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ものづくし

(3/14 〜 3/19 2003)

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
遺されたカケラを拾い蒐めよう/両手いっぱいに/花束のように

敵は海賊・海賊版・海賊版(3/14 2003)

最後のチャンスだ、擦り抜けながらかっさらえ!

 ああっ! このシークエンスもぉ堪らん。観るたびに血が滾るねぇ。
 やっぱり私の中のオリジンに非常に近い部分に立ってる作品なのだと再確認。今回ちょっと思ったこととして、あの凧の操縦系は、もしかして自転車のドロップハンドルなのかなぁとか、泉なんかのシンボルの使い方は『もののけ姫』より洗練されてるようなとか。
 あと少女をヨメにして謎の怪光線ぶっ放して世界征服という、ムスカの野望は男のロマンだよなぁとか……そんなことは思いません。ええ思いませんとも。

 で、乃美康治『大浮遊船時代』をまた読みたくなってきたので読む。ラピュタの影響下にある作品と言えばある作品なんだけど、アクション演出に知恵と愛がこもっててフェイバリット。すず萌えだし。

 あ、そうそ。
 のすふぇらとぅさんの『機動戦士のんちゃん』、遂に第8話が完結したね。のすさんの作品は手の仕事が感じられてすごく好き。ひそかに応援してます。

旅に出る(3/18 2003)

まったく、ブッシュもサダムもどうかしてるぜ。
……ハッ、もしや彼らはスピードアップを取りすぎたのでは?

 ゲーメストアイランドネタだったっけ。なんか思い出しちった。
 まったくどうかしている……いや、唐突に思い出したことじゃなくて。

 旅に出たかったからいまの仕事を選んだ、というのは嘘なんだけど何となくリアルな虚構の説明で、個人的には結構気に入っていたりする。今回はまったく私的な旅として伊豆方面に二泊でツーリングに行くことにした。宿の予約を取ると、あとは旅行鞄に着替えと本だけ詰め込んで車のトランクに放り込む。一人旅だとこういうとき気軽でいいね。寂しいって言うな。
 16日の8時すぎにうろうろ出立。伊豆半島を時計回りに一周しようっていうのを今回の旅のテーマに決めたので、取り敢えずナビの目的地を伊東に設定する。首都高環状線に乗るのは初めてだったのだけど、日曜朝の所為か大渋滞はなく『惑星ソラリス』な都市高速を快調に流す。ブラインドカーブの先で小渋滞が始まっていたときはちょっとひやっとしたけど、まぁそれはそれ。東名に乗ったあたりでシトロエンDSを見掛けたので、後ろをつけてお尻のラインに見惚れながら走ってみたり。厚木で東名を下りてからも有料道路を乗り継いでいったためなのか、まったく渋滞にも出会わずすんなり伊東に到着した。なんだか拍子抜け。完全にオフシーズンだって事もあるんだろうけど。

 港近くの駐車場にクルマを停め、伊東の町を散策してみる。街並はいかにも昔ながらの保養地という感じで、路地裏の土産物屋の店頭で魚の干物などが売られていたりする。細い街路の入り組み具合など熱海にも通じる、いい意味でうら寂れた雰囲気があってなんだか心地好い。今回伊東でいったん下車したのは東海館という建築の存在を知ったからだった。なんでも昭和初期に建てられた木造3階建ての温泉旅館だったものが数年前に廃業し、その後博物館として内部を自由に見学できるようになっているものだという(詳しくはリンク先をご参照)。こういった戦前の旅館建築は以前から気になるものがあったので(荒俣宏あたりの影響なのかな)、さっそく行ってみることにした。

館内 部屋から眺める伊東大川 柱時計

 内部はすごく綺麗にたもたれていて、すぐにでも宿泊できそうな感じ(実際、泊まれますかという問い合わせが結構あるのだとか)。贅を尽くした、というのとも端整に仕立てられた、というのともちょっと違う、ほどほどに大衆的でほどほどに品よくまとめられた装飾。まさにいまある温泉旅館の源初の姿のような。たとえば漱石なんかが新聞小説で描いてきた、中産階級の人々の息吹が何処かに感じられるような、そんな空間。ちょうど最上階の大広間では大正の頃の雛人形などを展示しており、なんだか時がゆったりと流れているかのよう。

 伊東を出、海を眺める気持ちいいワインディングをスウィングしながら流していると雨がぽつぽつと落ちてきた。雨と、市内でちょうどいい駐車場を見つけることが出来なかったので下田はスルーして石廊崎へと向かうことにする。石廊崎は、例え一発変換できなくても(★)伊豆半島の最南端に位置するところ。やっぱりこういうランドマークはクリアしとかないとね。遊覧船に乗って岬の荒涼とした風景を眺めたりする。

外観 部屋から眺めてみる

 今夜の宿は下賀茂の『いろり 隠居』という民宿で取ることにした。素泊まりで6000円という値段に惹かれたからなのだけど、到着してみるとひっそりと佇むいい雰囲気の建物。ほとんどほったらかしな事と併せ、個人的には非常に気に入る。夕食を一緒に営んでいる韓国家庭料理店で頂いた頃には日はすっかり落ち、雨は本降りとなっていた。私にとって伊豆といえば『大日本天狗党絵詞』の伊豆篇だったり『不機嫌亭漱石』の修善寺大患のくだりだったりする所為か、「雨の伊豆」のイメージが非常に強い。他に宿泊客は居ない宿の部屋で、窓の外の竹林を撃つ雨音を聴きながら壁にもたれ本を読み、やがて眠りについた。

旅に出る(承前) (3/19 2003)

 翌朝起きてみると雨は止んでいた。夢は見なかった。
 136号線に沿ってうろうろ北上していく。東伊豆に比べるとやっぱり少し道幅が細いけれども、それでも無茶な細さではない。交通量もそれほどないし、快適なワインディングを楽しんでく。

街並 時計塔

 松崎という町に寄る。
 ガイドブックを見ると「なまこ壁」の建築が多いことで有名な町なのだそうだけど、実際に到着してみるといい意味で予想を裏切られた。なんというか、街並に土臭い感じが薄いというのか、どこかハイカラで垢抜けているのだ。伊豆半島の奥の方という先入観を持っていたのだけど、なるほど改めて考えてみればこれらの町は海に面し、海に開かれている。歴史のある時期にこの土地に差し込んだ光を感じ、またそのままのカタチでいまに留めている事を知る。

 岩科学校といって、明治に建てられた学校がそのまま保存されているということで観に行くことにする。現在の小学校の校舎が隣接してあるためか、見学中に外から子供たちの遊ぶ声が洩れ聞こえてくる(学校建築では宮城県登米町の物などもお勧めです)。
 私の通った小学校は、在籍当時で創立120年弱を数えるようなところだったのだけど、校舎自体は鉄筋で造られたものだった。だけどその中にも一棟だけもっとも古寂びた校舎があって、その校舎の石造りの廊下のひんやりとした感触や室内灯の白濁したカバーのみせる曲線、あるいは使わなくなった理科教材が放置された廊下の隅の薄暗がりなどは、いまでも記憶の何処かに鮮明に遺されている。なんだかそんなことを憶い出したりして。曇天のためかいまの時刻も判然せず、暖かいとも寒いともつかぬ気候の中で、なんだか時の流れが混濁したような奇妙な感覚。逃げるようにして二日目の宿泊地である土肥に向かう。宿としたのは土肥ふじやホテルというところ。こちらはもうまったく普通の温泉ホテルで、至れり尽くせりのサービスにこれはこれで大満足だった。

 今回の旅に一緒に持ってきた本というのは鈴村和成『ランボー、砂漠を行く』だった。

お前の沈黙は長い、どうしてこんなに沈黙しているのですか?…
…Ton silence est long,et pourquoi ce silence ?…
(1885年、母より31歳のランボーへの手紙)

 20歳で詩作を放棄したあと37歳で死去するまでの18年間、詩人でなくなった詩人は遠くアフリカの地で交易に従事する。焼け付くような日差しと靴の中にまで入り込んでくるような砂粒。騒々しくしたたかな現地の民や帝国主義的な欧州諸国の思惑の中で、白人商人たちは彼ら自身の情報ネットワークと思惑を持ち、彼ら自身の利益のために振る舞い続ける。そのようなイスラムの巷で、ランボーが書き記した言葉……それらは総て書簡の形をとった物だったが……を筆者は丹念に追い、早熟の天才詩人と辺境の武器商人がけっして不連続な存在ではないということをひとつひとつ立証していく。いやむしろ、アフリカの地に流れる時間軸の混濁、そして書簡というコミュニケーション手段に内在される時間軸の混濁がランボーを捉え、彼の魔神(genie)がランボーに「詩人として死ぬこと」ではなく「詩として生きること」を強いたのではないかという思いさえ抱かせるに至る。

 現在でもエチオピアでは余所者のことを「フランス人」から派生したファランジュと呼ぶという。フランスでは「余所者 etranger」になったと嘆くランボーは、アフリカの地においてもやはり余所者に他ならなかった。嘆きながらも彼自身それを求めたようにも見える。時の流れや距離さえ無意味になってくると思えるような砂の巷で、蜃気楼のように消え去ってしまうことを望んだのか。

 翌日はあまり無理することなく、修善寺はスルーして沼津IC経由で帰京した。今回の旅の目的は温泉と海の幸とワインディングだったのだけど、温泉とワインディングは堪能できたものの、クルマでの移動だとあんましお腹がすかなかったというのは新たな発見。ちと反省点。そういえば前回の熱海旅行でも修善寺はスルーしてるなぁ。天城峠にも行ってみたいし、今度また中伊豆の方へも遠征してみることにしよう。



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