もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
いつもそうなんだ/目がさめると忘れてしまう
うわ、王レスDVD-BOX! これは是が非でも買わなくちゃだわ。
順繰りにやってくる状況に、その度ごとに最善の選択をしていったはずなのに、いつの間にかあらぬ所にたどり着いてしまうようなことが人生にはときどきある。確かその時のいちばん最初は、今夏の賞与でうちのコのローンを払い終わることに気付いたことだったように思う。
2年ぶりにきれいな体になって、さりとて可処分所得を単純に上乗せするのもなんだかシャクだったので、月々のローン分を有効に使う方法をあれこれ考える。そのうちふとした拍子に銀行登録印は、実印と比べると規制がずっとルーズ……ぶっちゃけ名前さえ入ってれば何でもいいということを知る。何でもいいのならすごいやつをつくりたくなるのが人情というもの。
で、印ターネットさんちでオーダーメイドの印鑑を造ってもらうことにした。
ビスポークを通して自分の中の曖昧な印象を形象に定着させていく。自分でイメージのフィキサティフを吹かないってのは私にとってはなかなか新鮮な体験で、どこかもどかしくも、そのもどかしさが楽しくもあった。結局最初の発注時に伝えた言葉とは別のものになったりして(随分と我侭を訊いてもらいました。多謝)。最終的なデザインは太めの枠の中に抑揚のある金文体で名前と、あと金魚の図案(☆)を入れたもの。実に古風で可愛いらしいものになった。モノがモノだけにここで発表できないのが残念なのだけどね。![]()
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和紙に包まれタコ糸で縛られたあと、封蝋が施された小さな包み。封印を解くと中から青田石の璽が転がり出る。それは自分の名がオブジェになったもので。分身のような真の名のようなちっぽけで重い結晶。私の身を離れた私の骨。
璽印って、今なお法で保証された魔術のようなところがあって惹かれちゃうね。今度は一色伊淡名義の落款でも創ろうかな。
んで、オチ。
ソニーバンクって口座開設に登録印必要なかったのかー。ぎゃふん(まぁ別のところで使ったんだけど、それはまた別の話)。JUNさん@白炭屋と在原さん@平均律が揃って褒められていた衛藤ヒロユキ『がじぇっと(1)』をようやく入手する。
ひゃあ、これはすごいわ。こうまで児童文学らしいコミックというのもそう無い。地球の自転を思わせるようゆっくりと動く雲と回路の中を光速で駆け回る電子の粒と、恋と魔法とがすべて等価に存在している空気感。それは確かに衛藤ヒロユキにしか描き得ないリアルでリリカルで、私は半ば打ちのめされてしまう。□小川美潮/デンキ(4to3)
絵本(8/2 2003)
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絵本とか描いてみたいとか思うわけです(たぶん描けないけど)。
眩暈(8/30 2003)
で、占い式!漫画ナビをやってみる。結果はグルッペA。うーん、どれも未読だけどあんまし食指を擽られないなぁ。もっとこう、津野裕子と五十嵐大介と高橋葉介みたいな!<ニッチ過ぎ。
映画『乙女の祈り』(1994 米-NZ)は実際に起こった事件を基としてる……事は知っていた。だけどポーリーン-ジュリエット事件で一方の加害者であったジュリエットが後に小説家となり、中世を舞台にした連作ミステリによってベストセラー作家となった事は知らなかった。
眩暈。
肉親の生命をも引き換えとして守らなければなかった小さな世界。それは二人の少女がお互いの妄想を喰いあいながら肥大していったかりそめの世界ではなく(或いは、でありながら)、本当のヒカリに照らされた世界だったのだ。例えそれが月のヒカリや月蝕のヒカリであったのだとしても。これは嫉妬、なのか。断崖の突端に立つとする。はるか深淵を見下ろして、思わず眩暈を感じる。
最初の衝動は、その危険から身を引きたいということだ。だが、なぜか決して立ち去らない。
眩暈と恐怖とは、徐々に漠然たる、名伏しがたい感情の雲に呑まれてゆく。
(エドガー・アラン・ポー『天邪鬼』/澁澤龍彦・訳)夏の思ひ出(8/31 2003)
家で淹れているお茶が烏龍茶から麦茶になり、やがて焙じ茶へとうつろっていた。
なんだか夏を感じきれないままに夏が去っていきそうでちと困る。![]()
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というわけで本牧ジャズ祭に行ってきたですよ。横浜方面は王子から京浜東北に乗ってしまえば電車一本で着くので、距離ほどは心理的な負担が大きくないのがいいね。
家を出るときはいまにも泣き出しそうな空模様だったのだけど、開演する頃にはすっかり夏空になっていた。この夏はじめて炎天下に晒されて首筋がじりじりと灼ける感覚を味わう。とはいえ夏空の下、昼間っからビールを呑み呑みライヴを聴くのはなんともダメ人間っぽくて大変よろしい☆ で、このイベント、今回はじめて行ったのだけど飲食持ち込み可、火気使用可なのだとか。だから観客はクーラーBOXでビール持ち込んだり家族でBBQしながら観ていたり。なんというか、目線の高さが好ましく、すごくいい雰囲気だと感じた。さて内容はといえば、渋さ知らズもいつものようにお祭り仕様で好かった(場の空気をひと吹きで一変させてしまう片山広明大先生のオーラと言ったら!)んだけど、トリの寺井尚子クインテットにいい意味で裏切られる。どうせスムースなお洒落ジャズなんだろうと高を括っていたところをガツンとやられてしまった。これだけ、時にはフリーキーな処まで情熱的なはっちゃけた演奏をするひとだとは思ってなかったなぁ。参りました。北島直樹のピアノとの息もぴたり。
帰宅するとちょうどいい具合に10月のジャズプロムナードの案内チラシが。ありゃん、今年は渋さも渋谷毅もふちふなも無しなんか。うーん。
ブラームスはお好き?(9/6 2003)
『いでじゅう!』読んでたら唐突にこの4人のことを憶い出したので描いた。
あれ、もう一人居たっけ……気のせいかな。![]()
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菅野博士『天晴れ!カッポーレ』じゃないけれど、ひとが成熟するためにはいつか自分の人格が形成された「失われた時間」に立ち帰って、その時代と対峙する必要があるのかなという気もする。
同じ屋根の下、いつまでもお兄ちゃんはクスリをキメながら映画を撮り続け、いつまでも弟くんはオタクビジネスに励んでいられればよかったのに。
ヘドニストの装置(9/12 2003)
あ、『アンダルシアの夏』見逃した……。
けっきょく東京都現代美術館の田中一光展も行けなかったし。えぐえぐ。そうこうしているうち欧州ではフランクフルトモーターショーが始まっていた。WebCGであれこれ記事を覗いてみたけど、うーん、あんましピンと来るものがない(スズキ コンセプトSはこっちに行っちゃったのね)。
と思ったらひとつだけあった。
ランチアのヌォーヴァ フルヴィア・コンセプト。うわ、こりゃいいわ。ピンと張った面の組み立てかたや、カタマリ感のあるフォルムとか。なんというか、没落貴族の公女のような可憐さ、儚さ。名前に負けないだけのオブジェとしての存在感。リアランプやセンターコンソールの造形がちと煩い気もするけど、このままのラインをさらに磨いて、いつかは是非とも市販して欲しいなぁ。
こと自動車に関しては、智に働けば角が立ち、情に棹させば流されるような世知辛い昨今でなんともしんどくなってしまう。だけどハイテクからも環境からもバリアフリーからも切り離された治外法権で、世界に対してはまったく無益なエゴのための快楽機械を造ってくれるメイクスがふたつみっつ遺ったとしても罰はあてないでいて欲しい。心からそう願う。『SS』が(9)巻で完結。
派手なケレンは無いけど、じんじんと心に残るいい作品でした。栗原センセがみるみるオトコの貌を取り戻していくあたりがもぉなんとも。こういう作品は小僧っ子には描けないかもなぁ。
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