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ものづくし

(10/15 2000 〜6/3 2001)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
だけどアタシは/絶対現実を否定しないぞ/抵抗しないことは/罪だ

ラヴ!(10/15 2000)

ジャズと映画と可愛い少女たちとの恋愛さえあれば
あとは何も要らない 醜いんだから

 10/8の日、渋さ知らズを聴きに横濱ジャズプロムナードというイヴェントに出掛けた。渋さのライヴは8月の新宿Pit-inn以来二度目のことになる。
 正午の予定が30分ほどおして開場(新都市ホール)する。うまい具合に前から二列目の席を確保できてほっとしていると、ほどなくして向かって右手の方から楽器を吹き鳴らしながら、てんでバラバラにメンバーが入場してきた。20名以上はいるだろうか、まるで好き勝手なフレーズを唄いながら客席の中を練り歩く。途中泉さんが客席の小さな女の子を泣かせたりしながら(^_^;、それらのオトはフリーキーなうちにもやがてひとつの音楽のカタチを取り始めてく。やがて奏者が全員ステージの上に集った頃を見計らって、不破さんが音を束ね、客席の方へ叩きつけた(この辺の記憶、既に結構曖昧なのだけど)。

 渋さ知らズってのはフリージャズのビッグバンドとして認知されている(ことになっている)集団で、メンバーは多いときで40名以上にもなる(なにしろピットインのようなライヴハウスだと、ステージの上に全員が乗り切らない)。そうなると管楽器だけでも10本以上にもなって、そこから繰り出される音圧といったら、多分ミッドバレイの殺人音楽よりもすごいと思う。
 そしてなにより、みんな底抜けに楽しげに演奏するのだ。ソロを取っているサックスの後ろからもう一人の手が忍び寄り、そのまま二人羽織サックスが始まってしまったり突如として楽器を演奏しながらの徒競走が始まったり(そしてそれをステージの上からみんなで手を振って見送ったり)。絶叫系のヴォーカル曲があったり、セクシーなダンサーとか白塗りの舞踏家が出てきたり。果たして渋さ知らズのやってることが「ジャズ」なのだか「フリージャズ」なのだか、私にはよくわからないけど、とにかくこれが途方もなくファンでラヴな「フリーなオンガク」だってことはわかる。椅子に座りながらも太股がリズムを取り始め、アドレナリンが大脳皮質を掛け巡り出してきた。だけど多分、ジャズってのは本来こういう音楽だったのだろうとも思う。猥雑で騒々しくて、たまらなくデタラメでいかがわしいダンスミュージック。

 この日のステージは次のバンドもあるということで、ちょっと慌ただしい感じに終わったのだけど、まあフェスティバルだからね、しょうがないか。
 で、私はそのあと石川町まで向かった。山手ゲーテ座で行われる、渋谷毅+小川美潮のデュオを聴きにいこうと思ったから。小川美潮は……えー、『love,peace & trance』のtranceの人、というのがここでは通りがいいのかな(どこや)。石川町に着いてから結構時間があったので中華街のほうをぶらぶらする。そう! 私が横浜に来たのはこの日が初めてだったのだ。えっへん。だからもう観光もばりばりと行う。で中華街なんだけど、この日は民国の記念式展か何かがあったらしくて(建国記念日かな)結構な人出。それもまたなかなかええ感じ。途中の茶店で、ちょうど切らしていた茶葉を購入したりして。その後元町から外人墓地のはたを登りながらゲーテ座に到着。外人墓地もちょうどこの日は一般公開していたようなのだけど、こちらはあいにく時間がなくて見学することはできなかった。ちょっと残念。しかし確かに神戸に似た空気を持つ街だね。海と山に挟まれているあたりとか、なんともはや。

 小川美潮のステージは、なんともかわいくてステキなものだった。こじんまりとしたハコの中、妖精めいた雰囲気を持つ小川美潮の伸びやかなヴォーカルとそれをいとおしむような渋谷さんのピアノとがほんわかとしあわせな空気を抱く。間の抜けた2人のMCも併せてね。でも遊佐未森のライヴよりもさきに小川美潮のライヴを聴くことになるとはなあ。
 そのまま次のステージである渋谷毅オーケストラも聴く。うー、こういう、クロームで造られた筋肉のようなストレイトアヘッドなジャズも確かにカッコいいなあ。

 翌日もパシフィコ横浜で渋さ知らズ。
 会場はホールかと思っていたらエントランスロビーだった。音響的にはちょっと不満もあったけどステージと客席との間に断絶がないのは、渋さのライブには相応しいかなとも思う。
 この日横浜に向かう電車の中で、美術手帳96年3月号、特集『サーカス!』を眺めていた。渋さ知らズのライヴのあり方は非常に祝祭的で、それはサーカスにも通じるものがあると感じたからだ。たとえば「機能する肉体」「仮設される空間・時間」「ガジェット」「不定形の共同体」とか(尤もそれらはいずれも、本然的にはライヴという表現形式に内在されているものなのだけど)。

おれたちがやっていることは愚かだよ。ものすごい訓練をして宙を飛ぶわけだけど、飛ぶこと自体には何の目的もないし、飛ぶのはほんの一瞬で、あとには何も残らないんだから。
(森田裕子『現代フランス・サーカス最前線』/美術手帳1996年3月号)

 祝祭的だけどそれは現実に人が目の前で行っていることで、そこにたまらなく憧れるのかもしれない。リアルに飢えてんのかなあ(^_^;(この辺は宿題。もうちょっと考えることにしよう)。

 巨大な龍が宙をゆったりと舞う中、佐々木彩子さんのスカジャンやペロさんさやかさんのミニチャイナなど横浜仕様なあれこれに萌えつつ、また今日も徒競走が始まって小森さんが私の目の前でこけたり(^_^;しながらラストのナンバー『本田工務店のテーマ』にいたるころには会場の興奮は頂点に達した、なんて紋切り型の表現なんだけど。不破さんが客席の手を取って立たせる。それを契機にして皆でステージ前に雪崩れ込んだ。今ここではじめて会ったもの同士が肩を組み、ステップを踏む。旋律を歌う(叫ぶ)。音と声と踊りの渦の中、私の頭でラヴとライヴとトライブとライフが一緒になってグルグルまわって、しまいにはどれがどれだか判らなくなった。

 グルグルといえば『グルグル(13)』も相当にラヴな単行本(ミュウミュウだし)。衛藤ヒロユキ、やっぱりすげえわ。

放蕩娘の帰還(3/25 2001)

 けさ、春雨の中で石神井川沿いの桜が咲いていた。
 もう一度語り始めるための理由としては、それで充分なんじゃないかと思う。

 くたくたのパスタみたいな日々と、何冊かの本と何枚かのCD。

 ランボー、砂漠を行く知覚はおわらない アフォーダンスへの招待レイブ力カルチュラル・スタディーズ入門

 現在格闘中(偏ってるなあ……)。
 感想はまたいずれ。

迂回標識(6/3 2001)

表紙を見てたも。


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