次の日、仕事場から帰って来たハインリヒは、食事の後すぐに部屋へ戻り、暫くしてから図面を持っておりて来た。
「とりあえず、覚えてきた部分だけ。」
自社の仕事ならば未だしも、他社の請け負う仕事の設計図面は、なかなか手に入らない。ハインリヒは、作業依頼に示されたそれを部分的に覚えて帰ってきて、それを図面にして見せてくれたのだ。
「今の様子を見ると、工事の依頼が入ったのは2、3年前かもしれない。随分のんびりした現場だし、ここ数カ月は特にゆっくり仕事が進んでいるようだから。」
普通、期限に合わせて仕事を進めるのだが、天候などの様々な理由から、作業の進行はずれていく事になる。コロニー内の天気は完全管理なのだが、時折予報外の天候が設定される事があるのだ。
「期限前に終わりそうだから、作業を遅くしたら、突然期限を切り上げられたってこと?」
「作業員に聞いたら、一度期限が延期されて、それでまたそれが元に戻ったとか。」
「……どうして?」
「下っ端はそこまで知らない。」
目の前にある仕事を完璧にこなして、仕事を成功させる事。作業員に必要な事はそれで、依頼主の事情なんてものは、あまり重要視はされないのだ。そういう事を気にするのは現場監督だとか、社長だったりする。その理由が作業員に伝えられる事もあるが、あまり気分のいい話でなければ、黙っておかれるのが普通だ。
「知ってる人に聞いてきてくれなくちゃ。」
フランソワーズはそう言って、自分の調べた情報とその設計図がきちんと一致するのかを調べる。
「手伝いの下っ端が、現場監督にそんな話聞きに行けるか。」
「休憩の時に、それとなく聞くとか、なんかあるでしょ?」
「………それとなく、な。」
面倒だ。と満面で主張して、ハインリヒは頷いた。
「あ、ここ違うよ。」
フランソワーズの手伝いをしていたジョーがそう言って、図面の一部を指差す。
「壁の厚さが薄いよ。」
「ハインリヒ、こっちはきちんと合ってるの?」
「作業が終わってる場所なら、合ってるはずだ。」
ビル発破というのは、細かく注意を払って行われる。壁に仕掛ける火薬一つにしても、必要以上の爆風を出さない事、破片が適度な大きさになる事を計算して決定するのだ。そうでなくては、コロニーのような建築物の密集地帯では、隣だけでなく、広範囲に被害が及びかねない。特に建造物がなかったとしても、余分な火薬等を仕掛けても無駄な事をしているだけで、作業が遅延する事にもなりかねない。その為に、建物の構造は徹底的に調べ直される。
更に、このコロニーの建設自体が、突貫工事的に作られた部分も持つらしく、その中の建物など、どれほどの事が行われているか…、という事が、老朽化してきた建物を取り壊す際に発覚してしまったのだ。
解体業者もそれを告発するべきなのかどうかと迷っている間に、その話はマスコミに取り上げられ、コロニー建設当時に作られた建物は、最近になって取り壊しされる事が多くなっている。
「このマンションは、使ってるコンクリートの種類が違うとかで、取り壊し決定になったのよね?」
「それは、別に大した問題じゃないと思うんだが、何故だか、そういう事になってる。」
ハインリヒは言って、フランソワーズの調べたその話を打ち出した紙を手に取った。
「コンクリートって、そんなに違うもの?」
「種類が違えば強度は変わるんだが、変えてあるコンクリートでも強度は殆ど違わない。」
ハインリヒの説明に首を傾げたジェットは、彼が図面と一緒に持ってきた本を見せられた。
「コンクリートの強度を示した表なんだが、これとこれ。」
ハインリヒは本のページの中の二つの表を指で示し、彼等はそれを覗き込んだ。
「ああ。あんまり変わらないな。」
「そう。変わらないんだが、この二つは値段が随分違う。」
それがどうしてだかは知らないぞ。とハインリヒは付け足し、フランソワーズは端末を使ってその値段を調べる。
「水増し請求で、差額は懐へ?」
「多分、そういう事だろうな。」
そこで強度を下げなかった事は好意的だと、ハインリヒは思う。世の中、悪徳業者というのはいるもので、金はふんだくる上に出来が悪い。なんて事だってないわけではない。彼等の業界でも、そういうのはいるという話だ。
「鉄骨が細いとか、そういう話も聞かないし、俺は、あまり解体する必要性は感じないけどな。今日見たところでは、それほど痛んでいる感じでもなかったし。」
ハインリヒのその言葉を聞いて、ジェットがポン、と手を打った。
「地下に何か埋まってるとか、そういうのは?」
その言葉に、彼等は一斉にジェットを見つめ、それから小さくため息をついた。
「なんだよ。そういうのだってあるかもしれないだろう?」
「コロニーを作ってる土台の上に建物建ってるってわかってる?」
掘っても出てくる土はどこかから運び込まれたものなのだ。コロニーは、天井を覆っているだけのものではない。
「あ、でも、コロニーの地下って、覆ってないんじゃないかって噂もあったよね。」
ピュンマがそう言って、フランソワーズは首を傾げた。
「そんな噂あったかしら?」
「ずっと前だけど、うちの教授がそんな事を話してた事があるよ。コロニーが地面に接地してるのは、実は外壁しか作れなかったせいじゃないかって説を持ち出した人がいるって。」
確かに言われてみれば、彼等はそれを確かめた事などないから、そんな仮説だって、『何を馬鹿な』と笑って切り捨てる事もできない。どちらかと言えば、『それも有りか』と思う者の方が多いだろう。
「普通は地面を掘るような工事はしないから、確かめようもないよな。」
「庭の土なんて、入れたものだと思っているしね。」
でも、別にそれでも構わないのだ。ここで暮らしている間は。ただ、ここが実験施設でもある事を考えると、それではあまり意味がない。外界と隔絶している事が、絶対条件だからだ。
「ごめん。なんか、ちょっと話が逸れたみたいだ。」
苦笑を浮かべてピュンマが言い、彼等は揃って頷いた。
「話を戻しましょう。特に、不正を隠そうという狙いはないようだ。って事でいいわね。」
「入居者が減ってたってこともなかったらしくて、その辺は金を出して立ち退いてもらったらしい。」
「金欲しさに。ってのも、違うってことか。」
金が欲しいと言う理由ならば、なにも金を出してまで立ち退きをさせると言うのもおかしい。
「次に建つものが何か特別だとか?」
ジョーがフランソワーズに向けてそう問い掛け、彼女は少し驚いたように瞬きし、端末に向き直った。
「それは、いい意見だね。」
ピュンマは感心するようにそう言い、ジョーはその反応に少し照れたように笑った。
「あんたは、知らない?」
ジェットはハインリヒに向けて問い掛け、彼は首を横に振った。
「うちの仕事は解体で、建設まではフォローしないからな。」
「あの辺りは、研究施設を集めるって話があるのは聞いた事があるよ。」
ピュンマは教育機関に勤めるだけあってか、その辺りの情報はきちんと拾ってきている。その言葉にフランソワーズも頷いてキーボードを叩き、ハインリヒは地図を開いた。
「だが、この辺りは住宅街だろう?」
「一番古いから、取り壊しの対象だろう?それで、随分広い土地が開く予定だって話だったよ。」
それを聞いて、ジェットが地図を覗き込み、ハインリヒは今回の解体の予定地をペンで囲んで印をつけ、他にも解体された部分を塗りつぶした。
「でも、それじゃぁ、コロニー内を世界の縮小図にするって計画は意味がなくなるな。」
今回の解体は、Rエリアで行なわれる。その近辺が取り壊し予定のある大半の部分で、エリアを三つ程跨ぐ程度だ。
「その話だけれど、コロニーは実験施設なのだから、それを外にあわせる必要はないんじゃないか。って話は、ずっと前からあるのよ。」
「……外も、統一国家にしようとか言うあの話?」
フランソワーズの言葉を聞いて、ジェットが少し顔を歪めてそう問い掛けた。
「何の話だ?」
ハインリヒはそれが初耳だったらしく、首を傾げて問い掛けた。
「争いを無くす為に、国家を一つにして、安定を図ろうって話。ここに入る前に少しだけ聞いた事があるんだ。」
ジェットが言い、フランソワーズは軽くそれに頷いた。
「だけど、提案してるのが、所謂、大国なのね。だから、反対した国が多くて、そんな提案もなかったような事になってしまったんだけど、でも、それを捨て切れない人もいるでしょうね。」
「……それって、争いを無くす事になるのかな?」
ジョーは不思議そうに首を傾げ、ジェットとハインリヒは揃って馬鹿にするように笑い、ジョーはその様子に首を竦めた。それを見たピュンマが笑って、君を笑ったわけじゃないと、フォローを入れる。
「それぞれ、主義主張を持ったテロリストだっているんだ。枠がでかくなった程度で様子が変わるかよ。」
「国と国が争わなくなったからって、国の中で争いがなくなるって事じゃないんだぜ?広くすりゃイイってもんじゃねぇし、大体、それまで育ってきた世界も違うのに、突然、人類皆兄弟!とか叫ばれて、初めて会った人間に、『おお、兄弟よ!』とか言えるか?」
ハインリヒとジェットのその言葉を聞いて、ジョーは小さく頷いた。
この家の中に暮らしている人々が、生まれも育ちも違うところから集まっているから、そういう事が世界中で可能になったら、それは素晴らしいな。と、軽く考えただけだったのだが、確かに二人の言い分も尤もで、反論ができない。
「大体さ、仲悪くて戦争してる国と国を、国家統一しましょう!とか提案しただけで、一緒にできるわけねぇだろう。それをどうしても一緒にしたかったら、それより強い国が、ガツン!ってぶん殴って自分の傘下に入れちまうって事になるわけだ。それが世界中で起きたら、国家統一より先に世界戦争だぜ。」
ジェットのその言葉には、そこにいた全員が驚いて彼を見つめ、注目を浴びたジェットは、ぱちくりと瞬きをして彼等を眺めた。
「…なんだよ…」
「………随分、真っ当な事を言うな、と思ってな……」
他の誰も口に出せない事をハインリヒは口にし、ジェットはそれに何と答えていいのかわからず黙り込んだ。多分、物凄く馬鹿にされているのだろうとはわかるのだが、ここで叫んでも、自分が更に馬鹿みたいだと思うし、かと言って、お礼を言うのも、更なる馬鹿な行動のように思う。
「……俺だって、色々考える事はあるんだからさ………」
それでも、何か言わなくては、と思ってジェットは力なくそう言い、彼等がしみじみと頷くのを眺めて小さくため息をついた。
「それで、わかったのかい?」
ふと気付いたようにピュンマが問い掛け、フランソワーズははっとして気を取り直すと、首を横に振った。
「ここじゃ無理ね。下で調べてくるわ。今日の会議は、これでお開きにしましょう。」
フランソワーズの提案に彼等は頷き、ソファを立ち上がった。
「ハインリヒ、明日もきちんと情報集めてきてね。」
「……了解。」
面倒だ。という表情を浮かべつつも、彼はそう答えて頷いた。
なんだか、お話の展開が、予想のつかない方向へ転がりはじめていたりするので驚く。赤ん坊の事も、ジョーの事も、ビルの解体の事も、どう収集つけるつもりなのか…
とりあえず、書きためてあった分を無駄にするのはよそうという事でアップしてみたり。
「砕破」の時のような、無理矢理なオチにはしたくないが、どうしてだか、どの話も間が開くと無理にオチをつけられる傾向がある事に気付く。
やはり、この世界にも国家間戦争は存在するらしい。私、それがない世界はないと思ってます。なくなればいいとは思うけれど、本当になくなるというのは、とても難しい事だと思います。(2003.1.13)