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ものづくし

(9/23 1998 〜 10/15 1998)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
非凡ながら平穏な日常、かな?

オデュッセイア(9/23 1998)

 きのう22日の朝おそく、学校にへろへろ行ってみたところ中百舌鳥の駅から地上に出た途端風雨に見舞われた。そういや天気予報で颱風が近づいてるって言ってたなあと憶い出す。そうすると研究室に行く気がいきなり萎えてしまった。とりあえず学生会館まで辿り着いて、缶コーヒーを飲みながら今日は欠席しますというメールを携帯から打つ。で、帰っちゃうことにした。
 上本町13:40発の近鉄大阪線急行に乗る。プラットフォームには風が強い場合運転を見合わせる場合があります、とかいう心細いアナウンスが流れていたのだけど、あまり気にも留めなかった。だいいち外は雨も止んでしまって、学校さぼったのが申し訳なくなるくらい。14:00頃列車は大和川を渡る。確かにわりと増水はしているよう。あとはトンネルを越えれば奈良県だ、というところで唐突に電車は止まった。
 なんでも風が強くなってきたため全線で運転を一時見合わせているらしい。ドアの側に立っていたのでぽーっと待つ。……退屈。携帯いぢるぐらいしかすることが無い。そのうち15:00くらいに車内の電灯が消されてしまう。車内に吹き込んでくる風も強くなってきたんで、こりゃ本格的になってきたなあと床に座り込んで、腰を据えて待つことにする。危険ですので窓のカーテンを下ろしてくださいという車内放送。車内がさらに薄暗くなる。というかドアの側って危険じゃないのか? でも気にせず座り込んでたけど。外の風雨は一層強まってきたよう。窓硝子がびりびり震え、車両自体も横に揺らぐ。船の中にいるようで、外の様子や世間の様子が伺い知れないのも加え、なんか不安な心持ち。もっともいちばん激しかったのは30分ほどで、やがて外の雨もおさまった。
 15:50頃、颱風は滋賀の方に通過したとの車内放送が入る。いま線路と架線の点検補修をしているらしい。まだもうちょっと掛かるのかな、でも颱風自体は通過したんでちょっと落ち着いて列車が退避していた、国分駅のプラットフォームに降りて手洗いに行く。で、ちょっと考えた。トンネルの向こう側ならてろてろ歩いて帰ってもいいんだけど、さすがに山越えをする気はない。かといってタクシーだと結構な料金になるだろうし、それも勿体ない。結局そのままプラットフォームで運転再開を待つことにした。携帯いぢったりうつらうつらしているうちに外はだいぶ冷え込んできた。ただでさえ朝、雨に濡れてるんだから風邪ひくぞと思って車内へ退避。ふぅ、なんか険悪な空気(笑)。己としてはまだ車内に残ってるってことは、タクシーに乗る金もなければ迎えに来てくれる知り合いもいない愚か者だってことなんだから、今さら苛々してもしょうがないやん、とか思うんだけど、どうなんだろうね。車内ではシートに座ることができて18:30頃に電気が再点灯されたので鞄から『寺田寅彦随筆集』などを取り出してのうのうと待つ。
 19:20頃、窓の向こうに見える大阪行きの列車が動き始めた。程なくして入る車内放送。みんな希望に胸を膨らませて聞く。いわく、国分〜上本町間は運転再開。国分以遠は倒木のため運転再開のめど立たず。よってこの列車は当駅までで運行中止とします。
 おいおい!
 列車を追い出される。さすがに思うところが無いではなかったけど、駅員に狼藉を働いたところでどうなるわけでもないので、駅を出てJRの方の駅に行ってみた。JRでは高井田〜王寺〜下田という経路で家のわりと近くまで行けるはずなので。ところが、と言うかやっぱりJRもまだ復旧してなかった。しゃあない、タクシーで帰ろ、と高井田駅のロータリーにあったタクシー呼び出し電話を掛ける。すると空車は無い、颱風だからみんな引き上げてしまったとのこと。おまえは釣り船かぁ(^_^;。笑ってしまうほど手詰まりの状態になってしまった。途端に携帯も繋がらなくなってしまったしで、まさに踏んだり蹴ったり。他にどうしようも無いので近鉄国分駅に戻り、タクシー乗り場の列に並ぶ。待ちはじめて1時間ほどで自分の前に並んでいた人が2/3程になった。タクシーに乗っていったから、じゃない。諦めて立ち去ったり迎えに来てもらったから。先回りして言うと、このあと3時間半ぐらいタクシー待ちの列にならんでいて来たタクシーが全部で2台。なんだかね。やっぱりちょっとアレだよな。しかも迎えに来た車でロータリーは大混乱。警官もピカピカ光る棒を持ってやって来たんだけど、まさにただやって来ただけという状態(笑)。ま、今さらポリにはなんの幻想も抱いちゃいなかったからどーでもいいけど。
 結局、23:30に近鉄大阪線が桜井まで復旧/開通したのでそれに乗って、24:30頃に漸く(!)帰宅することができた。うーむ。帰宅って、実はすごい重みのある言葉だったんだね。オデュッセウスの気持ちがちょっとは判ったような。で、今回の教訓。

 泣く子と大自然には逆らえない

 おそまつさま。

気がつけばもう、世の中は当たり前のように秋じゃないか(9/27 1998)

 うーん、HAGA KENさんの9/22-9/23のテキストには考えされた。といっても私はまだまだガキだから、そういうものなのかぁ、と口をポカンとさせつつ右手を頬などに添え、首をちょっと傾ける他ないのだけど。いやはや。

 ある夜、唐突に思い立って書架の整理を始めることにした。この書架、観音開きの扉が付いているので外見は都合がいいのだけど、中はおおかた大変な状態になってしまっている。さすがに全部を整頓するのは体力が保たないと判断して今回は大きくコミック、雑誌、書物に三分される棚の、書物の部分を整理することにした。すると本とはまるで無関係ながらくたが大小取り混ぜて出てくる出てくる。SCSIケーブル2本とかぷよぷよの縫いぐるみ×3とかキツネのお面とか。中でも一番仰け反ったのが平成6年9月1日付の千里中央発北大阪急行の切符。うわっ、これ初めてのデートのときの遺物だぞ。なんかむっちゃ嬉し恥ずかしだなぁ……って全然嬉しくない(笑)。でも結局棄てるでも無く、またしまっておくあたりナントモハヤ(^_^;

 閑話休題。
 本を取り敢えず全部外に出してしまってから出版社別に並べてしまってゆく。序でに勘定してみると現在の蔵書数は単行本31冊、新書9冊、文庫319冊の合計359冊らしい。去年なんか殆ど読んでないんで、偉そうなこと書いてるわりにはちょっと恥ずかしい数字かも。でも少ないなりに、しまってゆく内に印象深い本が目に留まって思わずページを繰ってしまったりして仲々はかどらない。でもこれが本を整理するときの楽しみであり、隠れた目的なのだろね。

 どうせだし、それらの心に留まった本を少し書き散らしてみようか。
・荒俣宏編『魔法のお店』、タルホやウェルズ、ラファティらの、お店にまつわるちょっと不思議な話を集めた好い雰囲気のアンソロジィ。実に質の高い好い本。何刻かは自分もとっておきを集めた宝石箱のようなアンソロジィを編んでみたいもの。
・上野瞭『ひげよ、さらば(上下)』、児童文学と言うにはかなりシビアな、夢のような共同体の成立と崩壊の物語。取り敢えずこの本を読ませたい男をひとり知っているので、彼奴の卒業式までにもう一揃い見つけておかなきゃならんなあ。
・植草甚一『古本とジャズ』、昭和の頃にはこんなとびきりダンディで素敵な老人が居たのだ。とにかくこの人の文章はもっと読んでみたい。昌文社から選集が出ているようなので揃えようか。歳とったら植草甚一=J・J氏や天本英世のような爺さんになりたいものです、ホントに。
・……ああ、これこれ、松田道弘『奇術の楽しみ』。初めて読んだのは小学生の頃、ちくま少年図書館の一冊として学校の図書室でなのだけど、この本との出会いが私の人生を幾分か変えてしまったのかも知れない。その後ちくま文庫で入手し現在に至ってるのだけど。現実や固定観念といったものを哄笑とともにひっくり返してしまう奇術(トリックや物語や映画を含めた遊戯的なる物の総称として)の系譜を読み、私はフィクションこそが世界を変えることが出来るのだという思いを得、現実に対して距離を保って眺める術も学ぶことが出来た。こんな素晴らしい書物を小学生のうちに読むことが出来たのは、確かに或種の幸運だったのかもしれないね。

 そうこうしているうちにひと通り本もしまい終わり今回の書架の整理は終了した。綺麗に整った背表紙を眺めながらコーヒーなどを飲むのはなかなか愉悦に溢れた満足げな時間ではある。尤も、すぐに乱れるんだろうけどね。秋が終われば冬が来るように。なんせ熱力学第二法則だから。

 李学仁氏の御冥福をお祈りいたします。人は天命には遂に抗えないものだとしても。以て瞑すべし。

幕間狂言(10/15 1998)

 去る9/28頃に累積アクセスカウントが60,000を越えた。ありがたいことですm(..)m
 だけど、そのうちどれだけが学校関係の内輪の衆なのだか知らんけど、迷惑撒き散らされて鬱陶しいだけだから君らはもう二度と来んでいいよ。自分の都合のいいときだけ(不都合でないときだけ)友人ヅラされてもねぇ。
 同情されるよりは軽蔑される方が余程好い。束縛されたり頭を押さえつけられたりせずに済むから。その意味じゃ、今の状況は好ましいものといえるのだけど。

 で、話は途端に砕ける(笑)。
 しかし『はれときどきぶた』が終わってアニメを観ることがなくなったね。けど、『はれぶた』の最終話はホント好かった。ラッドな演出は相変わらず暴走していたし、何よりも脚本が今を生きる子供たちに向けられたものだったから。
 答えや未来は誰も与えちゃくれないしまだ何処にもない。ぼくらは「考え続ける」ことしか出来ないけれど、総てはきっとそこから始まる筈だ(Future exists no/w/here !)。
 グルグルにしても思うのだけど、いまやピュアな感情の発露はスラップスティックの中でしか成立し得ないのじゃないだろうか。


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