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ものづくし

(5/24 1998 〜 8/12 1998)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
すっとこどっこいな日常が今ここに!

終焉(5/24 1998)

 何故この企業を選んだのかというと、詰まるところは縁なんだけど、あまり大きな企業ではない(ハウス食品と比べると資本金で1/5、売上でおよそ半分)だけ、自分の関われる領域が大きいんじゃないかと思ったから。選考過程で商品開発に関わりたい、と強く主張し続けても落ちることがなかったというのが実は一番強かったりもするのだけどね(尤も、言質を取らせてくれることもなかったけど)。あと、ムサシノの国の映画館と美術館と書店の数に目が眩んだというのも(笑)。ただ、

人間は、意外と怖い生き物で、どんどん環境に適応するんです。学生のときに、どんな自由なことを言っていても、組織の中で苦痛を感じないサラリーマンになるのに3年かからない。組織というのは、それほど怖いもので、意識そのものを変えます。
(榊原清則)

私の経験からいえば、トップからいわれてやったクルマに大ヒットしたものはない。どうしてそんなクルマにするんだというものばかり。もちろん一日の半分はそれでもいいけれども、残りの半分は会社の場所と時間と材料で、自分の意識を反映させる努力をしていかないと……。
(林英次/いずれもAXIS vol.71)

という言葉だけは忘れないようにしないとね。
 だけど始めての独り暮らしが社会人になってからというのは不安半分期待半分。ちゃんとアイロンの掛け方とか学んどかんとなぁ。「ひとりでできるもん!」でもしっかりチェックしようかな(笑)。

  就職活動ダイジェスト
 凸版印刷の工場見学で初めてQuantel GraphicPaintboxを見た。やっぱすごいね、アレ。
 ナムコは4/17に受験した作品選考+実技試験で落ちた。残念。
 大同特殊鋼は4/24に最終面接を受けて勝ったも同然の気持ちでいたのだけど、落ちた(笑)。
 この辺の経緯、ライブで書けばきっと面白いものになっただろうてのは判ってたんだけど、さすがにそれほど精神的に図太く無かったです、俺(^_^;

 さて。
 ある土曜日、難波まで『COWBOY BEBOP』のサントラを買いに出たついでに学校まで足を伸ばした。図書館で本の雑誌とキネ旬のバックナンバーを消化しての帰途、俺とかつていわくのあった(……というか、俺が酷いことをしてしまった)女性とすれ違った。もう彼女は大学を卒業して2年になるのだし、もしかしたらリクルーターとして学校に向かう途中だったのかもしれない。二言三言、なんでもない挨拶を交わして別れたのだけど、そのなかで俺は彼女に対し、髪を切ったんだというような即物的な感想を抱きこそすれ、感傷は一片も抱くことができなかった。地震以来、大学に留まり続け、何一つ変わらないままでいたと思い込んでいた俺自身の時も流れていたのだと思い至った瞬間、初めて舌の根に薄く苦みが走った。

 去る5/21にアクセスカウントが50,000を越えました。50,000アクセス目はShionさんでした。どうもです〜。ここしばらく更新してなかったのに感謝感激です。今後とも飽きずにお付きあい下さいませ。

禍々しく美しきもの(6/29 1998)

 思考実験をしよう。
 中島敦に、文字の霊の存在を探究しようとしたアッシリヤの老博士の陥る奇妙な運命を描いた『文字禍』という短編がある。この小説、確かに池澤夏樹の言うよう

もしも『文字禍』がボルヘスの作品集のどれかに入っていたとしたら、人は異物が混じっていることに気付くだろうか。主題、長さ、話の展開、結末……どこをとってもこの短編はアルゼンチンの図書館長の作に似ている。

には違いないのだけど、果たして本当にボルヘスは「文字」の霊にまつわる小説を書けたろうか?
 そんな思いを京大のe漢字プロジェクトを見たときに受けた。漢字の字母をデジタル化し、それをフォントデータとして公開する。それらは結果として既存の、所謂JIS第n水準には依存しないものとなるが検索、使用の便を図るためJISX0221(Unicode)、京大康煕コード、諸橋大漢和コード、中華字海コードに沿った形でも提供する。また、それら以外の難字、異体字、国字などに対しても、およそこの国に存在する/した漢字はすべてデジタルデータ化を図る。……かいつまんで言えば、このプロジェクトの目的はおそらくこのようなものになるだろう(ちゃうかも)。
 これまで見たこともないような国字や人名異体字の無底の海の中を彷徨いながら一色が感じたのは禍々しさと美しさだった。どうしようもない程に不合理で不隠で禍々しくノイズに溢れ、それゆえに豊潤で官能的でぞっとする程に美しく繊細なるもの!

 禍々しく美しきものといえば、S.M.H.vol.11の巻頭特集「関節人形」の印象も強烈だった。ハンス・ベルメールに連なる創り手たちの手になる人形達が帯びた、禍々しさと静謐さは或種異国の言葉の文法のように理解し難いものとして心に働きかけてくる。
 同誌では久しぶりの沓澤龍一郎のコミック『親切』も水没してゆく世界を描いたジェントルな物語で実に心地好かった。氏のコミックは相変わらず台詞のテンポが素晴らしい(123頁1コマめの「いーえー」なんてまさに完璧)。この水没してゆく世界=緩慢な滅亡というモティーフは最近のある種の人々の通奏低音となっているのだろうか……って話は既に川原センセが書いてはったね、確か。

祇園さん(7/17 1998)

 ふと思い立てば関西で過ごす最後の夏だということに14日、紫外線吸光度計のモニタを眺めていて気付いた。だから翌日、宵々山の祇園さんを観に京都に行くことにした。突発的な閃きだったから何も下調べをせずに独りで出掛ける。それが好い。
 翌日。午前中は就職関係の資料類をゴミに出すのに忙殺されたため(古雑誌等、資源ゴミの収集日だった)、午後2時すぎに家を出る。淀屋橋から京阪特急で一路京阪四条へ。駅から地上に出るとすごい人出だった。浴衣を着た女の娘の姿がやたら目に付くのが好い感じ。ところが人の波はひとつ処に流れて行くというわけでもなく、様々に入り乱れているという感じ。これではどこに行けばいいのだ(^_^;。ひとまずは八坂神社に行ってみることにする。境内は夜店も出ていて一色的にもお祭り気分が盛り上がってくる。今回特に気になったのが「天使の羽根・500円」の夜店だったのだけど、それはまた別の話。企業の同好会の人達による狂言なんかも見物したりしながらしばしの時を過ごした後、円山公園側に抜けて京都の町を散策、といえば聞こえはいいけど、要は(例によって)迷子になっていた(笑)。やっぱり人の少ない方へ少ない方へと歩いていったのがまずかったかも。
 でも、その分京都の路地裏をしみじみ味わうことが出来た。石畳は打ち水されひんやりとした空気が立ち上り、両脇の土塀は所々崩れ落ちて古寂びた風情を漂わせている。そして、それらに木陰と木漏れ日とを同時に投げかける初夏の翠。過去と現在、夢と現つとが争うことなくたゆたうように重なり合う幸福な空間がここには在り、また、在り続けるのだろう。尤も、京都という街のこの幸福な空間は、現代的な価値観で言うところの圧倒的な不便さと様々な次元での深い深い闇の上に成り立っていることには注意を促しておきたいところではあるのだけれど。けれど、そういった光と闇のあわいに身を預けることでココロがフラットになり、感覚が澄まされてゆくのが明瞭に感じられてくる。きっとまた秋に訪れようと思った。近畿圏に居住しているうちに。爆ちゃん推奨の「今出川御前下がるのモニカというケーキ屋のチーズケーキ」とm氏推奨の「河原町三条下がるの「せいほう」っていう紅茶とケーキの店」にもぜひ行っておきたいところではあるしね、やはり人として。というか、今回来る前にメモしておくの忘れてた。
 今回の京都行での収穫はもうひとつあって、それはアルファロメオ・スパイダー(現行)を初めてナマで見れたこと。やっぱ無茶苦茶かっこいいよ、あのクルマ。まじで免許取って390万円貯めようかって気になってくる。個人的な意見ではあるけれど、スパイダーは今世界で唯一台、未来の方を向いたスタイルを持っているクルマだと思う。そんな鋭角なスタイルをもしっくりと風景の中に納めてしまう京都の街並の寛容さも、また。
 あれやこれやですっかり祇園さんを堪能した気持ちになって6時頃京都を起つ。ところが帰途、京阪特急の車内で気付く。結局山鉾観るの忘れてたっ。

 うーむ。まったく、先達はあらまほしきものであることだなあ!

回廊都市(8/12 1998)

あるとき妻が言った
「足穂が十代の頃のことを書いた作品に、とても前衛的な、いいセンスをした友達が出てくるでしょう。すごく洒落たことを思いついたり、言ったりするのを互いに競いあっていたような友達。そのころタルホは、そういった友人達の洒落たセンスに対していささかタジタジとなっていたふしがあるのね。で、結局それをもとにして『作品』を書いたのは、足穂だけれど、洒落たことを言うだけ言って、さっさと『普通人』になったり、早死にしたりした人の方が、わたし、ほんとはかっこいいと思う。」
(佐々木マキ)

 8/1〜8/4まで、十六夜くん一派の夏期リフレッシュ計画(いわゆる旅行)で熱海に行ってきた。一色は熱海が静岡県にあることさえ知らなかった上に「今度熱海に行くねん」と人に言う度に、判で押したように「老人多いよ」という答えが返ってくるのが出発の日までかなり不安だった。あまつさえ『GON!』の『ダメダメB級温泉ガイド in 熱海』などを読んでしまったため名伏しがたい不安は高まるばかり。

■一日目(8/1 Sat.)

 で、当日。ホテルのチェックインは14時前からできるとのことだったので、関西組3名(一色、たつろ君、K氏)は新大阪10:00発のこだまで熱海へ向かう。予定通り到着してホテルに荷物を置けたので、はるばる安孫子からやってくる関東組の十六夜くんが到着するまでに先に海でひと泳ぎしてみることにした。浜(熱海サンビーチ)はホテルの窓から直下に見えたのですぐ着くだろう。
 甘かった。
 車道の道なりに歩いていくとだらだらと長い下り坂。しかも途中でトンネルをひとつ通過。ようやく浜にたどり着いたとき、3人の中に熱海では平面マップは当てにならんというコンセンサスが生まれたのだった。説明すると熱海の街は海岸を底とした擂り鉢状になっていて、だから海も温泉も楽しめるわけだけど、この勾配が結構半端じゃないのだ。また、一歩車道から裏道にはいると急な細い石段が曲がり交錯していて、これはこれでどこかアジアの街のようでイカすのだけど、実際歩く分にはまさに立体迷路状態。ま、お蔭で滞在中、移動で退屈することは無かったけどね。
 ひと泳ぎしたあとで到着した十六夜くんと合流、夕食を取ることにする。今回、宿は全部素泊まりにして食事は外で取ることにしていた。その方がいろいろと美味しいものを安く食べれるだろうと考えてのことなのだけど。で、今回は海産物を和食で食べようということになって和食屋へ。ひゃんっ、刺身の鯵が口をぱくぱくさせてるよぅ。でも気にせず食す! しかも美味(^_^
 その後、熱海城へ行ってそこからの夜景を鑑賞したり部屋に戻って、K氏が持ち込んでくれはったプレステで踊ったり(Bust a Move)した後就寝。

■二日目(8/2 Sun.)

 駅前の茶店で朝食にチョコレートケーキ+カプチーノなどを食していると十六夜くんにフランス人みたいといわれた(笑)。さて、この日の午前中はまたしても海に行くことにする。前日発見しておいた石段をくだって浜へ。水は午前中ということもあって、前日よりもさらに冷たい。でも浮島の上でぷかぷかと空を見ているとほのぼの幸せな気持ちになってくる。来て好かったなぁ。
 昼食は天ざる蕎麦。蕎麦湯の使用方法を教わる。なるほどこりゃ美味。
 その後、サンクリノ美術館に行く。ここはエミール・ガレのガラス工芸作品を展示してある美術館でアール・ヌーヴォーの匂いがぷんぷん。特別展示共々、ヒカリを内に湛えたような作品に囲まれて豊かな時間を過ごすことができた。
 午後、MOA美術館へ足を伸ばす。というのも今晩、ここで薪能が催されると知ったからなのだけど。汗だくになりながらひいひい言って山を登る。山の中に姿を現したMOA美術館は、想像していたよりも無暗に巨大だった。入館して最初のどこまでもどこまでも続くエスカレーターにまず度肝を抜かれる。展示作品は国内中世〜近世の物を中心にイラン、イタリア、モネ、レンブラント等々と、わりと節操は無い(笑)。だけど本物がこれだけ集まると、その質と量とに圧倒されてしまった。ここには尾形光琳の白梅紅梅図のように収蔵してはいるものの特定の期間しか公開されない作品というものがあって、それらを普段はハイビジョンに収録して見せてくれるのだけど、この演出に一色とたつろ君とがバカ受けしてしまった。だって紀貫之の書いた「あ」の文字がみょみょーんとモーションブラーしながら画面一杯に拡大するんだぞぅ。あと荘厳に昇る朝日にオーバーラップしたり。格好良すぎる。とにかくこれはお勧め、隠れた見どころかも知れん。ハイビジョンの画質共々、ね。
 夕方から中庭で薪能鑑賞。狂言は昔、学校の授業の一環として観たことがあるのだけど、能を観るのは今回が始めてだった。さすがに言葉の端々までは判らないものの、あらかじめ話の流れを押さえておいて、あと前段→中入→後段という文法さえ理解してしまえば案外一色のような初心者でも楽しめるものだとわかったのが収穫。折からの風の強くなる中での鑑賞となって、その分、何かこの世のものならぬものを観ているような気持ちになった。
 終了後、バスで下山。熱海の街というのは案外夜が早くて21:00ともなればほとんどの飲食店が閉まってしまう。その中で開いていた中国料理店を見つけて飛び込んだらこれが大正解だった。ホント、こんな美味しい中国料理は大阪でも食べたことが無いってぐらい美味しかったのだ。特に焼き餃子が、皮がかりっとしていて中がジューシーで、なんとも堪らなかった。それでいて調子に乗って注文して、みんな腹一杯食べたのにひとり3000円に収まるなどたいへん良心的。この店、元気屋は熱海の正義だとここに宣言しておく次第なのだ。
 その後、ホテルの部屋に戻り『YAKATA』で森を彷徨ったりマニュアルを読んで酸欠になりそうなほど笑わしていただいたりした。

■三日目(8/3 Mon.)

 この日は朝から夕方まで一日中泳いだ。晴天にも恵まれて日焼けもたっぷりできたしね。その分肩口と足の甲とがちょっとひりひりだったけど、ま、去年ほどじゃない。
 ホテルに帰って風呂に行く。さすがに湯船につかるのはちょっとしんどかったのでシャワーで事を済ませた。で、風呂から上がってロビーのスポーツ新聞を見ると、タイガース-ジャイアンツ戦がえらいことになっていた(笑)。
 夕食は一見茶店風で店名はイタリア料理風、でもPM5:00開店なのでやっぱり茶店じゃないんだろうけどメニューの充実さは茶店風な店でピザを食した後、居酒屋かと思ったら実は寿司屋だったところで寿司を食した。余談ながらなんだか熱海ってこういう店が多い。他にもどう見ても喫茶店かスナック風なのに実は焼肉屋とか、のれんはうどん屋のような中華屋などがあった。

■四日目(8/4 Tue.)

 最終日。この日はK氏と十六夜くんが前日の日焼けで悶絶していたのであまり出歩くのは避け、列車に乗って修善寺まで行ってみることにした。ところが修善寺に着いたところ帰りの新幹線の時間を考えるとあまり観光できそうも無いので、そのままバスに乗り伊東まで出、そこから熱海まで戻ることにした。そんなわけでほとんど車窓からの観光となってしまったわけだけど、変化に富む自然を見ることができ、これはこれで好かったんじゃないかと思う。

 結論。
 熱海は若くても楽しめるよ、まじで。夏ならきっと。どうしてもダメなら一日海で泳いでりゃいいんだから。今回の旅行の場合、美術館めぐりで一日潰すような、趣味を同じくするひとと旅行できたのが一番の勝因だとは思うけどね(多謝!)。ま、海でナンパできなかったのが心残りといえば心残りか……な。ただ熱海の街は立体迷路です。誰かマッピングしてください。できれば3Dモデリングデータに。


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