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ものづくし

(3/12 1998 〜 3/21 1998)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
いま赤裸々に語られる激動の日常(嘘)!

就職かつどん(3/12 1998)

 しかし会社訪問を始めると交通費がかさんでしょうがない。お金に羽が生えて飛んで行くね。そのうちがま口を振っても砂しか出てこないようになるかも知れん……って、なんで昔の漫画みたいな表現なんだか(笑)。情報の対価と考えればそれなりに納得がいかなくもないけど、うーん。

 3/9は京都にてオムロンソフトウェアのセミナー(学生数:80人ぐらい)。ファームウェアと聞くと、電気炊飯器とかせいぜいカメラぐらいしか思い浮かばなかったのだけど、言われてみれば確かにATMも自動改札機も組み込まれているソフトウェアはみんなファームウェアなのだった。そういった、オムロンの製造した機器に組込むソフトをメインとして開発してはる会社だと説明を受ける。おおまかな話とビデオ上映の後、4、5人のグループに分かれてSEの方に社内を案内して頂く。情報サービス系の企業を見学するのは初めてで少しドキドキしたものの、ATMとか無人契約機なんかが平然と転がっているのを除けば普通の会社風の光景でちょっと拍子抜け(草津の研究所だと自動改札機が転がっているそうで、これはシュールな眺めかもしれない)。あと伺った中では交通管制システムに関する話がスケールが大きく興味深かった。それとひっそりとおかれていた「弁当注文用端末」と書かれたノートパソコンにほのかにサイバーな生活感を覚えたりもして(笑)。
 帰途、アバンティ6Fの常時50万冊なブックセンターでAXISを購入。
 3/10は堺筋本町というか船場で日清紡のセミナー(学生数:40人ちょっと。但し全員化学系だったらしい)。なんだかすごく年代物のテレビでビデオを見た後、話を伺う。ブレーキパッドやABSなど繊維に限らない幅広い事業展開を知ることができ、また対象の学生が化学系に絞られているためか結構突っ込んだ話も聞くことができて有意義だった。また、来ていた学生の大学が偏っていたのか(うちのガッコはたぶん俺一人だったと思うけど)妙に和やかなムードで進行していったのも可笑しかった。技術的なおもしろさもさることながらジョブローテーションシステムや国内留学など、技術屋の環境として考えても理想的で、情勢的な厳しさもあるにせよ繊維ってなんか好いよな、やりがいが有りそうだなと憧れてしまったのだ(笑)。OBの名簿も頂くことができたので今後は少しこっちから動いてみようかと思う。
 3/11は本町でオージス総研のセミナー(学生数:80人弱)にいったのだけど、うーん、ここは正直これまでで一番パッとしないセミナーだった。抽象的かつ大雑把な話がほとんどで実際の業務に対してのcase studyが殆どなかった所為もあるだろうし、暖房が利きすぎていたり段取りが悪かったりといったしょーもない理由もあるだろうけど、とにかく何だかフィーリングがあわなかったのだ(強調しておくけどあくまで個人的に、ね)。ただ、このセミナーで初めて適性試験というのを受けた。内容は作文と国語・算数に関する一般教養(マークシート)。ま、この経験は後々のためになったかと思う。

学推(3/15 1998)

 オージス総研の適性試験だけど無事合格していた。というか翌日いきなり留守電が入っていてちょっとびっくり。マークシートだったからもうちょっと日にちが掛かると思っていたもんで。

 3/12は住吉へ栗本鐵工所の工場見学に行った。学生数は11人、うち8人は前回のセミナーで一緒だった人達だったのでなんとなく和やかな雰囲気。工場見学って、わくわくするよね。社会見学気分なんだけど、縁が有れば自分の職場になるかもしれない場所なので緊張感もあるし、それらを含めてなんか好い。この住吉工場は鉄構事業と機械事業の製造を行っているそうで、水門の巻き上げ機やら反応器やら鍛圧機やらが組み立てられ動かされていた。殆ど総てが特注の機械ということもあって製造ラインというよりは作業場という感じで一つ一つ組み上げられており、どれが製品でどれが工場の設備なのやら判別しがたかった(笑)。工場の建造物の上部をクレーンが渡されている光景を見ると、思わず心の中で「うおっ、パトレイバー!」と叫んでしまう。ドワーフと言うか、昼間のパパと言うか、なにしろとにかく男の職場だと感じた。あと、帰りのバス、電車の中で他の学生とすっかり仲良しさんになってしまったのは嬉しい余祿。
 3/13は西院(右京区)でロームのセミナー(学生数:10人)。今回はむしろ俺がイケてなかった。いきなり迷子になってしまって大弱り(笑)。で、説明会。説明をしてくれはった人事の人はなんだか自信満々の人で、うちはDRAMしか造ってないような他の国内メーカーとは違う。今さらシステムICの開発に手を染めて追いつこうとしてもすぐには無理だろうと強調していた。まあ、ロームだから認めざるを得ない気はするね。
 ただ、俺はそもそも応募できないかもしれない気配になってきた。というのも自由応募、学校推薦の両方で採用活動は行うけど、例えば同じ学校、同じ学部、同じ学科で一人が学校推薦で応募していた場合、自由応募でもう一人が応募したとしても化学系は元々採用枠が少ないから二人とも採用することはまずない。かといって学校推薦の応募者を落として自由応募の学生を採るわけにはいかない(学校からクレームが付いたら困るから)というのだ。しかもうちの学科の場合、学部生の学推振り分けは四月以降、研究室に配属されてからなのだけど修士の学推はもう振り分けているらしく、風の噂(笑)ではロームの学推ももう誰かの手に渡ったらしいのだ。むーん(-_-;。いや、ロームはそんなに惜しくはないんだけど(会社としては魅力的だけど、回路設計はちょっと俺にはキツいかな、と)他の企業もそういう方針ならかなりアレだよなぁ。無駄足踏むのも嫌だし、いっぺん就職担当の教授のところに押し掛けて現在学校に来てる学推の状況を聞いておこうかしら。しかしなぁ、とんだところでとんだ壁が現れた感じ。しかもその壁はやたら厚くて高い(ぶひー)。
 帰り道もまた迷子になってしまうあたり、つくづくイケてない一日だった。
 3/14。そんなショックが抜け切らないまま阿波座へステラケミファのセミナーに行く(学生数:40人弱)。ここはフッ素化合物を専門に生産されているメーカーで、その分野では世界で五指に入ると話を伺う。フッ素化合物というのは例えばフッ化水素(HF)の形として半導体のエッチング剤や洗浄剤として、或いはさらに他の化合物と化合することによってリチウムイオン電池の電解質や非石英ガラスの光ファイバーの原料となるのだそうだ。当日は一次選考の申し込みをしてきた。今のところ、それが非情報サービス系の企業では始めての試験になる予定。んーと、そんな処かな。

努力は報われず正義は滅びる。されど挑戦の日々を続けよ。(秋山仁)

無礼講(3/21 1998)

 そーか、三月生まれだったりすると四大卒でも二十歳で就職活動していることになるねんね。なんかすげえや。俺なんて23だぞ(笑)。

 16日は近鉄特急に乗って名古屋へ大同特殊鋼の工場見学に行ってきた(学生数:12人)。午前中は本社でビデオを見て説明を受ける。驚いたのは人事の方がすごく技術的な知識をもってはること。俺なんかより余程持ってるぞ。で、味噌カツをご馳走になったあと知多工場へ向かったんだけど、その昼食の席で同じ学校の人(材料工学の修士の人)が二人居はることが判明。一躍最大勢力となったのだった(笑)。そうそう、就職活動をはじめてから気付いた(そして少し驚いた)んだけど、修士の人でも結構企業セミナーとかに参加してはるんやね。今回なんかは12人中9人が修士の人だった。話戻って知多工場の見学だけど、これがもうすごかった。製鉄所の工場見学は小学生のときに(今はなき)堺の新日鐵に行って以来だったのだけど時の流れの中で薄らいでいた記憶が見る間に蘇って来る。精錬行程において原料となるスクラップをちょうどUFOキャッチャーのよう、掴んで電気炉の中に放り込むと水蒸気が一気に沸き起こる。「鉄は国家の礎である」という或種使い古された言葉が明瞭な形をとって目の前に突きつけられた思いだった。その後も圧延行程なんかも一通り見学させていただいて、その後星崎工場に移動して、そこでは研究所を見学した。途中、技術系社員の方との懇談があったのだけど、長机を挟んで向かい合わせに座ったりするとやたら緊張するね。顔が引きつってるのが自分でもわかってしまう。
 俺の場合いわゆるメーカーを節操なく回っているわけだけど、思わぬところで全然関わりのなさそうな業種が繋がって来たりすることがある。『ごみ処理』と『ガソリンエンジン後の自動車』なんかがその最たるキーワードだね。どっちについてもそれぞれの企業が培ってきた技術によるアプローチが見えてきて面白い。特に今回の大同特殊鋼なんかは、ごみ処理に対しては電気炉の技術を生かしたアーク式ごみ焼却灰溶融システム、自動車関係ではEVのモーター用磁石と水素吸蔵合金などによるアプローチを行っていると伺った。中でも水素吸蔵合金はEVとしてはNi-H系バッテリとして、そして燃料電池、或いは水素エンジンにおいても鍵となる材料なのだということで深い興味を覚えた。
 それにしてもなぜ地下鉄東山線には網棚がないのかとか、なぜ名鉄は列車通過待ちのときにドアを閉めるのかとか、なぜ近鉄名古屋駅のホームにはあんなにたくさんの売店があるのかなど謎は尽きない。
 17日は肥後橋で沖ソフトウェア関西のセミナー。特筆すべきは友人と一緒になったこと。彼女のリクルートスーツ姿を見るのは始めてで、うわっ、すごい別嬪さんやーと感心しきり(笑)。それはそうとオムロンソフトウェア株式会社が略称OSKで、この株式会社沖ソフトウェア関西も略称KOSKなんやね。室蘭工大も武蔵野工大も略称がMITみたいなもんで、ソフト屋さんは日本歌劇団が好きなのだろうか(違うって)。
 18日も情報サービス系が続いて、梅田でジャステックのセミナーと適性試験(学生数:30人)。今のころ予定の入っている中では唯一の独立系情報サービス系企業(あ、ナムコがあるか)ということもありこれまでとは違う立場からの話を伺うことが出来て知見が広がった気がする。ただ、新梅田シティ高層階の会議室という場所に加えて立て板に水に東京弁で喋る人事の方と、やや道具立てが揃いすぎている感はあった(むちゃくちゃ主観的な意見)。試験内容は筆記で国語、算数(パズル含む)、英語といった感じ。
 19日は午前中はオムロンソフトウェアの選考試験を受験した。筆記で国語、英語、算数、あとパズル。総じてこれまで受けてきたのよりもやや難易度が高いかな、と感じた。パズルてのはソフトウェア開発の適性を見るのであろう、数字をフローチャートに従って入れ換えたりするやつ。特に今回はポインタ的な要素もフィーチャーされていて頭がひっくり返りそうになった。
 終了後大阪にとってかえして今度は心斎橋で住江織物のセミナー(学生数:14人)。ここは衆議院の椅子とか迎賓館のカーペット、或いは新幹線の座席なんかを納入してはる内装関係のメーカーで、こう言った隠れた存在の企業を知ることができるのが就職活動の一つの楽しみではあるね。うーん、企業として誠実そうな感じで、デザイン関連職への異動が出来るってなら魅力的な企業ではある感じ。
 20日は四つ橋線本町で日本IBMのセミナー(学生数:たくさん)。営業、SE職希望者対象ということですぐそばの大阪支社で働いてはる社員の方の講演を聞く。たとえばSEの方の今週一週間の出勤時間/退社時間とかの、ともすればネガティブな情報をもざっくばらんに聞くことが出来、却って自分の仕事に対するやりがいや自信のようなものをより強く感じることが出来た。ただ、一般的に言ってセミナーの場合、学生数が20人ぐらいと100人ぐらいとでふたつ壁があるね。それらを越えるとどんどん形式的な余所余所しいものになってゆく。プログラム終了後に設けられたこの春入社しはる内定者との懇談の方がいくらかミになる話を伺え、有意義なものだった。へー、今は入社前に配属地がもう決定してるんだ。
 その後一旦うちに帰って夕方、うちの学園祭実行委員会の追いコンに参加。総勢60人以上という大所帯で居酒屋の二階を占拠、まあなんというかいかにも学生らしい呑み会となった。個人的には久々に会ういろいろな人とお話できてすっごく平和で幸福な楽しい時を過ごすことが出来た。で、俺の場合もう若い子にはまったくもって顔も名前も売れてないので
「名前知らないセンパイ、ご卒業おめでとうございます」
「いや、まだ卒業ちゃうんよ」
とかまぬけな会話も交わされることとなる。その後貸部屋とかいう、雑居ビルの中のよくわからないところに移動してさらにディープな世界が繰り広げられ、ミナミの夜は混沌の内に更けてゆくのだった。


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