思議そうに見上げていた。
「………ハインリヒ?」
「最低だな……」
誰が、何が。そんなのは、決まっている。
「被害者の中に、知り合いでもいた?」
あまりに様子のおかしいことに戸惑って、ジェットはそっと問いかけた。
フランソワーズが調べている内容を、まだジェットは聞かされていない。それでも、こんな様子を見ていれば、なんらかの関わりがありそうだとはわかる。
「ああ。」
大切な人で、守ろうと思っていた。彼女だけはと、本当にそう思っていたのだ。それなのに、彼女はもう自分に笑いかけてもくれないし、声も聞けない。
「………大丈夫か?」
自業自得だと言うのなら、自分に降り掛かってくるべきだったはずだ。それなのにどうして、彼女に災いが降り掛からなくてはいけなかったのだろう。
本当に、守ろうと思っていたのだ。せめて、彼女だけはと。何をしても、誰を犠牲にしても、見た事のない誰かよりも、傍にいる彼女の方が大切だった。
でも、それは間違いだった。今になって気付いても、もう遅い。少なくとも彼女は、それを喜ばなかったという事。
「…上で休んでる。」
疲れたようにそう言って立ち上がったハインリヒを見送って、ジェットは小さく息をついた。彼をここへ置いているのは、一人で悩ませているためではなくて、誰かに頼ってほしかったからなのだけれど、彼は未だに、自分の事を一言も話そうとはしない。確かに、つい先日町ですれ違っただけの人間だけれど、どんなことでもいいから、聞かせてくれればいいのにと、ジェットは本気で思っていた。
その夜の夕食の席に、ハインリヒが姿を見せない事に気付いて、部屋へ様子を見に行ったジェットは、そこに誰もいない事を確認し、慌てて階段を駆け下りた。
「ハインリヒがいないんだけど。」
誰かと出かけたのかと顔ぶれを確認しても、足りない顔はなかった。ならば、それは彼が一人でここを出ていったと言うことだ。もしかしたら、あの時に出ていく気でいたのかと思うと、悔やまれてならない。
「探してくる。」
出ていってしまったら、帰ってくる保証なんてない。ジェットには、それがどうにも我慢ならなかった。
「僕も行くよ。」
ジェットの様子につられるようにピュンマがそう言って立ち上がった時、部屋の電話が音を立てた。
脇に立っていたフランソワーズが受話器をあげ、出ていこうとしていた二人を手招いてそれを止めると、一言二言言葉を交わし、受話器を置いた。
「何?」
「ギルモア警部さんから。彼が来てるって。」
「………何で?」
問いかけながら、ジェットはその答えが、自分の想像とは違わないのだろうと思った。
「ウルムビルの事件の事で、証言がとれたって。」
フランソワーズの声は、固く暗く沈んでいた。
彼が、結局誰にも頼ろうとしなかった事が、その場にいた誰もに、重くのしかかっているようだと、ジェットはぼんやりと彼のために用意された席を眺めて思った。
子どもの頃、自分はどうしてこんなに通う学校を転々としているのかと、自己紹介で名前を名乗る度に思っていた。最初の頃は、あまり気にしていなかったけれど、前にいた学校はどこなのかと聞かれる度に、それが普通の事ではないのだと気付いて、家に帰っては母に前の家へ帰ろうとせがんだ。母はその度に、どの家へ帰るのかと聞き返し、子どもがそれに返す言葉を持たない事を見て、悲しそうに笑って頭を撫でてくれた。
自分が産まれた家には、もう別の人が住んでいる事を俺は知っていたし、そこが本当に自分が産まれた家なのかどうかも、知りはしないのだけれど。
そんな風に、父に手を引かれて家を移り住むのを繰り返している間に、嫌だと駄々をこねて泣くのも無駄だとわかってきて、10になって進学先をきめる時も、もう学校へは行かせてもらえないんだろうとわかっていたから、おとなしく父の言葉に頷いた。本当は、学校に通いたかったのだけれど、駄目だと言われるのも嫌だった。
それ以前から、父はうちへ来る客に、俺が会うことを嫌っていた。学校から真直ぐ帰らない事も嫌っていたし、友だちと遊びに出る事もあまり好まなかった。それが何故なのか、父は答えをくれる事がなく、俺はただ嫌っているのだという事だけ理解して、黙ってそれを諦めた。
特に父が嫌ったのは、来る度に何かを持ってきてくれる人で、せっかくもらった本をとりあげられたり、頭を撫でてくれた手から引き離されたりすれば、それは子どもにだってわかることだった。
ただ、少しものがわかるようになると、父は怒っているというよりも怯えているのだとわかり、そんな父を見るのが嫌で、客の姿を見かけると、部屋にこもるようになった。その客たちのもつ雰囲気が、あまり楽し気なものでない事にも気付くようになったのも、その理由の一つだったと思う。
今思えば、それでは既に遅かったのだろう。彼らは、俺がいることを知って、その俺が何を学ぶかもわかっていたのだ。子どもが親元を離れていることを嫌った父から仕事を教わる以外、俺が生きていく方法なんてなかったのだから。いっそ、自分の手元から離してしまえば、それで事は済んだのではないかと、時々思うことがある。それでも、遠くへやってしまえば、その無事を確認する事はできないから、傍に置いておくしかなかったのだろうけれど。
その反面で、母も俺の手を引いて実家へ足を運ぶことが多かった。父はそれを知らなかったと思う。母は、父が仕事で不在の時を狙って、俺の手を引いて実家へ足を運んでいたからだ。そして、俺はそれを父には言わないようにと、言われていた。
まさか、全く気付いていないと言うことはなかったと思うが、それでも父は、何も言わなかった。多分、それが必要だったからだ。母が実家に帰った後は、生活が楽になる。子どもにもわかるほどに、それはあまりに明らかで、それに気付いていないのだとしたら、父は相当の馬鹿だったろうと思う。
一つ処に落ち着いて生活せず、仕事もさほど多くない父は、たった3人の家族すら、まともに食わせていくことができない人間だったという事だ。そして母には、その生活をどうにかできるだけの金を持った身内がいたという事。
そんな事があったからといって、父を嫌った事はなかった。むしろ今は、父を尊敬できる人間だと思う。誇りに出来るかと言われれば、それは難しいのだが。
戦うことが出来ないから、逃げる。父はそれを選び、俺は従うことを選んだ。
どちらが正しいかといえば、間違いなく、父の方が正しかった。
それでも俺は、他に何を選べるのかすら知らなかった。
父が死んだのは、仕事から帰る途中の事だったそうだ。飲酒運転で人をひいたのだとかで、それを悲しんでいる間もなく、保険だの保障だのとかで、元からなかった金を根こそぎ持っていかれるような大騒ぎだったのを記憶している。
母は動転して役に立たず、俺はそう言った事には全く詳しくなくて、二人で言われるままにサインをして金を払って、父の葬儀をやっとの事で終わらせれば、その指示をくれていた人間は、名前を初めて聞く、父が嫌っていた人間の一人だった事に気付いた。
「では、我々との契約を果たしてもらおうか。」
彼はそんな風に切り出したはずだ。何の話かと首をかしげる母に席を外すように言い、彼は俺と向き合って父が逃げ回るようにして生活していた理由を話してくれた。
「大丈夫、君がお父さんから仕事を教えられている事は知っている。君にだってできるはずだ。」
酷く優しい声音で彼はそう言ったけれど、それは親切心から来るものではなかった。生憎、その時の俺はまだそんなものもわからない程度のガキだったのだ。付き合いのある人間が、家族だけ。なんてものでは、それも仕方のない事だったのではないかと思う。
彼が父の葬儀や後始末で金を肩代わりしてくれていた事もあって、俺はその提案に頷くしかないと思った。
それが、俺が彼等の為に働くようになった切っ掛けだ。一度協力すれば、後はもう断わることもできず、その内に、父の事故すら彼等の謀だったのだと教えられて、俺は唯々諾々としてそれに従った。彼等が次に持ち出したのが、母の無事の保障だったのだ。
父が俺と母の命の無事を盾に取られるのを怖れて逃げ回っていたのだと気付いたのは、その時だ。だが、俺は逃げるよりも、おとなしく従う事を選んだ。付き合いのない他人なんてものは、母の命と比べられるものではないと思う程、俺は他人との付き合いというものを知らなかったから。
彼等が最初に俺に用意させたのは、幾つかのダイナマイトだった。父が死んでからは、俺は父の知り合いの会社へ就職する事ができていたから、頻繁でなければ仕事柄それを用意する事はわりと容易だった。
そのうちに、彼等は新しい時限装置を作りたいのだと持ちかけてきた。父からそんなものを教わった事などなかったのだが、彼等の使っていた物を見た時、ふいに頭に浮かんでくる物があった。
どこで手に入れた知識だか知らないが、俺はそちらに勘が働く人間だったという事になるのだろう。幾つかの提案をしてからは、そちらの依頼がまわされてくるようになった。
そして、それが使われた事件を知らせる電話と、母の行動を見張っているのだと告げる電話は、途切れる事はなかった。
ハインリヒさんは、こういう犯罪者でした。というお話。
次でヒルダさん出てきて終わり。となります。思いのほか、微妙な話になってしまっておりますが、書き始めた時は、これでいけると思ったんですけど、世間の流れを見ていたら、もうこんな話書いてる場合じゃないかも。と思いました。
救済の家というシリーズなので、救済されるべき人が出てくるわけで、不幸なまま終わったりはしませんので、その辺は御安心を。