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ものづくし

(9/20 〜 12/1 2003 )

もの (material) にまつわる憶い出いろいろ
千万年をへたときに土の中から/草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!

Run in the rain.(9/20 2003)

雨の午後

 願ったままの、少し肌寒い雨の午後。
 蜂蜜を入れたホットコーヒーを用意して椅子にふかぶかと座り、天沢退二郎『光車よ、まわれ!』を読み始めることにした。

それでは、《光車》さがし、はじまりはじまり。

 久しぶりの再読だったので物語の筋立てなどは随分と忘れてしまっていて、だけどふとしたディティールやシーンは鮮明に遺っていて。児童文学ってのはそういうものなのかもしれないね。
 夜の図書館の地下で閑に口をあける古文書室や、そこに佇む地霊文字で書かれた古い古い本。太陽を覗き込むことで眸に(聖痕のよう)刻み込まれる《光車》の形象。真っ黒な髪とすらりと長い足の大人びた女の娘。雨をきっかけにして日常の隙間から悪意がのそりと這い出し、水たまりの裏側にはいつわりの王を戴くさかしまの世界が広がる。瞬く間に地面から真っ黒な水が滲み出し町は呑み込まれていって、そして。
 まわる《光車》――。
 すっかり夢中になって一気に読み終えてしまう。今でも本の中に魂が幾分か残っているよう心持ち。やっぱり児童文学はいいねぇ。媚がなくて気高くて。「オレンジ党」シリーズも読んでみたいな。こんど区民図書館に探索に行ってみよう。

 私がこの物語を知ったのは(ご多分に洩れず)『摩由璃の本棚』だったりする。ああまで「読みたい!」という気持ちにさせてくれるステキなブックレビューというのは私はその後出逢えていないわけで。版元倒産で非常に入手困難なのは勿体ない。

そぞろ(9/24 2003)

 颱風が往った途端大気が一変して、ようやく暦相応の気候になった感じ。ページを繰るよう、一夜で気候が代わってしまったのは旅にでも出たみたいでちょっと可笑しい。体には辛いけど。だけどこの時季がいちばん好い。なんだか先にそびえている冬の気配を仄かに感じられるようで。
 秋も盛りにならぬうちにふっと鼻腔に冬の香りを感じたり、また逆にまだ冬の気配を残す頃に夏のカケラが躰を通過することがある。私にとってそれは、あとになにも残らない炭酸水を口に含むよう、懐かしく、いとおしい感覚だったりして。
 んで千葉てれビ〜ムどうでしょうリターンズがいま北欧編なのもまた(TVKとテレビ埼玉はマレーシア熱帯雨林編ですが)。北欧はいいね。フィヨルドと白夜とオーロラとWRCとグリペン観に行きたいなぁ。

 そういえばひっそり掲示板とか借りてみましたのでお気軽に。

ふぉまるはうと(9/27 2003)

ルルイエ異本の記述に則り「来たるべきもの」を召喚せんとする魔道師

 なんとなくシウマイ好きそうな顔付きではある。
 たぶん手作り。そして次の日学校に持って行って気持ち悪がられる運命。こんなに可愛いのに。

秘すれば花、じゃないけれど(9/29 2003)

 先日の朝日新聞によれば、今年のキリンアートアワードがちょっと面白い事になっているらしい。最優秀作に選出されたK・Kさんのヴィデオ作品『ワラッテイイトモ、』が一般公開できない事態になっているのだという。

□大西若人/「文化は誰のもの:最高作なのに非公開 なぜ?」(9/25 朝日新聞 文化総合面)
□五十嵐太郎さん(建築評論家/同賞の審査員))/cybermetric
ニシモトタロウさんのweblog(9/27)

 確かに、たとえ引用元の権利者が何千人いようともすべてをクリアして公開にこぎ着けるのが運営側の責務には違いないし、二転三転した企業の対応は褒められたものじゃないだろうけど、この出来事、様々なレイヤーの問題が錯綜していていろいろと興味深い。
 ひとつには、今更ながらではあるけれど、まさに現代のこの世の中との界面でせめぎあいながらパルスを投げ掛け続けるのが現代芸術の役割なのだということ(ヤバくなくなった芸術は既に芸術じゃなく、ただの伝統芸能に過ぎないよね)。
 そしてもうひとつは、望むと望まざるとに関係なく、公開しないという公開の方法もあるんじゃないかなということ。作者と審査員(媒介者?)が緩やかな共犯関係を形成して秘仏や神事のよう天戸の奥に隠匿し、ただそこに作品があったという事実だけが残るような。
 とはいえ現在K・Kさんは修正版の作業中であり、五十嵐さんも何らかの方法で無修正版の公開にこぎ着けるべく奔走中だという。
 私も是非とも

「いいとも」の明るさや軽さを肥大化させて、裏返しにしてゆく。見る側の内面が暴かれているようでもある。五十嵐さんは「呪いのビデオを見ているよう」と評した。

 作品を見てみたいと願う。

 新宿のABCで『夜想』復刊1号を購入。
 旧『夜想』は購入したことなかったのだけど今回は版径が大きくなったぶん、よりヴィジュアルになって取っつきやすくなった感じ。今号の特集は『GOTH:ゴス』ということで、ゴスに関する判りやすい見取り図もあり勉強になった。それにしても以前『S.M.H.』のコラムで読んだことがあったのだけど、ピアッシング・タトゥーからはじまる人体改造(BME:ボディ・モディフィケーション・イージン)っていまやえらいことになってるんだね。うわぁ。

ポリティック・ポリリズム(11/10 2003)

 先週、29歳になった。いやん、もう四捨五入すると30なんだねぇ。困ったものだ。

 結局高速道路は無料にならずじまい。
 ああ、勿体なかったなぁ。ベルリンの壁が崩れて随分になるのに、政権選択が体勢選択と完全に一致するというアングルを業界の人間が延々と演じ続けてきたのはやっぱりこの国の不幸だったと思うわけで。政権交代なんてそんな大層なもんじゃないんだよね。せいぜいが携帯のキャリアを替える程度のこと。そう言った意味じゃ、随分と健全な姿に近づいてきたようにも思う。
 ただ一ついうと、参院は県単位の完全比例代表制にするべきかな。好ましい多党制の姿というのは、虚構だけでもノスタルジイだけでもないと思うから。「二大政党制をとる合州国や英国の議会が、かつて一度でも政府が戦争に突入することを制止できたか」なんて河之内くんの言葉(かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』)は、いまなおぬらぬらと生々しい断面を見せてそこに横たわっていて。

 飛行機の中で読む雑誌を見繕っていたところ谷口キヨPが載っていたので思わず購入した『m』12月号。で、その京都のお店特集はともかく(★)、本特集『「鞄」選びを本気で考えてみました。』がいたって目の毒。はからずも鞄コレクターとなってしまっている身にとってはもうクラクラ。うーん、ガーメントバッグも欲しいんだよなぁ……などと、人の欲望は果てないもの。

亡命者は夜嗤う(12/1 2003)

 地上波デジタル放送の浮かれぶりを見ているとAMステレオのことをほんのり思い出したりしないでもない。
 やすらかに瞑れ。

 井波律子『裏切り者の中国史』読了。
 伍子胥(春秋)、王莽(前漢→新)、司馬懿(後漢→三国)、王敦・桓温(東晋)、安禄山(唐)、秦檜(南宋)、呉三桂(明→清)。
 王敦・桓温以外は高校世界史でも出てくるような名前揃い……ただし、みな反逆者・裏切り者として。この本では彼らの列伝のかたちをとりながら、裏から見た通史の体をなしている。このため非常に読みやすく面白い本だった。彼らは王朝の創設者ではないが、そのぶんだけ正史のくびきから解かれ、歴史の狭間でいきいきとした姿を見せる。その姿はどこか軽やかで壮快でもあり(たとえば桓温)、また滑稽で愛らしくもある(たとえば安禄山・呉三桂)。

 中でも秦檜に心惹かれる。
 彼が夷狄に国土と忠臣を売り払った売国奴では無いことは勿論だけど、かといってパワーバランスの中で現実的な決断を下すことによって南宋150年の繁栄をもたらした英雄だとも言い難い。彼の政治的活動は(少なくとも名分は)すべて国家を護るためのものであったにも関わらず、どこか抜き難く裏切者の陰が付きまとう。暗がりの底で、なお昏い憤怒の光を湛えた水がめのような男。
 真の平和といつわりの平和との境界はどこにあるのか、金品で贖った平和はついに真の平和ではなく、永遠に救われてはならないのか。彼の姿は文治を国家の礎として栄え、それゆえに滅んで行った宋という国家自身の姿と鏡あわせのようでもいて。

 パナソニックからカーナビの年度更新案内が来たのでさっそく予約。
 今回は首都高王子線が地図に入るのと、あとソフトウェアのバージョンアップでETCとの連動機能が加わるのが☆ いよいよETC付けようかしらん。

□暗殺の哲学(高橋和巳)



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