夢幻



「外に行って来る。」
 後ろから声をかけると、自分よりも背の低い背中がびくりと震えた。
「……ああ。」
 いつの間にやら立場が逆転。という状況ならば、ここまで様子が変わる事はなかったと思うのだが、思い切って攻勢に出てしまったせいで、これまで命令しかした事のなかった人間が、態度を正反対に切り替えている。
 これはこれで、楽しくないものだな。と、そんな事を考える。命令されるのが楽しくないのは当然なのだが、顔色を伺っていられるのも、それはそれで気が滅入る。別に、これと仲良く過ごそうなんて思わないけれど、人間関係を学ぶ事だってできない。
「あんた、どうして外に出ない?」
 ブラックゴーストの生き残り。という立場から、自分を作り上げた事で、彼は組織の中へ再度組み込まれたらしい。住む場所も変わって、味気ない建物の一画を与えられているが、彼がその場所から外へ出ない事を、彼は知っていた。
「他の人間の事など、私には関係がない。」
 負け惜しみのようだ。と感想を持って、彼はその部屋を後にした。
 誰かの上に立ちたいから自分を作っていた人間が、今更他の誰も気にしないなどとは、あまりに見え透いた嘘で笑いそうになる。笑ってやったら、彼はきっと、怯えたような顔でこちらを見るのだろうと思うと、それも鬱陶しい。
「ノイさん、出かけるんですか?」
 廊下をぶらぶら歩いていると、ふいに横の扉から出て来た人物に声を掛けられ、彼は足を止めてそちらを見遣った。
「ああ。ここにいてもつまらないし。」
 街から離れている上に、どことなく陰気だ。
 彼は、この場所をそう思って見ていた。これまでいた街や、先日初めて訪れた街を思い出しても、こんな気詰まりしそうな空気は感じなかった。だからこれはきっと、ここの持つ空気の特徴で、ここにいる限りは妥協しなくてはいけない事だ。
「そうですか……」
「お前は?」
「俺は、仕事をしないといけないんで。」
 彼はそう言ってから、ふと思い出したように顔をあげた。
「ノイさんって、ゼロゼロナンバーサイボーグの改良型なんですよね?」
 サイボーグ風情に敬称らしきものをつける彼は、それでいて自分を物扱いするような発言をする不思議な人間だと、彼は目の前の研究者を判断していた。そして、今日も今日とて、彼は自分を物として見る。
「ああ。」
「死神でしょう?俺、昨日、資料を見たんですよ。凄いですね。あれ。あんなのよく設計したなぁって、思います。」
 この人間も、あの科学者も、結局のところ、自分はまともな人間だと思って、自分達を見下しているのではないだろうかと、そんな事を思う。でもきっと、彼に向けて右手を構えてやれば、彼は色を失って失言を詫びるのだろう。ただの人間である彼は、サイボーグである自分には勝てやしないから。
 そう考える自分も結局、彼等を『ただの』人間だと思って、彼等を見下しているという事だ。互いに、自分は相手よりもまともだと思っているのだとしたら、なんて滑稽な話だろう。
 笑いが込み上げてきそうな状況の中、ふと一人の名前が浮かんだ。
 彼は、自分をどう見るのだろう。同じサイボーグで、それでも自分は彼の改良型だ。わざわざこうなる為に作り上げられたクローンである事を知ったら、彼はどう反応をするのだろう。
 確かめてみたいと思った。彼は、自分を対等のものとして認識してくれるだろうかと。
 
 
 
 
 
「ちょっと、あんた!」
 ふいに呼び掛けられて足を止めると、先日物をくれた女性が立っていた。
「この間やったあれ、どうした?」
「……食べたけど……あれ、まだあるのか?」
 そう言えば、手土産を持って出かけるのは人間関係を円滑にするのに役立つとか、本で読んだ記憶がある。
「あるよ。買うのかい?」
「………買う。」
 どこか少しぎこちない対応をする女性にそう答えると、彼女は一瞬で態度を変えて満面で笑い、店の奥に置かれていたそれを取ってきた。
 持ってる分で間に合えばいいが、と心配になりつつ、忘れずに持ってきた金をコートのポケットから取り出す。
「これで足りるか?」
 買い物なんてした事がないから、それがどれほどの価値のあるもので、自分の持っている金がどれほどの価値があるのかもわからない。この金だって、研究員から巻き上げたもので、これが通用するのかどうかもわからないのだが。
「そんなにいらないよ。」
 彼女はそう言って、手にしていた数枚の紙幣の中から1枚を手に取り、ポケットの中から硬貨を取り出して返してくれた。
「ありがとね。」
 紙袋を差し出して、彼女は機嫌よくそう言った。
 それに何と返していいかわからずに小さく頷いて背中を向ける。
 これを渡したら、彼も彼女のように笑ってくれるだろうか。それとも、いらないと突き返されるだろうか。でも、今度はちゃんと我慢しよう。そう考えて、紙袋を大事に抱える。
 彼に自分を知らせたいだけだから。
 
 
 
 
 
 彼の暮らしているアパートは、周りの建物に比べて、幾らか古いと感じるものだった。と言うより、この辺りのアパートが他の区画と比べて古いのだ。街の中央辺りは建設ラッシュで、新しいビルが沢山建ち並んでいるが、そこから離れていくと、少しずつ様子が違ってくる。
「………」
 2度目の訪問となる家の前で、暫く動きを止める。
 彼がもし殴り掛かってきたとしても、応戦はしない事。でも、避けるくらいはしよう。作り物なのに、変にこだわりを見せる人々が作ったこの体は、痛覚がきちんと存在するから。
 そう考えてから、彼も痛かっただろうかと、少し自分の行動を反省した。
 そして、思い切ってドアチャイムを鳴らした。
 部屋の奥で足音が聞こえる。この間はなかった音だから、彼が家の中にいる証拠だ。あれは、今別の国にいるから、ここにはいないはず。
 ガチャン、と鍵の開く音がして、ドアが開けられた。
「ぁ……」
 小さく声が漏れて、そのまま表情を険しくした彼を見て、何と言っていいのかわからなくなった。そして下ろした視線の先に、今さっき買ってきた袋を見つけ、それを差し出した。
 彼は、反射的にそれを受け取ってから、どうすればいいのかわからないような顔をしてその袋の中を眺めている。
「……返したからな。」
 何となく、歓迎されてないのはわかって、それだけ言って背中を向ける。あまりあの顔を見ていると、自制心を失って殴り掛かりそうな気がする。
「あがって行かないか。」
 早く帰ってしまおう。と決意したところに掛かった声は、あまりに予想外で、反射的に足を止めて振り返ってしまった。そして、更に驚いた顔をしている彼の顔を見つけた。
「……こんなに貰っても、悪くするから。」
 お互いに驚いて動きを止めていたところ、彼が何とか口を開いた。彼は、困っているような、怒っているような、なんとも言い難い表情をしていて、声を掛けたものの、本気じゃないんじゃないかと、そんな風にも思えた。
「いいのか?」
 駄目なら駄目と、きちんと言ってくれていいのだからと、確認すれば、彼は一歩退いて玄関の入り口を開けてくれた。
「どうぞ。」
 少し、声の響きが優しくなったような気がして、嬉しくなってそこへ足を進めた。彼がどうして自分を招いてくれるのかはわからないけれど、彼が自分から招いてくれたのは嬉しい。
 先日は、あまり眺められなかったその家の中を眺めていると、後ろから声が掛かった。
「名前とか、あるのか?」
 その問いは、ちょっと予想外だった。名前を聞くと言う事は、きちんとこちらを認識してくれると言う事で、それを覚えようとしてくれている事だと思う。
 だけど、自分の呼び名を名乗るのは、彼にとって、幾らか失礼なのだ。せっかく中へ入れてくれたのに、怒って追い出されたらどうしようか、と思いつつ、彼の問いに答えないのも失礼だと思う。
「………ノイ。」
 答えて彼の顔を見ていると、暫くその意味を考えて、苦笑を浮かべて自分を指差した。
「アルト?」
 まさか、そこまで言うとは思わなくて、驚いていると、彼は更に言葉を続けた。
「番号よりは、まだマシか。」
 あの科学者が自分をそう呼んでいたのは、彼より後に作られて、新しいものだから。自分がそう呼ばれているのならば、前に作られた彼は、古いもの。
 彼にとっては、失礼きわまりない事だと思う。
「……すまない…」
 謝っても仕方ないし、それ以外に自分を表わす名前を知らないから、他の名前も名乗れないのだけれど、でも、どうしようもなく、申し訳なく思ってしまう。
「お前が気にする事じゃないだろう。」
 笑う声が、さっきまでの苦味を含んでいなかった事が、安心した。彼も、番号で呼ばれていたから、何か思うところがあるのかもしれない。
「アルト、それは、なんて言う物?」
 問いかけると、彼は困ったように笑って、それでも怒ったりはしなかった。
 彼は、こちらをきちんと認めてくれたのだと思えて、なんだかとても嬉しかった。やっぱり、彼は他の誰とも違う。ここにいるのが、自分にとって一番いい事なんじゃないかと思った。
 彼の穏やかな声で答えが返り、質問が重ねられるのに素直に答える。彼に嘘をつく気なんてなかったし、嘘をついても意味のないような質問だった。
 奥の部屋のテーブルの脇の窓に、小さなサボテンが置いてあるのに気付いた。トゲトゲしているところは、少し彼に似ていると思う。周りに誰も寄せつけたくないように、絶えず威嚇しているようだ。
「これは、花が咲くの?」
 問いかけると、彼はそれまでとはどこか違う笑みを浮かべて頷いた。
「咲くらしいな。」
 ああ、あれの物だ。と、何故だかわかった。いないのに、存在を主張する。彼の中に存在しているもの。
 胸の中がチリチリする。あれは、やっぱり好きじゃない。できるなら、あれを消してしまいたいと思った。




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偽者の視点より。3を語る。
ノイの名前の意味。アルトと呼ばれる理由。お互い、なんとなく納得してる様子。
ノイさん、箱入りなので、あまり外の世界の事に詳しくありません。傍にいた人、科学者一人だけなので、人間関係も未だ微妙に理解及ばず。でも、カツアゲはできるらしい。
そんなもんだ。

(2002.9.6)


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