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ものづくし

(3/25 〜 4/15 2003 )

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
うっすらともれてくるひにいのろうよ/がらすざいくのゆめでもいい/あたえてくれと

ひととき ひといき(3/25 2003)

 TINAMIダイジェスト祭りも終了して、アクセス数も一息ついたような感じ。
 ここの存在そのものが、いつか誰かの創造の種子になってくれると嬉しいのだけど、なんて改めて思ったりして。いきなりランボーの話とか出てきて怒涛のようにひかれていないかは、ちと心配。

 モリタイシ『いでじゅう!(2)』買う。
 ああ、このヌルさが堪らん〜。淡白な展開とか案外画でもっているところとか、実にサンデーらしい漫画ね。桃ちゃん萌え(だけど髪の毛ピンクだったって言うのはちょっとショック)。イラスト投稿しようかしら(笑)。JUN氏@白炭屋がどのように評価されているのかは気になるなぁ、とか振ってみる。ここ読んでないって。

咒い(3/31 2003)

 画蒐に新作を追加しました。ご覧頂いて何かを感じとって頂けたのなら、絵描きとしてこれに勝る倖せはありません。
 というわけで、今年は一色伊淡名義での活動を再開します。さすがに画を描かないうちにこの台詞を口にするのはアレだったからね。
 まあ活動と言っても、生命活動に毛が生えた程度のものでしかないのだけど。

 ここが開店休業状態になっていた理由は幾つもあるけど、再開することになった理由はわりと単純で。
 正直、休んでいるとき、私にとって私の画が誰かの作品で代替が効くものなら、このまま消え去ってしまうのも悪くないかなと考えていた。だけど(何とも情けないことに)、結局のところ私にとって、一色伊淡という存在は代替の効くものではなかったようだ。

 「咒いのようなもの」か。

いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……
(坂口安吾『夜長姫と耳男』)

ペグ打ち(4/7 2003)

 それにしても『夜長姫と耳男』ってゴス文学だなぁ。

 回転寿司のように垂れ流される情報を腹に詰め込むだけで満足してしまわないためにも、時々は日常に杭を打っておきたいと思う。例えばそれは旅だったりライヴだったりよき作品を観たりすることだったりするのだけど。
 四月馬鹿の夜、新ピ渋さを聴きに行く。業務を気合でうっちゃったものの、20時開演のところを30分ほど遅れてピットインに到着。イエサブ横の階段を下っていくと、もう低音のリズムが鼓動のよう、ほの昏い空気を震わせている。私の胸を奮わせる。この瞬間が好きなんだ。渋さ知らズのライヴのうちで、年末の江古田バディと四月馬鹿の新宿ピットインは特別な存在なのだという。年末の方はまだ行ったことがないのだけど、四月馬鹿は今回で3回目になるのかな。
 内容は紛れも無い渋さのもの。圧倒的な爆発力。ただ普段と比べるとホーン隊がちと弱かったような気もするけど、これは立ち位置の所為かアルコールの所為か(今回は演者ノンアルコールだったとか)。渋版の雷電をナマで初めて聴けたり、股旅の導入部がちょっと面白いアレンジだったり。あとは何と言っても久しぶりに言霊を振るう南波トモコを観られたことが◎。満員札止めの会場内の、最後列のスタンディングだったので舞台の様子はまったく観られなかったけど、紫煙漂い酸素が薄い新宿地下のライヴハウスで、チキチキ共振する缶ビールを片手に音の渦に身を任せるのも、また渋さの聴き方のひとつではあると思う。

 帰途、深夜の駅に降り立つと咲き初めの櫻が街灯に照らされ、藤色に染まっていた。
 汗ばんだワイシャツを夜風に泳がせながら、しばし茫と眺める。

 在原晃士さんより活字少女本、『少女と活字』を頒布いただく。
 ふむー。在原さんらしい理知的な造りのステキな本やねぇ。透明で、どこか植物的な少女さんが頁の中に佇む。本の造りも、ものとしての満足感があっていい感じ。とっておきのチョコレットと珈琲などを添え添え眺めたくなる(汚さないようにね)。うーん、なんだか創作意欲を刺激されてしまったりして。

爺ねた(4/11 2003)

old comic

 先月末、もろもろあってとんぼ返りで帰省していた折に実家で昔の紙原稿を漁ったりした。すると存在自体失念していた95年頃の未完成漫画原稿とか出てきたので嬉しくなって思わず掲載。この頃はちゃんと可愛い女の娘を描こうとしていてえらいなぁ。技術的なトコロはともかく(というか、たいして進歩していない事の方が問題やね)、久方振りにナマで見るペンのシャープな線と墨ベタのコントラストに、われながらちょっと萌えてしまう。今度世界堂あたりでGペンと製図用インクと漫画原稿用紙でも買ってこようかな……なんて。

その頃のぼくらと言ったら
いつもこんな調子だった

(心のベストテン第一位はいつもそんな曲だった頃)90年代中頃までは、多くのえかかーたちの主たる作品発表場所はインターネットではなくてパソコン通信だった。私も専ら地元の草の根BBSを根城として、そこに作品を発表したり取り留めも無い雑談に耽るのを常としていた(オフ書きでね)。

 当時BBS相互のゲートウェイはごく限定的にしか存在しないものだったので、BBSを跨いだCGの流通形態を補間するため人手による転載というものが行われていた。そのため作品のアーカイブには権利関係を明記したヘッダファイルを同梱し、そこに転載条件を記載しておくのが常だった。

 この(さながら国境を越える「担ぎ屋」のような)転載文化ってのは興味深いものだったなとわけもなく憶い出した。
 当時のドキュメントファイルが手許に無いので、私自身の転載条件がどんなものだったのか確認できないのだけど、確か「転載は無連絡で自由、ただし転載先で感想が得られたときは私宛まで転送して欲しい」というものだったように思う。で、何度か転載先で頂いた感想を転送していただいたことがあったのだけど、なんだか友達の友達から自分の評判を聞くときのようなどこかこそばゆい思いと、ここのBBSの向こうに別のBBSがあるのだという、世界の広さに対するセンスオブワンダーめいた感慨を抱いたことを覚えている。

 あらゆる情報がまったく等価に、どこに居てもまったくリアルタイムで手に入れられるwebの仕組みは確かに素晴らしいものなのだけど、あまりに素晴らしすぎて収拾がつかなくなって困ってしまったり、まるでテレビでも眺めているような気持ちになってしまうこともときたまある。一見クローズドなタコツボが並んでいるように見えて、実はひとの繋がりと感性とに依る柔らかな結節点によって繋がっていた、かつて存在したもうひとつの蜘蛛の巣があっさりとほとんど姿を消してしまったのは、ホントによき事だったり、しょうがないことだったのかな。

(創作系ニュースサイト・アンテナリンク集とは別のものなのか? 個人的な感覚で言うとまったく異なるもののように感じる。何が/どこで/どのように異なっているのかはちと宿題)

ながいながい日(4/15 2003)

creative commons 日本語情報

 ネオコンネオコンって言ってるとネオテニーコンプレックスみたいでちっとヤな感じ。
 ねおこんさんはだめだめさんですねぇ(CV/にしむら)。

the stub

 12日の夜、タイガースの完勝を見届けてから小嶺麗奈映画祭を観に池袋へ向かう。そういやオールナイトの映画を観に行くのは初めてだなぁ。クルーネックのシャツにジャケットをあわせて外に出ると、生ぬるい風の中に降るや降らぬやというほどの霧雨が街灯に照らされ浮かび上がっている。なんだか『ユメノ銀河』を観に行くには相応しい夜だと感じた。
 新板橋の洋包丁で腹ごしらえをしたあと列車に乗り、22:30頃にシネマロサに到着するとすでに20人ほどの列が出来ていた。粛々と最後尾について茫と待つ。やがて開場したので真ん中ら辺の座席を確保。ぐるっと見渡すと九分ほどの入りか。

 まずは小嶺麗奈と石井聰亙のトークから。
 最初プログラムを見たとき、この二人が『ユメノ銀河』の前に組んだ『水の中の八月』がなんで含まれていないのか疑問だったのだけど、制作会社が倒産しているために権利関係がクリアできず上映できないのだそうだ。この映画祭のオーガナイザーである映画バカ一代発行人氏も是非入れたかった(ぶっちゃけ、この映画のために立てた企画だ(笑))と残念がっていた。代わりに16ミリに落として10分ほどに再編集した特別篇を上映。縁があればいつかきっと本編も観れるかな。

 一本目は『ユメノ銀河』。私にとっては久しぶりの再見となる。
 そして今度も自分の中で育んできた印象は裏切られることは無かった。あまりに静謐なバイオレンス。スクリーンに映し出されるモノクロームの画肌に魅入られる。劇場でDVDも購入したので(えへへ、サイン入りだ)これからは何刻でもこの森の中に浸ることができる。でもやっぱり映画館で観てはじめて総てを知ることのできる映画かなぁ。

 次は『みすヾ』。
 童謡詩人、金子みすヾの生涯を描いた映画(監督/五十嵐匠)で、私にとってはこんな機会でも無ければ観ることは無かったろうなという作品だったのだけど、これが思わぬ拾い物だった。「本を読み言葉を書く女性」の映画。淡々とした展開に、主演の田中美里の存在感が素晴らしい。ことさらな物語などよりも、田中美里の出で立ち・振舞いそのものが夭折の女性詩人の存在そのものをよほど的確に描き出し、またひとりの詩人の生涯を突き抜けて別の何物かを描くに至ろうとしている。映像の純度の高さもまた。地味でまじめな作品だけど、機会があれば観て欲しいと思う。
 小嶺麗奈がどこに出ていたかはヒミツ。ホントはここが『水の中の八月』だったのかな。

 んで最後が『LADY PLASTIC』。
 オールナイトの三本目に相応しい、ヘロヘロな展開の和製B級ホラー(監督/高橋玄)。ステキだ。回想シーンでエキセントリックな70年代アングラ劇団の女優を演じる小嶺麗奈が素晴らしいのだから、こっちをメインにすればよかったのに。でも学園祭とかで上映会開いたら案外受けるかも。

 閉幕後外に出てみるとなんだか無暗にいい天気。さんさんと6時半の朝日が降りそそぐ。寝癖を気にしながらファーストキッチンで朝食を摂る。その後いったん家に戻って風呂に入ったもののそのまま寝てしまうのが惜しくなり、本とCDを求めて新宿に出たのだけど、それはまた、別の話。



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