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ものづくし

(8/21 1999 〜 10/21)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

YSSIKI meets DOYLE(8/21 1999)

 他の街では碌なのを掛けてないし、映画以外の理由で滞在するには人が多すぎる。だから私にとって渋谷の存在理由は、もはや映画館に集約されることとなる。
 で、今回は『ラン・ローラ・ラン』と迷った挙句『孔雀』にした。以前シネアミューズで『突然炎のごとく』を見たときに次回上映作として予告をしていて、そのときにきっと観に行くぞと心に決めていた。何が心を捉えたのかと言えば、浅野忠信主演だってこともあるけど撮影(監督と脚本も)が杜可風(クリストファー・ドイル)だからなのだろう。

 97年のあたま頃、私の画を観て『楽園の瑕』という映画を憶い出した、という電信を貰ったことがある。それが杜可風との初めての接触になる。『楽園の瑕』自体はついぞ観ずじまいに終わってしまったのだけど、スチルでみた砂漠に立ちつくす剣士とその上の蒼い空は荒涼としていて純粋で、何故か記憶に残っていた。次の接触がAXIS 97年9月号の特集『More than color』に於てだった。チャイニーズレッドのヒカリに包まれたスチルが心地好く心に響いた。その後写真集『BACKLIT BY THE MOON』を購入して私の心の共振はいよいよ強まっていった。

 [そこ]はいつも光が差し、風が吹いている。だけど[そこ]はいつも街の底で、どれほど騒々しかろうとも結局のところはかない。わけもなくなく心地好く、どうしようもなく切なくて懐かしい場所。

 そして漸く今回、杜可風の撮影するところのフィルムを観ることができた。そして培った想いは裏切られなかった。
 物語は(これもまた)記憶にまつわるものだった。凡てを記憶し続ける男と総てを忘れ続ける男。だけどデタラメすれすれの骨格の中で無造作に放り出される詩のようなシーンの数々に流されているうち、そんなことはどうだっていいように思えてくる。んー。たとえばポストカード形式の写真集などを想像してみよう。受け手が情景のあれこれを自由に選べばいいし、何なら並べ替えても構わない。騒々しくノイズに溢れ、お互いに無関係に見える景色の数々も、根底では繋がっているはずだから何らかのテーマを読み取ろうとすることも勿論可能だけど、今は頭じゃなくココロで受け止めておいて、いつか不意に全部が繋がる瞬間を待っていたい気もする。

予期せぬ出来事は詩になる。
読書をしたり、物を書いたりしていて、雨が日記のページに降ってくる。
それは美しい光景だよ。そういった予期せぬ出来事が詩になる。
君の日記が詩になるんだ。僕はそこにエネルギーがあると思う。
そのエネルギーは偶然性から生まれたエネルギーなんだ。

 杜可風自身もパンフで言ってるようにね。

 あと、私が彼に惹かれた最なる理由は、根本において三界に家を持たぬ漂泊者の故なのかもしれない。
 全編を支配するかのように印象深いシーン、抜けるような夏空の下、碧色の海流に乗りながれゆく板切れを観た瞬間にそう思い至った。その木片には、何かの聖痕のよう、孔雀が描かれているのだ。

カフェ(9/19 1999)

 盆、実家に帰った。
 その間、ふらふらATCと阿倍野とに出掛けていた。民博とか京都とかにも足を伸ばしたかったのだけど、さすがに滞在三日じゃどうにもね。家族サービスもせにゃならんし。
 南港の光景は相変わらずのものだった。私にとってこの世の果てという単語で想起されるのはブエノスアイレスではなくこの景色だと改めて知る。湿った潮風に晒されるがままの荒涼とした埋立地。だけど其処は広大な空き地のようで、どこか可笑しく同時に勇気の湧いてくる光景。少なくとも広告代理店的な言辞で表面を取り繕って恥じないお台場などよりは、余程私にとって好ましい。例えこの世が絶望だとしても、結局此処から始めるしかないじゃないか。強かに、健やかに。そんなことを思えるから。

 阿倍野の景色も変わらず、実に好ましかった。歳とったらこの街の路地裏で借家に住まい、微かに洩れ聞こえる喧噪を聞きながらついえたいなどと、無茶な希望を抱いてしまう。この街に流れる時間が好きなんだ。矛盾を孕んだままにゆったりと吹きゆくシェイクスピア的な時間。阿倍野ベルタ一階の謎の石屋さんも健在だったし。謎の、て言うのはホントに謎だからで、ぽつんと周囲から浮いて鉱石とか化石とか貝殻などを商っている店なのだ。私にとってなぜだか妙な引力を持っていて今回もリングとアンモナイトを買ってしまう。

 阿倍野ベルタからの帰途、路面電車の軌道を挟んだ向かいにカフェがあるのを見つけた。tete-a-teteって店。この街の空気にもう少し浸っていたかったし、何となく気にかかったので入ってみることにした。こういう、自分の瞬間的な感情は全面的に信頼することにしている。一階がケーキ屋になっていて、二階でお茶などを飲ませてくれるようになっているようなので、上がってみるとこじんまりとした実に好い雰囲気。非常に感覚的な物言いをすると、竹かごの中から外界を覗いているよう。図案を染め抜いたタイルをコースター代わりにしていたのも◎で、チャイフロートなどを飲みつつ、私は幸福な時間に満たされた。

 といったようなことを、今日青山ブックセンター新宿店で購入したgap98年7月号、特集『カフェってなんでしょう?』を眺めていて憶い出した。ほっとココロ安らぐような良質なビジュアルに加えてテキストとして竹村真一『カフェ文化論』がヨーロッパにおけるカフェの位置づけについてなかなか食いつきのいい見取り図を示してくれていて好かった。そ、ロイズもコーヒーショップから生まれたんだったね。

 さて、私がカフェと聞いて連想するのはウィーン。17世紀、この街を包囲したオスマントルコより東方のコーヒー文化を移植され、それが西方の広場の文化と混交することでヨーロッパで最も古いカフェのひとつを持つに至った街。その後「中欧」の理想=虚構を担うべく造形されたオーストリア=ハンガリー二重帝国の帝都として闇と光輝とを呑みこんだ街。そして、帝国の瓦解後は総ての甘美な記憶の中に微睡むことを選んだ街。街の一切がカフェであるかのように。

私のいたカフェもそんな例のひとつだった。なにやら旧人類の剥製めいた人々がつどい、共通の記憶と幻想に浸っているという感じを、テーブルの上のメランジュの香が増幅させる。
(巖谷國士/『ヨーロッパの不思議な街』)

結局、ウィーンの人々にとって「人生」とは単なる暇つぶしに過ぎないのではないかと時々カフェにいて思う。
(古山愛/デザインの現場1996年10月号)

 何刻かは訪れてみたい街ではあるなぁ。イスタンブールやマラケシュと並んでね。

 白状すると、私はまだ東京で居心地の好いカフェを見つけるに至っていない。せいぜいがモスバーガー新板橋店ってとこだけど、これは明らかに違うわな。『ヨコ出し(6)』の『武蔵野通信』。こういうのにすごく憧れてはいるんだけどね。なんともはや。

ぷらぷら(10/17 1999)

 しかしAppleも正念場だなあ。なんとか守り切って欲しいところではあるけれど。

 今日になって急に冷え込んできた。思わず自転車に乗るときハイネックのニットにシャツジャケットなんかをあわせてしまったりして。成程思い返してみれば、10月の風はこれくらい冷えたものだった。でも、こういう空気は嫌いじゃない。なんか体の中から洗い上げてくれるようで。
 家に帰ってきたのは4時半くらいだったのだけど、なんだかこのまま引っ込んでしまうには惜しい気がした。炊飯器は既に6時半に炊き上がるようにセットされているし、ぷらぷら散歩に出かけることにした。石神井川沿いに遊歩道を王子方面に歩いてゆく。魚を煮つける匂いなどがどこかから漂ってくる。川から見上げる住宅地の街並はなかなか好い具合に古寂びていて好ましい。コンクリートの外壁てのは、20〜30年してやっと本当の顔を見せるんじゃないだろうか。雨に打たれしみを浮かべ、時には雑草などを表面に帯び、漸く静かな歌を歌い始める。だけどその頃に強度を保っているかということは別問題だし、この国の個人建築はそういったことに関わりなくまた打ち解けない量産品にとって代えてしまう。なんだかね。向こうを見遣れば朱いような、紫のような、なんとも堪らない色に染まっている空。カメラを持ってくればよかったなあと悔しがる。ふと気付くと周囲はずいぶんと薄暗くなっていた。ちょうど誰そ彼どきなのだと知る。中途半端なあわいの時間。本当は一瞬の内にうつろってしまうのに、幾らでも引き伸ばすことが出きるような気がする魔法の時間。大好きな空気。川の向こうを路面電車がチンチン走ってゆくのが見えた。そろそろ目的地のよう。片道20分ばかし。散歩コースとしてはなかなかのものかも。
 結局王子では本屋で立ち読みをしたくらいですぐ取ってかえした。結果が必要なのじゃなく、過程が重要だったからね。

ザジ(10/21 1999)

 そいや自転車の話をまだしてなかったね。
 うちの自転車はCOM-70Mって名前だけどザジさんと呼んでいる。フランス娘だからという至ってシンプルな理由なんだけど。夏の盛りに綾瀬の自転車屋さんで購入したもの。もともと通勤に使うのが主要な目的だったんで、スーツで乗れるスタイルというのが必須条件だった。だいたいハイテクスニーカーとかG-ショックとか羽根付きのクルマとか、過剰にスポーティなデザインは下品に思えて好きじゃない。余談ながらこのショップ、外見はいかにも「街の自転車屋さん」なのに並んでるのがあまりフツーじゃないのばかりでなかなかに楽しいところ。話し好きな店長もいい感じだったし。で、オリーブグリーンのフレームに跨り、通勤をはじめとして週末にも足代わりにして、すっかりらぶらぶなのだ。まだ北は北赤羽、南は新宿が最遠到達点なんだけどね。特に新宿へは、片道40分ほどであっさり着いちゃったんでちょっと拍子抜けだった。トラブルらしいトラブルも、オーバースピードで6速に入れようとしてチェーンを外したことが一度あるだけで他はまったくなし。尤も、タイヤの空気圧にはできるだけ気を使うようにしてるけど。

 わたしには自転車のスピード感がいちばん性に合っているのかな、とも思う。耳朶を流れてゆく風や見上げたときの青空、傾いてゆく日差しや一瞬飛び込んでくる草の匂い。そういったことどもがわたしの中を通り抜けて、なにかが残ってゆく。濾過なんだろうと思う。ふだん五感全部を使ってモノを感じられることなんてあまりないから(悲しいことにね)こういう体験はいつもいつまでもわたしにとって新鮮だし、大切なことなのだろう。粃のような日常からは粃のような言葉しか生まれないし、粃のような言葉が他人の心の中で芽吹くことは遂に有り得ないだろうから。
 時間ができたら都内をあちこち行ってみたいと思う。メンテナンスも自分でやれるようになって、できるだけ多くの時間を一緒に過ごしたいと願う。

 たとえわたしが酔いどれて路上で夜を明かしたとしても、派出所でじっと帰りを待っていてくれる。冷静に考えると、ザジさんが自分で派出所に行ったわけじゃない気もするけど、まあそれはそれ。


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