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ものづくし

(10/21 1998 〜 11/24 1998)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
私の上に降る雪は/いとしめやかになりました…

読むもの・読むこと(10/21 1998)

 実は、と勿体付けるほどたいした事でもないけどいま、大学の卒業研究がたけなわだったりする。
 私の研究の場合、内容はおおよそ実験してもの(正確には高分子膜)を作り出すフェイズと、出来たものをあれやこれやの機械で測定するフェイズとに二分される。拘束時間からいえば実験するフェイズの方がずっと長くて、11時から機械を廻し始めて終了するのが21時ということもある。ところがその間することと言えばほとんど装置のお守りだけで、加えて最近使っている熱蒸着装置というのが旧本館という名の離れにあるため、講座に戻ってパソコンいぢることも出来ない。結果として、ありていに言えばはなはだ暇な時を過ごすこととなる。測定フェイズだと研究所内を駆けずり回って(おおげさ)いろんな測定機器を廻すので、変化に富んだ能動的な時を過ごすことが出来るのだけど。だから最近では要領よくなってきて、文庫本を持ち込んで無聊をなぐさめる、ということを覚えた。今回持ち込んだのは『寺田寅彦随筆集(2)』。これが何ともすごい読書体験となった。
 いい具合に古寂びた建物の中の、真空ポンプの動作音と冷却水の流れる音のみが満ちた、外界と隔絶されたような薄暗い室内。そこで読む寺田寅彦は実にすっぽりと、当たり前のようにはまってしまったのだ。
(こういう、周囲の状況と読んでいる本の内容とが、たまたま幸運にもシンクロしてしまう至福の時間というのはこれまでに二度ばかり体験している。一度は冬の夜、暖かい室内でホットチョコレートを飲みつつ、HarmoniodeonをBGMとして読んだ長野まゆみ『天体議会』であり、もう一度は夏の夜に田舎に向かう途上、通過待ち合わせのため長い長い休止をとっている汽車の中。窓の外を見遣ればまん丸な月が山の上に顔をのぞかせているという、それこそタルフォイックな大気の中で初めて読んだ稲垣足穂だった)
 寺田寅彦の文章は物理学者としての科学的な明晰さ公正さと文学者としての俳味との幸福な結合であると感じる。相対性理論と量子論とが人びとの時間と空間に関する概念を根本的に覆しつつあった、まさにその時代にあってもそれらは驚くべきことに保たれている。そんな魅力ある文章によって端然と述べられる、電車の混雑や線香花火の火花といった、現実世界の種々の事象に対する物理学的な考察を私は特に面白く読んでいた。ところが読んでいるうちにふと気づいた。
 先ほど述べたように物理学者寺田寅彦の生きた時代は物理学にとって大きな転換期にあたる。そうした、宇宙のありようさえ幾つかの法則ですべて説明できるかもしれないという熱狂の中にあって、ひとりいわば些事にかまけていた寺田のやり方は現実世界とは没交渉な、趣味的なものと見られていたろうが、いま改めて読めばそのやり口、モデル化と統計学的手法による現実世界のシミュレーション、は今やまんま計算機による数値解析として日常行われていることであり、すっかり実学の領域となっているのだった(ゲーム『TOWER』のエレベータの運行なんか、まるきり寺田的だもんな)。
 最後にひとつ空想する。果たして寺田寅彦がいま生きていたなら、彼はそのやり方を今もなお続けたろうか、それとも他の人間が関心を払わない題材に、まったく独創的なアプローチを淡々とおこない続けたろうか?

草の海(10/31 1998)

 今日、漸く民博大モンゴル展を観に行ってきた。
 中にモンゴルの民族衣装を試着できるコーナーがあるため、館内を民族衣装を着た娘さんなどがうろちょろしている。車座になって遊んでいたり、馬糞を拾っていたり、楽器を爪弾いていたりね。これが何ともすごい眺めで、見ていて思わず頬が緩んでしまう。館内の照明も、草の海に実際に立って雲が流れゆくのを感じるようにあるときは暗くなり、あるときは明るくなる。そうしているうち、ほぼ円形の二階建てとなっているこの展示室全体がひとつのゲルのように思えてきた。ゆったりとした時間の中で五感がゆっくりとほどけていくのが、だけど判然と感じられる。
 ノマド(遊牧の民)の生活にはわけもなく焦がれてしまうものがあるのだけど、それらは勿論のんべんだらりとした都市生活よりも余程システマティックに合理的に、そして厳しく作られており、私などにはとてもそんな生活を送ることは出来ないだろう。悲しいけどね。だからせめて精神だけでもノマドでありたいと思う。人からは強く自律し世界に対しては謙虚に、ひとつ所にとどまることなく暮らしてゆく。
 常設展示の方も前回訪れたときには改装中だったところが「ものの広場」として完成していた。ここは実際に資料を手にとって見ることが出来るところで、ひらかれた博物館としての思想がより鮮明に打ち出されているように感じた。
 今回はあまり時間がなかった(到着したとき、閉館まで2時間しかなかった)ので大モンゴル展の期間中にもう一度行けたらと思う。コスプレもやっぱりしてみたいし(笑)。無理かなあ。

FAQ(11/1 1998)

 一色にまつわるFAQをひとつ。

 Q:どうしてまだ生きているのですか?

 A:小学生の頃は二十歳までに死ぬ予定だった。それが大学に入って三十までに為すこと為して死ぬこととなり、地震後の今となっては、心の底から安堵できる作品を描いた後に死ぬことにしている。結局のところ、軟弱にものうのうと生き続けているのだ。だけど、どれにしろ、死ぬときは自分の意思で死にたいという気持ちは延々と持ち続けている。
 でも、そう。
 描き終えたとき、心の底から安堵できる作品というのは恩寵の尽きる前に何とかして描きたいと願う。神にでもなったかのような皮相な昂揚などではなく、ね。その瞬間さえ体験できれば、そしてその作品が百年遺るのならば、もうこんなクソッタレの世の中などに用はない。

冬が来るまえに(11/5 1998)

 朝、外に出ると昨日までと大気の匂いが違っていた。鼻腔がつん、となる。冬の匂いだと感じた。耳を澄ませば、はるか上方を吹き抜ける風の音。

 いま描いている作品『錆の砦』はまだちょっと気合いが乗り切らないので下描きのまま放置している。並行して年賀状の方もそろそろ取りかかり始めなきゃなと、講座の端末からwebで資料収集。検索エンジンって、百科事典的、辞書的な使い方をしようとするとてんで使い物にならないけど、こういう用途なら案外有用だね。20枚弱の画像(中身はナイショ)を入手できてほくほく。んー、やっぱむっちゃ可愛いなあ。

 一方、卒業研究は相変わらず迷走している。「船頭多くして舟、山を登る」という諺がある。何事も、多くの人に指示を仰げばやってやれないことは無いという意味なのだけど(嘘)、ちょうどそんな状態なのだ。こう言うのは私がいちばん苦手とする状況で、うーむ、困ったなぁ;

【追記】
 この時収集した20枚弱の画像は結局使わなかったね。でもやっぱり中身は内緒。将来使うかもしれんし。『錆の砦』は相変わらず放置されてます。もしかしたら最初からやり直すかもしれん。トホホ。
(1999 3/6)

雌伏千年(11/8 1998)

 とかいいつつばかネタ集(笑)。

 野村克也も、タイガースの監督になった途端に「全員一丸となって」とか「チャレンジャー精神で」とか言い出さない保証はどこにもないよなぁ。  

 リブロポート出版事業から撤退&トレヴィル解散してたの? それはなんだかすごく困る。或種の作家性の強い作家の作品集や写真集が(興味本意ではなく ……メインストリームから離れたところに存在しているものをサブカル系とひとからげに括って紹介するやり方って好きじゃないなぁ。なんかすごく傲慢で、差別的な物言いをすればオタク的やん?)あるがままに出版されるチャンネルがひとつ減ったわけだから。中央公論社のアレも困ったもんだしなぁ。うーん。

 TAKEO KIKUCHIを「きくたけ」って略したらやっぱりアカンのかな?

 デジタルスモーキングってあるやん。アレってどう思う?
わたしゃ、ああまでして煙を喫いたい人こそ禁煙すべきだと思うのだけど。それとも将来、副流煙による健康被害で訴訟を起こされたときのためのアリバイづくりなのかな? よう判らんなぁ。というか頼むからもうちょっとデザインコストかけてくれ(笑)。

 フィロメーターの針は少しずつ傾いている
 学ぶことがたくさんある。失なうものがたくさんある。
 本当の幸せは目に見えないものだと気付く。
 だから薄笑いを浮かべながら軽蔑を
 支払うなんて事も2度としたくない。

(村田蓮爾『ZIGZAG』)

過去の未来(11/13 1998)

 今日、化学工学特殊講義2という授業の一環として工場見学に行ってきた。行ってきたのは臨界工業地帯の三井化学の敷地内にある大阪石油化学の工場。おそらく他所さんの工場を見に行くのはこれが最後になるんじゃないかなぁ。中でも特にナフサからエチレンを精製するプラントを中心に見学させていただいた。

 んー、なんて言うんだろ?
 石油化学コンビナートは広大な敷地の中にステンレスの反応塔や貯蔵タンクが整然と建ち並び、ロジカルが支配している空間だった。産業と学問とのあわいに成立したようなその光景は確かに日本離れしたものだったのだし、私が実際に見たのも初めてだったのだけど。だけど、私にとってそれはすごく、甘酸っぱいほどに懐かしい光景だった。むかしむかし食い入るようにみた、14吋のブラウン管に結ばれた映像。着ぐるみの怪獣に蹂躙されていた舞台そのものだったのだから。
 いつの間に私たちは追い越してしまったのだろう。これから何処まで行くのだろう。
 なんだか切なくなるほどのノスタルヂイを感じてしまったりして。
 そして多分、化学工学って言う学問分野も……きっとね。

そういえばのコーナー(11/24 1998)

 ピザとiMacどっちを選ぶ?

 と問われれば確かにiMacのある生活の方が楽しそう。特に私のようにピザと聞いて宅配ピザしか思い浮かばない人にとってはね。でもこれを、月に一度はおいしいランチを食べ、半年に一度は好い店にディナーを食べに行く生活だと読み替えたらiMacを選ぶかどうかは結構微妙なラインになると思うのだけどどうだろう。
 個人的にiMacのデザインでいちばんすぐれていると思うのは正面から見ると普通のディスプレイ一体型のパソコンのように見えるところ。そういう意味では一見奇抜なだけのようでいてかなり老獪なデザインだと思う。エバリは効かないけど、きっと人生に潤いを与えてくれると思わせるデザインというのは、クルマなんかを含めていまやすっかり工業デザインの主流となっているのかな。
 食事を我慢して買うってのとは別の意味で、iMacを触ること自体が美味しい物を食べたり、美しいものや人を見ることと同種の快楽になった、ようやくそこまでパーソナルコンピューティングの文化(のようなもの)が成熟したというのならというのなら嬉しいのだけど。尤も、コンピュータなんてのは自分の手足が伸びたぐらいに考えておけばいいんだけどね。電気騎士みたいに(ナンの話だ ^_^;)。
 iMacに関してもうひとつ言っておくと、環境負荷が大きいポリカーボネイト樹脂を使用しているという理由で日本グッドデザイン賞を与えなかった選考委員会も立派。この事を知ってちょっと見直した。
 あ、川崎和男先生が強硬に反対したのか。なるほどね。


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