もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
東は名古屋から西は大正区まで日本を駆け回る魂の遍歴(嘘)!
シラフで聞いてくれ。
23日に配達されたニッカウヰスキーのリーフレットがひたすらアツい。
これまで俺が手にしてきた幾多の企業研究資料の中で随一というだけでなく、文章を読んで久しぶりに魂が震える感覚を味わうことができたのだ。最初のページに記されたこの言葉は以下のように続く。
お願いがある。今日はシラフで聞いてほしい。
そのかわり、我々がこの時代の変化にどう応えていくか、今どんな答を出しているか。事実と決心をまっすぐに語ろうと思う。少し背筋を伸ばしたら、この話を進めよう。さあ、親友の肩を叩くようにページをめくってくれ。そして現在手掛けている経営計画を述べた後、最後のページは次の言葉で閉じられる。
もし、あなたが。
世の中に迎合して人々が欲しがる酒をただ淡々と造り続けるのではなく、
世の中にうまい酒、うまい味わい方を教えてあげたいと思う同志であれば、
ニッカをもっと素晴らしい会社にしていく我々の計画に参加しないか。
そしてよくやったとお互いに讃えられるほどにがんばったなら、
北の国、余市の蔵からとびきりの15年物を取り寄せよう。そして、
その時は祝杯を上げようじゃないか。これなんだ。
メーカー=製造者であり続けることの凛とした誇りと抑え難い熱さ。心情的なものづくりと言われようとも、スピリットを以て形あるものを造り続けることによってこそ、形ない何物かを創り出せるのではないか。俺がこの就職活動の中、あくまでメーカーに固執し続ける理由、それらは総てここに集約されるのだろう(そして、俺個人もまたひとつのメーカーである。不遜な言い方だけどね)。たとえニッカウヰスキーに縁がなかったとしても、出発点を再び知ることができたという意味でこのちっぽけなリーフレットは俺にとって最も重要なものになるのかもしれない。蒼天に我が道は徐々に見えつつあるか……な。
実はこの話にはオチがある。
この封筒、住所はたしかにちゃんと記されているのだけど、名前のところがえらく文字化けしていて「盆;3!!Bg2p様」とか、なんだか凄いことになっているのだ。よくうちまで届いたなぁ(^_^;。23日の午前中は鶴橋から大阪環状線に乗り、大阪でヤマトシステム開発のセミナー。どーでもいいことだけど、人事の方がイッセー尾形に似ていた(笑)。この会社は聞いての通りヤマト運輸100%出資の子会社で同社の情報システム部分をアウトソーシングしているのだけど、実は自前でも物流網を持っていて、例えば通信販売なんかの物流をも含めたアウトソーシングを行っているのだそうだ。成る程これは情報システム業界の同業他社に対するアドバンテージだよなぁと感じた(ただ、こう言った分野は倉庫会社やヤマト運輸本体を含めた物流企業なんかが参入してきて、なかなか激しい状況らしい)。オムロンソフトウェアにしてもこのヤマトシステム開発にしても、情報システム企業であるのにリアルな「もの」を介しているという点で、俺にとっては好感の持てる企業ではある。ただ、こう言う判断基準って「色の変わる化学反応に喜ぶ中学生」並みに単純といえば単純だよね。
終了後大正まで大阪環状線で移動しオージス総研の一次面接。学生三人に会社の方二人という構成だったのだけど、学生が俺を筆頭として実にさえない面々だった。もしかしたらそう言うのを集めた回だったのかも知れん(笑)。しかし緊張したね、どうも。喋りながら次に喋ることを考えようとしてもダメ。喋ってるときは喋ることに一所懸命だから一センテンスが終わると数秒沈黙する羽目になってしまう。格好悪すぎだった。
終了後、大阪環状線で鶴橋に戻った、ということで都合この日は大阪環状線を内回りでまるまる一周したことになる。なんか達成感。
24日は新大阪メルパルク大阪でユニ・チャームのセミナー。やはり、というか女性が結構多くてちょっと居心地の悪さを感じる。高分子技術と不織布の開発にかけては専業の化学メーカーにも劣らず、また生産効率や機密保持の観点から生産設備をほとんど自社開発しているなどという話を伺って、明確な独自技術のアドバンテージ、俗な言い方をすればウリを持っている企業だという印象を持った。
25日の午前中は大阪でジャパンゴアテックスのセミナー。これまたゴアテックス(R)という明確かつ応用範囲の広い看板商品を持っている企業で、こう言う企業だと資本金の大小に関係なくいい印象を持ってしまうよね。日本IBMのときも感じたのだけど、外資系企業って独特の空気がある。ジャパンゴアテックスの場合日本法人というよりは経緯からいえば合弁企業に近く、日本IBMに至っては気分的にはほとんど日本企業であるにも関わらず、だ。「求めよ、さらば与えられん」というか、企業と雇用者にはっきりとした契約関係がほの見えてくる。そのあたり運命共同体的な日本企業とは違うのだろうけど、もしかしたらこれは単なる企業の個性であって外資系だから云々というのは俺の勘違いなのかもしれない。
余談。このセミナーで実は同じ学科の、昔同級生で今は修士のやつと前後の席になった。でも質疑応答の時間で自分の学校名、名前を名乗ったときにやっとお互いはじめて気付く始末。もっと早く気付けよぅ。
午後は本町に移動して大倉工業のセミナー。うーん。確かに一部上場企業なのだしポリオレンフィルムの分野では日本一のシェアを持ってはいるのだけども……。どうなんだろ、うーん。難しいね。なにっ、キリンプラザ大阪でムットーニ展やと! これは絶対行かなくちゃだわ。
ジャステックの選考試験とオージス総研の面接は通過したと連絡があった。オージス総研の方は、まぁステップを進めるつもりだけどジャステックはここいらで止めとこうかな。そろそろ絞っていかなきゃね。
26日は石山で日本電気硝子の工場見学。なんと学生数3人。他の日は10人前後はいるんやけどなぁと企業の方も首をひねってはった。α-StationのCMで名前だけは知っていたのだけど、話を伺うと硝子メーカーとしては旭硝子についで国内2位、ブラウン管や蛍光灯といった特殊硝子の分野に限れば国内トップ、世界でも2位の企業なのだそうだ。その後蛍光灯の製造ラインと研究所を見学させていただく。さすがに硝子を成形する場所だけあって中の熱気がすごい。でも思ったよりも小規模なラインで少し驚く。だけど後に伺ったところでは機械がひじょうに柔軟性に富んでいて、どんな太さ、どんな長さのガラス管の注文にも応えられるラインなのだそうだ。
セミナー終了後、せっかく滋賀まで来たんだからと琵琶湖まで足を伸ばす。というか5分も歩けば着いてしまった(笑)。うんうん。思えば遠くへ来たもんだ。電車賃の元を取るためにもこう言ったランドマークをクリアすることは重要やね。で、この石山という町、なんかすごく雰囲気がいいんだわ。京阪石山坂本線を2両編成の列車がぽくぽく走っていくところや町の中にすごく綺麗な水が流れているところなど妙に心擽られて、ちょっとした小旅行気分だったのだ。
27日は今週二度目の新大阪、メルパルク大阪でナムコのセミナー。ただ今回はホールの方での開催で、学生数もそれ相応に山ほど来ていた。内容としては企業資料のおさらいといった感じで目新しいところは特に無かった。ただ、今回思ったのは、100人を越えるような大規模なセミナーのとき、確かに企業側の説明も公約数的、形式的なものになるのだけど、それ以上に学生の質問のレベルの低さには目を(耳か)覆うってこと。今回もあった「御社の改善すべきだと思われる点について教えてください」とかいう質問を聞くと、あほちゃうかこいつと悪態をつきたくなる(笑)。だって例えば国会の予算案審議のときに「大蔵大臣、この予算案の改善すべき点について教えてください」とか質問するか? 突っ込んでみたい、或いは挑発してみたいなら、そういったことまで俺は否定するつもりは無いけど、最低自分で情報を収集分析してからにせい。ンなことまで企業に下駄を預けてどうするのやら。
それにしてもいまなお映画がエンターテインメントの頂点にあるというのがゲーム畑の人を含めて人々の共通認識なんだね。いや、別に俺とて否定する根拠があるわけでもないのだけど、でもどうしてなんだろ。非インタラクティブな映像だとしてもビデオでもテレビでも構わないはずなのに。100年の歴史の中で培われた、世界中に広がる巨大な市場、とそれゆえに投入される莫大なリソースの所為なのかな。
28日は西長堀で不二熱学のセミナーだった……のだけど、これはちょっと俺の企業研究不足だった。空調設備なんかの開発メーカーだと思っていたらあくまで設備、施行メーカーであって機器の研究開発はしていないのだということだった。木曜日、26日の深夜あたりからちょっと鬱が入ってきた。やばいなということで28日の帰り道、難波に寄ってCDを購入。こう言うときは蕩尽するに限る。買ったCDは次の2枚。
同時にコミックも2冊購入。
- 大坂昌彦 & 原朋直クインテット『ストリート&アベニュー』
- DEEP FOREST『コンパルサ』
これら薬餌の逐次投入によってなんとか気分もややフラットに持ち直したのだった。やれやれ(ついでに白状しておくと遊佐未森『エコー』はまだ買ってないです(汗))。
- 衛藤ヒロユキ『魔方陣グルグル(10)』
- 真刈信二+赤名修『勇午(9)』
夢さえあれば、か……
そんなもんは現実に目を向けられない弱っちい人間の逃げ口上だよ
実現しない夢なら寝言と一緒だ。馬のクソ以下だぜ!
(ベルセルク(8))ある日、たつろくんからメールが来た。彼は高校のときからの友人で、だからもう二年前に就職活動は終えているのだけど、判然した目的意識を持って大学の選考とはあまり関係のない企業に自分の技術を武器として就職した人なのだ。俺には世界で三人だけ、みっともないカッコを見せられない……いや、見せてもいいんだけどその人の前で不本意な結果だけは残すわけにはいかない人ってのが居て、たつろくんはそんな就職の経緯もあって三人の筆頭とでも言うべき友人なのだ。で、此処を読んでくれてるといった趣旨のそのメールを読んで、俺は心臓を握られたような気持ちになった。こまごまとした事に疲れ果て、易きに流れようとしていた最近の自分、いっそ、自分の定年までは潰れなさそうな、どこか財閥系の孫会社あたりへでも学推で転がり込んでやろうかと考えていた自分に深く恥じいったのだ。うわついた夢や理想なんかでなく、肌がひりひりするほどの現実の中で目的に向かって一歩一歩確実に前進していっている後ろ姿が見えたのだから。ずいぶんと離されてしまったけど、俺も後を追わなけりゃならんだろう。もちろん、俺は俺の道を辿ってね。
30日の午前は大日でヤマトシステム開発の会社訪問。マシン室なんかも見学させていただいた。で、午後は大正でオージス総研の個人面接+適性検査。今回初めて所謂SPI適性検査を受けたのだけどやたら疲れるね。もぉヘロヘロ。面接は結構慣れてきたかな、という感じ。しかし、面接ではこれまでのすべての行為に対して理由付をしなけりゃならなくて、その理由の各々はまったく事実通りのものなのだけど、それらを総合してひとつのストーリーとしたとき、それは俺の実際に体験してきたはずの歴史とはまったくの別物になってしまうんだね。私立探偵とか裁判官とかいう人々は、よくもこんな歴史の無底性の中で暮らせるよなとか思ったりもした。
31日の午前はステラケミファの一次試験だったのだけどブッチして(良い子は真似しないように)学校へ。後期の科目の合否発表を受け取りにいったのだ。おっしゃ。試験受けた科目は全部通ってる。その後成績証明と卒業見込証明書の申し込みを済ませ、学科の教授に新四回生の講座分けの日を訊いたりとひと通りの雑務を済ませた。途中、この前の大同特殊鋼の工場見学で一緒になった材料工の修士の人に出くわしたりもして。
昼からは本町でトッパンフォームズの会社説明会。ここはビジネスフォームをメインとしている印刷会社で、凸版印刷の子会社という形ではあるけどほとんど事業領域も重なっておらずそれぞれ営業を持っているためどちらかといえば補完しあうパートナーのような関係だという話を伺う。造船や製鉄がそうであるように、印刷もまた工学のおよそあらゆる分野の技術を総合するものだと俺は思う。ただこの企業の場合、ビジネスフォームという時点で許容できない人ってのはやはり居るんだろうなぁ。俺はそういうあたり寛容だけど。あと、この企業ほどの規模であっても多品種小ロットのオンデマンド印刷というのはひとつのトレンドなんだね。ちょっとびっくり。
あ、オムロンソフトウェアの選考試験は合格していたと連絡があった。
月が変わって4/1はwebで日本IBMの一次試験の申し込みをしたぐらいで俺はお休み。どこの企業も入社式をしている所為かな、とも思ったけど友人はこの日もセミナーに行ってるらしく。どっちもご苦労さまやね。
2日は山科を越えて琵琶湖を越えて南草津をも越えて(さすがに今回は雪は降ってなかった)野洲で大日本スクリーン製造のセミナー。俺的にはMac関係の雑誌に広告を載せてる、スキャナとかCD-ROMタイトルのメーカー、或いはデザイン系の雑誌で見掛けた印刷行程、RANDOTの開発メーカーというイメージで、たしかにグラフィックアーツ分野はルーツとしてこれからも重要なのだそうだけど(SunのWSのための組み版システムなんかも高い国内シェアを持っているのだそうだ)、いま全売り上げの7割弱を稼いでいるのは半導体製造でのシリコンからウェハーの切り出し、研磨、洗浄といった前行程の生産機械の製造なのだそうだ。で、実際に無塵服を着てクリーンルームの中に入れていただく。ロームのときは外から眺めるだけだったので、実はこれが結構楽しみだった。同じ生産機械の工場といってもさすがに自動車用のプレス機なんかを製造していた栗本鐵工所の工場とは全然違う。音といい温度といい、どちらかと言えばヤマトシステム開発で見たマシンルームに近い感じ。今回初めて知ったのだけど、こういった半導体の前行程の部分って回分式のシステムなんだね。で、今の主流は薬液洗浄、純水洗浄、乾燥をそれぞれ別の槽で行っているものなのだけどそれをすべて一槽で賄う機械の未完成品も見せて頂いた。口には出さなかったけど、「全自動洗濯機みたいなものですかね」という感想はきっとみんな抱いていたはずだ(笑)。半導体そのものの生産になってしまうとこれからは国内メーカーは厳しそうだけど、あくまで生産機械のメーカーであり、海外への輸出も積極的に行っているということで未来も暗くなさそうな感じ。会社の方にしてもシリコンサイクルの存在をしっかり認識していて、半導体が不景気になったときのための押さえとしてもグラフィックアーツ分野はやはり重要視しているのだそうだ。あとびっくりしたのがトリニトロンのアパーチャグリルをSONYと共同開発し、いまでもトリニトロンのアパーチャグリルはすべて同社製品なのだと伺ったことだった。侮れんなぁ、って別に侮っちゃいないけど。総括してはかなり好感度の高い企業だということはできる。書類を応募してから選考、合否まで二週間程度(うち、選考は実質一日)で済んでしまうこともあって、学推が来てるなら応募してみようかしらん。応募は学推オンリーなのだそうだ。で、このセミナーに愛知の大学のひととか京都の大学のひととかが来ていてびっくり。いや、大同特殊鋼のときも愛知の大学のひととか宮城の大学のひととかが来てきていたのだけど、まさか京都とはねえ。なんだか卑屈になってしまいそうだった(笑)。あと、最後にひとつ。無塵服を着た姿を鏡で見て思ったんだけど、エレクトロニクス分野への就職を無塵服を着にゃならんという理由でやめる人って絶対一年に5人はいると思うぞ。
3日は淀屋橋で日東紡績のセミナー。ここは日本の十大紡績会社の中には入っているのだけど、繊維部門の生産はいまやほとんど海外に移設してしまい、総売上に占める割合でもグラスファイバーや建材と行った非繊維部門が全体の3/4を占めているような企業なのだそうだ。俺が繊維業界に興味を覚えている理由のひとつに、非常に厳しい国際競争に既にさらされ、それを克服した経験があるってのがあるので、繊維事業の割合が少ないので即、興味が薄れるというわけでもない。問題はこれからどうなるのか、そしてどうしていこうとしているのかということだしね。
他の業種の企業なんかの業績推移で、バブルのころに最高業績を上げていて93〜94頃が底、それ以降回復傾向というのが多いんだけど、問題になるのがその時にどんな事業の再編成を行ったのかということだよね。例えば、手を拡げすぎていた部分を切り捨て本業に注力したり、或いは逆にひとつの事業分野またはひとつの製品に依存しすぎていたのでもうひとつの柱になるような事業を立ち上げたり、或いはもっと別の次元でも構わないわけだけど。そういたことをまったく行わず、ただ周囲の景気の動向で業績が下がったり上がったりしている企業というのは、要するに次にバブルが来ないと最高業績を更新できない企業って事だろうから。しかしどーにも鬱は晴れんなぁ。こう言うときは何をやっても裏目に出るから首を竦めておとなしくやり過ごすに若くは無いってのは判ってるんだけど、状況を改善するために何かをやらねばという気持ちもまた出てくるわけで、要らんことに首を突っ込んで精神的な体力をさらに消耗してしまったり。まったくもってムチャクチャな私生活を送っている今日この頃ではある。無頼派を気取っているというわけでもないのだけど、なんだかなあ。