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ものづくし

(8/20 1998 〜 9/13 1998)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
こうやっていると遊び回ってばかりいるようですが、実はホントにそうなんです。という日常!

東京の空の下(8/20 1998)

 8/18は東京で会社の内定者懇親会があった。当日、久しぶりにスーツを着込むとベルトがゆるゆるだったので少し驚く。まぁ、このベルトはもともと緩めだったんだけど、でもなんか嬉しい(帰宅後ちょん切って調整)。しかしスーツは暑いぞ。親に不平を言うと「そのスーツはスリーシーズンのものだから大丈夫」……って、それはきっと夏以外の3シーズンを指しているのだと思うのだけど君はどう思う? 結局家から最寄り駅に辿り着くまでに(徒歩20分)汗だくで行き倒れになるかと思った。で、新大阪発11:33の新幹線に乗って東京へ。時期が時期だけに家族連れが多いなあ。一色はこれまで二度(説明会+筆記試験+一次面接、最終面接)東京に行ってるのだけど、それらのときはどっちも雨だったので今回は晴れていて欲しい希望があった。大阪は太陽が出ていたのでわりと楽観していたのだけど、静岡県内に入ったあたりから空がみるみる曇ってくる。うーむ、実は東京って日照時間が北欧並みに短いんじゃなかろうか。
 懇親会の会場は有楽町の会社経営のレストラン(La Brasseric du Cariってトコ)、あらかじめ〒してもらっていた地図によると数寄屋橋センターという大きな建物のそばにあるような気配。まだ時間も十分あるし、いくらなんでもたどり着けるだろう…………盛大に迷う(笑)。ほら、一色って我侭でごーつくばりで方向音痴なひとだから(^_^;。実はいまだに数寄屋橋センターたらいうものが何だったのか判ってなかったり。16:00からの開始時刻の10分前になんとか滑り込むことができた。参加人数は24人。短大卒/大卒/院了、技術系/事務系総合職/事務系一般職の内定者全員がひとりを除いて集合したのだそうだ。そのひとりっていうのが技術系唯一の女性らしい。一色はおそらく全員と初対面だったと思う。妙に関西人が多かったのといろんな意味でユニークな人が多かったような気がするのは人事の方の趣味だろうか。ま、そのお蔭で一色も内定を頂くことができたんだけどね。
 会社の方を交えての一次会の後、居酒屋に移って二次会、東京圏以外の人10名は茅場町に同じホテルを予約してもらっていたので荷物をおいて着替えた後ラーメンとコンビニでの三次会へと雪崩れ込んで行った。会社の方からいろんな話を聞けたけど、何よりも独身寮が個室だっていうのがわかって一安心(洗濯機のみ共用らしい。ということは冷蔵庫は共用ではないのかな。それもラッキー)。いやまじで二人一室だったりすると人生設計狂ってきかねんかったのでー。他の内定者の人々も好さげな人ばかりでよかったよかった。でも「関西人なのにおとなしいね」って言われて、そういう人もいるんですよぅ(稀に)。
 帰室後、懇親会は今日で終わりなので明日は一日フリーだということで、コンビニで買ってきたTOKYOウォーカーを見たり携帯電話いじったりしながら就寝。

 翌日は映画なんかも考えたんだけどここでしか観れないものを、と諭されて上野の東京国立博物館に行くことにした。十六夜くんや、元後輩のひとの家庭教師先の生徒(ややこしい)もお勧めのスポットだ。ポポポポンキッキーズをホテルの部屋で見た後チェックアウトして上野に向かう。ちょうど出勤ラッシュの時間と重なったのかえらい人。東京国立博物館は上野の公園の中に、科学博物館なんかと一緒にあった。確認してないんだけど西郷さんの銅像もこの公園にあるのかな? 着いたのは9:20頃でまだ入口は閉まっている。でも見ると開館は9:30らしいのでそのまま待つことにした。と、結構人が集まってくる。開館時には30人ぐらいはいたんじゃないだろうか。しかしコミケの入場待ちも経験しないうちから東京国立博物館の開館待ちをすることになるとはなあ。
 開館と同時に入館、取り敢えずコインロッカーに荷物とスーツの上を預けて中を見学。うーん、展示品もすごいが建物自体も大概すごいぞ。でもやっぱりそれを上回って展示品がすごい。仁王像に息を呑んだりガンダーラ仏に溜息ついたり教科書に載ってるままの遮光器土偶を観て嬉しくなったりマジもののミイラに驚いたりしながら、書は解らんので駆け抜けてもひと通り観てまわるのに4時間! それでもまだまだ観足りない思いだったのだけど脚が悲鳴を上げていたのでそこで断念した。あと、ミュージアムショップがひそかに充実していて楽しかったことも挙げておきたい。兜のペーパークラフトとか埴輪のマウスパッドとか、イカしたグッズが揃っていて好き者には堪らない。いや、収蔵品の紋様をサンプリングした手拭とか季節ものの絵葉書とか、ちゃんとした、思わず欲しくなったようなものも勿論あるので。入れてくれる袋のデザインもなかなかお洒落でまっとうなものだし。

 しかしこれで奈良と東京の国立博物館は制覇(?)したわけで。残るは京都だな。

おちなし(8/24 1998)

 週末は母方父方双方の田舎に帰っていたのだけど、父と名乗る人物(ていうか本物)が一緒だったとか、幾つかの要因があってあまり楽しいものでもなかった。ノルマをこなしただけという感じで、直前になって友人からお誘いをうけていたのにこの所為でいけなかった横浜行の方がきっとずっともっと楽しかったろうになぁ、実際むっちゃ楽しかったらしいなぁとブルーになってしまう。はぁ(これでは単なる愚痴だ ^_^;)。
 もぉこうなったら今週は民博の『大モンゴル展』に行くぞ。万難を排して必ず行こう。研究室の人の視線が一層冷たくなろうとも、きっと行ってやるぞと雨空に吠える一色さんでありました……。
 そんだけ(笑)。

おはなし(8/26 1998)

 旅行の時の写真が現像上がってきたのでこっそり掲載しておこう(123)。元々の目的が資料写真だし、レンズに指が大胆に掛かってたりするあたりアレだけど、熱海の裏道の急勾配、いや違う、亜細亜っぽさを幾らなりとも感じとって頂ければ嬉しい。因みに(2)の人物は左から順にたつろ君、K氏、十六夜くんだったりする。

 一色が大ファンで敬愛してやまなく、こんな常套句を並べるのも申し訳なく思うほどに素晴らしい大人(タイジン)であるHAGA KENさんの大推奨盤であるメトロファルス『俺さま祭り』を阿倍野のHMVで漸く発見、購入。
 HAGA KENさんのテキスト以外の予備知識を持たない状態でCDをラジカセにかける。と、初めて聴くようで、何処かで聴いたような、そんな響きが耳に飛び込んできた。アコースティックな音と個性的なヴォーカルを併せ、地に足ついた力強い音楽はささくれ立ったココロに染み渡り、カラダが自然に動き出す。いっぺんでファンになってしまったのだった。

 このとき一緒に買った本が以下の五冊。

 上の雑誌二冊について触れておくと、SWITCH特別編集は小嶺麗奈に関する記事があったため購入。『ユメノ銀河』で感じたのと同じ雰囲気をまとった写真が節度を保ったテキストともども大変好かった。そう、彼女はテレビの狭小な箱の中で消費されてはならん女優なんだ。加えて巻頭の、台北近郊を舞台にしたRingの写真が、石と木と鉄の潤いの中、胸がちくちくとするほどの余情を湛えていて素晴らしかった。太陽は表紙に惹かれて久しぶりに購入したんだけど、風にそよぐ布の写真って、やっぱりこころ安らぐものがある。頭の中で肌触りなんかを想像してしまったりしてね。こういうとき、自分は世界との関係を触覚で取り持っている人間なんだとつくづく思う。

美術部(9/13 1998)

 昨日は出身高校で文化祭が行われた日だった。ちょうどそういう時季らしく、他の学校でも行われていたようなのだけど。で、数年前からこの日は美術部のOBが集まって呑む日、ということになっている。今年も己の年を一番年長に5年間ほどのOBが全部で13人集合した。進学校の美術部という妙な場所の所為か、現在の身分もリーマンから京大生から大阪芸大生からプータローまでばらばら。でも男子校という暗黒の時代をともにしたためか連帯意識はかなり強い。ドロドロした人間関係もないしで、居心地はかなり好いのだ。
 美術室に何故か保管されていた新入部員勧誘ポスターを誰かが発掘してきたので見る。いっとき大ブームが巻き起こり、みんなで憑かれたようにB5の紙に色鉛筆で量産したものどもだ。膨大な枚数のおたくなバカネタにあの時は若かったなぁとか感慨にふける。ま、己にとってはこの時色彩設計の経験を積むことができたのが今でも財産となっているのだけど。中で特に現在でも己が気に入った一枚をもって帰ってきたのでこっそり掲載。我ながらすごい懐かしくも嬉しい。『モザイクな日々』の遊佐未森ですな。うんうん。思わず頬が綻んじゃうね。ホントは去年OB展ということで描いた(これは普通の)コウモリガサの作品ももって帰ろうと思っていたのだけど、そっちは失念していた。ちょっと残念。

 学校を出たあと駅前の居酒屋で呑むことにする。己の場合、呑むよりも食べることが先行していれば、あと男同士でならば(^_^; 悪酔いすることはまず無いんだよなぁ。でもやっぱ普段は華があった方がよろしいしなあ。うーん。
 2次会はカラオケだったのだけど部屋が一杯で己を含めた3人ほどがあぶれてしまった。しょうがないのでカラオケが終わるころまでまた呑むことにする。3人で眞露などを嘗めつつ今日の面子の人物評。人に心配してもらうことを強要する人間はやっぱりアカンという合意に達した。そうなんだ。己も屑は屑なりに(自分の絶対的な弱さは認めた上で)カッコ付けつつ強く生きていくしかないのだろうな。というか相手に自分のことを判ってもらいたい時に自分の方でひねくれてちゃしょうがない。

 ここしばらく、己が精神的にボロボロだった頃、とか己なんかが言うと憂国の徒に斬られかねんけど、鞄の中に放り込んで折につけ眺めていたのが角川文庫の『中原中也詩集』。購入した当時、高校生だった己には日本語としては理解できても心情としていまひとつ実感できなかった言葉の一つひとつが、いま読むと真水のようにココロに滲みてゆくのが感じられる。と同時に、己はこう言った作品を描きたいのだとも思った。傷つきのたうちながらも今自分の生きている世界と対峙し、生活に地に足付けながらも一塊の誇りと祈りを失わないような、そんな作品。

 今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
 実は、元気ではないのです。

 近代(いま)という今は尠くも、
 あんな具合な元気さで
 ゐられる時代(とき)ではないのです。

 諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
 しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

 ほがらかとは、恐らくは、
 悲しいときには悲しいだけ
 悲しんでられることでせう?
 されば今晩かなしげに、かうして沈んでいる僕が、
 輝き出でる時もある。
 さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
 不思議みたいなもんだねえ」
 が、冗談ぢやない、
 僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。

(酒場にて)


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