「何変な顔してんの?」
侘助はそう問い掛けてきた理香に、ふん、と鼻で笑って返す。
「別に、なんでもねぇよ」
夏休みに入って、祖母の誕生日に合わせて帰ってくると、既に理一は帰省していた。
見事に日焼けした肌と、三カ月前に別れた時よりもしっかりとした体つきは、元から差があった体格に更に差をつけ、これが生活の差なのかと、侘助を愕然とさせた。
その上、高校時代よりも更に時間にきっちりした生活を送っているらしく、朝は六時半に起きて、裏山を走りに行っていると言うから、尚驚いた。
「なんでもないって顔じゃないわよ」
理香は不機嫌を隠しもしない侘助に笑い、侘助は笑われたことに更に不機嫌になる。
視線の先では、理一が、祖母の誕生日に合わせてやって来た親類達に囲まれている。侘助は完全に出遅れた状態で、理一の側に寄ることもできないでいた。
侘助と理一は、理香から見ても仲の良い兄弟だった。
どちらかと言えば、侘助の方が理一に構い、側に居たがる様子ではあったけれど、理一がそれを一度も嫌がったことはなかったから、お互い相手を気にしていたのだと、理香は思っている。
「今度、理一のお友達が来るらしいわよ」
「え!」
信じられないことを聞いた。とばかりに目を見開く侘助に、理香は思わず吹き出して、目の前に麦茶を置いてやる。
「大学の友達だって」
侘助は呆然と理香を見返し、それからぎこちない動きで叔父達の間にいる理一に目をやる。
「友達…」
その響きに、侘助は小さく息をつく。
理一は昔から人付き合いは上手くやるほうだったけれど、家に友達を呼ぶというのはあまりなかったような気がする。
思い返してもそれは小学生の間だけで、高校生にもなると、友人を呼んでお泊り会、なんていうものはどんなに仲が良くてもなかった気がする。
勿論、その理由には高校の友人達にとって、この陣内家は遊びに行くには少々面倒な家、という認識があったからとも言えるのだけれど。
それが、大学の友人が来るなんて、どういうことかと思ってしまう。
その友人というのは、理一にとってどれ程の存在なのかも気になれば、自分の知らないところで理一の周りに人が増えているということも、気になるところだった。
「今までにないタイプの子だって、言ってたらしいわ」
「どんな?」
理一の友人といえば、大体は理一と同じタイプの人間が多かった。
大勢で固まって騒いだりすることなど絶対にない、真面目な人々というのが、侘助の認識だ。
だから、そうでないとなると、理一があまり寄って行かなかったタイプだということになるのだろう。
「会ったこともないのに、わかるわけないじゃない」
理香は落ち着かない様子の侘助に思わず笑ってしまいながら、こちらはまだ友人と呼べる相手はいないようだと理解する。
理一も人間関係の構築は受身から入る人間ではあるけれど、基本的に友好的な空気を用意しているから、人が寄って来易く、友達を作るのは早い。
反面、侘助は人を拒絶する空気を発しているため、余程の事がない限り、相手から寄ってくることはない。
それなのに本人が自分から寄っていかないため、なかなか友達なんてできない。
侘助自身がそれをあまり気にしていないせいで、その状況が改善されることがないのだが、いつになればそれが変わるのだろうかと、理香は少々心配している。
「四日に来るって言ってたわよ」
祖母の誕生日が終わって、親類達が帰っていた後を狙って設定した予定なのだろう。
親類の集まる時に友人を招くのはどちらも気詰まりになるかもしれない上、この家は大騒動になりがちだから、落ち着いた頃の方が良いには違いない。
理一は昔からそういう気遣いのできる人間だったと、侘助は思う。
そして、いつのまにか、侘助は理一のその気遣いの対象者ではなくなっていて、それを喜ぶべきなのかは、未だにわからない。
「いつまで?」
帰ってきてから、落ち着いて理一と話していないのに。侘助はそう思って小さく舌打ちする。
この家に来てからずっと、侘助にとって理一は最も近い存在だ。
隣にいるのが当然だったから、大学生活に入って一番の違和感は側に理一がいないことだったと言ったら、少し困ったような顔をして斜め前に座っている理香は笑うことだろう。
だけれど、それが侘助の正直なところだった。
朝起きて、一人きりの部屋を見回して、朝の挨拶をする相手もいないことに戸惑って、早く準備をするようにと急かす相手もいなくて、一人暮らし開始から一月は、違和感をどう解消したら良いのか、さっぱりわからなかった。
課題をこなしながら、PCの前で理一の名前を延々呟いている自分に気付いた時には、自分が少々恐ろしかったほどだ。
そこまで理一の存在を当然のものと思っているなんて、側に居る間には考えたこともなかった。
流石に一月後には静かな部屋にも慣れたけれど、自分の名前を呼ぶ聞こえるはずのない声を聞くことはあった。
離れたら、少しは落ち着くのかと思ったんだけど。
それが、この三カ月を過ごした後の侘助の感想だ。理一の事ばかりが気になって、結局、自分の認識の甘さを実感しただけだった。
そう、侘助は、理一が好きだった。所謂、恋心と言うやつで。
勿論、恋心なんて柔らかそうな言葉で表現するには憚りがあるような、欲に近いものを含んでいるわけではあるけれど。
もしかして、と思ったのは、実は割と早い。中学生の頃だ。
誰が可愛いの、好きだのという話の中で、侘助も可愛い同級生の名前を挙げてみたりはしたけれど、例えばその時名を挙げた少女が声を掛けてきたって、特別楽しい気持ちになったことはなかった。
それよりも、理一が自分よりも部活やクラスの友人達を優先することの方が腹立たしく、理一の部活が終わるのを、図書室で待っていることも多かった。
理一の側に自分だけだと嬉しくて、他の誰かといる理一を見ると腹立たしい。それを突き詰めて考えてしまった時に、侘助は自分のそれが何から来るものなのか、理解したのだ。
ただ、それを告げる気はなかった。
理一は侘助と共にいることを拒んだことはなかったが、自分と同じ気持ちを抱いているかどうかは、流石に侘助にも判断は出来なかった。
理一の好意がどこから来るものなのか見極めるまで、このことは黙っていよう。
そう思いつつも、次第に強まる欲求にどう対処するのが正しいのかわからなくなってきた頃、侘助は大学生活で理一から離れることを選択した。
そうなれば、この気持ちも少しは穏やかになるのではないかと思ったのだ。
それなのに、今も変わらず侘助は自分以外と楽しそうに笑う理一に苛立ちながら、少し離れたところで念を送るので精一杯なのだ。
「四日間の予定って聞いたわよ」
「そんなに?」
流石に友人が遊びに来ている理一にまとわりつくのは駄目だろう。
それでは、せっかく同じ家にいるのに、1週間以上側に寄れないことになってしまう。
正直この家自体は居心地は悪くないのだが、近隣住人の目は、未だに少々面倒だ。
理一も理香も、その内に変わってくるに違いないからと言ったものだが、それがいつなのか、答えは見つかりそうにない。
「我慢しなさいよ、それくらい」
理香はその衝撃を受けた表情を見て溜息をつき、相変わらずこの陣内家最下層の男は、理一にべったりなのだわと思った。
理香から見て、理一と侘助はかなり仲の良い兄弟だ。
戸籍上は叔父と甥になるわけだけれど、この家でそんな認識を持っている者はいない。彼らと理香も姉弟の関係だ。
侘助がこの家に来た時、一番最初に全面的な受け入れを示したのが理一だ。
部屋は隣に作ってあったが、間の襖は絶えず開いていて、二人の間に隠し事などできるはずもない様子だった。
襖が閉められるようになったのは、高校生の頃だったと理香は認識している。
もしかしたら、もう少し前だったかもしれないが、それは侘助の方からの行動だったらしい。
一緒に学校には通っていて、帰りも態々二人で帰ってくるのに、帰ってきた家では襖を閉ざしてそれぞれ別の部屋にいるという事に、理香は首を傾げたものだ。
侘助は、理一のことが嫌いになったわけでも、疎ましくなったわけでもないようなのに、何故、自分のテリトリーだけは主張しだしたものか。
未だにその謎は解けないが、とりあえずわかっているのは、侘助はこちらが引くほど、理一が好きだということ。
理一はそれを理解しているが、まるで拒否感を持ってはいないということと、どうして侘助が部屋を仕切ったのか、気になっているけど聞けずにいるという事だ。
この二人はどうやら、仲は良いが、それぞれが、相手に言えずにいることが幾つかあるらしい。
理香にはそれがわかるが、流石にそんな事に口を出すほど、弟達に干渉したいわけでもなく、姉にそんなことの仲介をされるほど、弟達も子供ではないとは、理解していた。
「あんたはいつまでいるの?」
「決めてない」
すぐに帰ろうかと思っていたけれど、理一と話をしないまま帰るのは嫌だと侘助は思う。
東京へ戻ったところで何かすることがあるわけでもなく、誰かが待っているわけでもない。
帰れば冬まで理一と会うことは出来ないのだから、ここでしっかり補給をしておかなくてはと思うのだ。
「ゆっくりしていくといいわ」
色々やってほしい事もあるから。理香はそう言い置くと、立ち上がって叔父達の方へ足を向ける。
自分もあんな風に気軽にあの輪に入っていけたら、随分ここでの暮らしも楽になるのだろうけど。と侘助は苦々しい思いでその輪を眺めて、麦茶を取った。

 
 


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