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ものづくし

(8/26 1996 〜 11/9 1996)

もの(material)にまつわる憶い出いろいろ
実は結構洒落にならなく激動の日常!(嘘)


眼福・朶福 (8/26 1996)

 外出しないとどうもここのネタというのは得られないもので、どうしても更新が疎かになってしまう。
 わかってるんだけどね。
 で、久々に更新したかと思えば結局インドアな話なのでなんだかなあという感じ(笑)。

 今日、お願いしていたいまさんのCG集『あしあと』の通販が届いた。
 眼福のひととき(^_^)。やっぱり最高だよぅ。因果のところにも書いたけどいまさんの作品てのは伸びやかなストロークがすごく心地好いんだよね。ラフなようでいて実は緻密に作り込まれた構図と言い、自分にとってのひとつの理想の姿が体現されているわけで、堪らなく(星空を見上げるよう)憧れてしまう。

 かねてよりあちこちで凄い凄いと噂は聞いていたYAMAHAのMIDIプラグインを2MBytesというファイルサイズにもめげずにダウンロードしてインストールしてみた。
 だいたい「MIDPLUG v2.00b1」というファイル名からしてデフォルトを勝ち取ろうというYAMAHAの気合いの入れかたが判るという物だけど、手持ちのStandard MIDI Fileを再生してみたとき、真剣に耳からウロコが落ちた。
 ホントにこれがうちの槙絵さんから出ているソフトウェア音源の音なのか?
 音数が多くなっても処理落ちは殆ど無いし(SC-88用のデータを再生したとき一瞬音が消えることがあった)QuickTime音源(version2.1)とは雲泥の差。
 凄まじいソフトウェア技術と言う物を始めて目の当たりにした思いだった。

だからアメリカは嫌いなんだ (9/3 1996)

 む〜、む〜(-_-;)。
 国内の不満を反らすためにクルド人の自治政府に武力弾圧を加えるサダムもサダムだが、選挙対策のためにミサイルを打ち込むアメリカの『大統領選民主主義』という奴も断じて正しくはないよな。
 宗主国たるアメリカの意見に追従するほかないこの国の老人どもの姿はそれ以上に情けなくはあるのだけどね。やれやれ。

ムハよ、ミュシャよ! (9/22 1996)

 翌23日までということなので、梅田の大丸まで「アルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」展」を観に行く。予想通りえらい人でちょっとトホホとなるも、内容自体は大満足。有り金はたいて図録とポスター2枚を購入してしまった(^_^)。やはり男なら黙ってミュシャだよなあ。いや、まぢで。
 今の日本の所謂コミックイラストレーションにおけるミュシャ(正確には「ムハ」と発音するのだそうだが)の影響というのは甚だしいものがあるんだなあと実感する。殆ど100年も前の作品だというのに、それらの作品は光をまるで失わず歴史的遺物としてではなく同時代的なイラストレーションとして眺めることができるというのは驚異以外のなにものでもない。微かな羨望と嫉妬とを覚えてしまうよね。
 帰り際に貰ったパンフレットによれば10/29〜11/11にはマン・レイ写真展が開かれるそうで、こちらにも行かなきゃなぁ。ん〜。

最近読んだ本のこと・など。 (9/23 1996)

 んー、ブルーウェーブ優勝か。最後に決めたのがイチローというのもやはり彼の持って生まれた星なんだろうなあ。それにしてもファイターズはペナントレースの最後の最後に至って天に見放されたね。とはいえあのチーム状態から2年で優勝争いができるまでに持っていった上田監督の手腕というのはやはりたいしたものだったよね(;_;)。


――かつてある人物のうちに、神がイタリアの贖罪を命じたのではないかと考えられる一条の光がさし込んだように見えたこともあった。だが、残念ながらこの人物は、活動の絶頂期に、運命の手によって見捨てられてしまったのである。(君主論/マキアヴェッリ/池田廉訳)

 さて、最初に「・など」がやって来たので残りは「最近読んだ本のこと」である(笑)。

まずは文庫:

中井英夫/とらんぷ譚(中井英夫全集3)
驚愕。一組のとらんぷになぞらえて編まれた54篇の巧緻かつ緊密な短編の醍醐味の集成。特にスペードの6「地下街」と2枚目のジョーカー「幻戯」の2篇は絶品。
続いて雑誌:
S.M.H.volume4
造形界の一番トンガった部分を一望できる季刊誌。今号の特集は「ブレラン以降症候群」ということで各造形作家が思い入れたっぷりの作品を作っている。その中にあってジャンルに耽溺するのではなくあくまで同時代的たろうとする韮沢靖氏の造形は凄いよね。平井宣記氏の小説「楽園の夢」も熱に浮かされたような騙りの力が素晴らしい効果を上げている。取り敢えず今一番元気な雑誌であることは疑いようがない、と思う。
美術手帳10月号
特集がシンディ・シャーマンだということで購入。丹生谷貴志氏のテクスト「不在の実在」がシャーマン作品に潜む名伏しがたいものに寄り添おうとしていて卓抜。ファインアートってやっぱり面白いよね。うん。
コミックBIRZ9月号
元コミックバーガー。描いてる人の名前だけを見ればビッグネームがそろってるんだけどいまいち地味な雑誌だよね(大失礼)。その中にあっていささかも見劣りしない冬目景氏と沓澤龍一郎氏(前述のS.M.Hにも描いてはる)は凄い才能だと思う。
コミックについてはまた後日……。

漢字トーク7.5.3 in まっちゃまち(嘘) (10/20 1996)

 MacUser11月号よりうちの槙絵さんをKT7.5.0から7.5.3にアップグレードする。
 ん〜。
 挙動自体は至って安定しているんだけど上書きアップグレードの所為かいろいろと謎な点があるなぁ。
・ColorSyncってver2になってるんじゃなかったの?とか、
・Shared Library ManagerとShared Library Manager PPCというファイルが並んでインストールされてるけどこれでいいの?とか、
・不必要になったはずの機能拡張書類は外してくれないのね(^_^;)とか、
・初代PowerMacでも新680x0エミュレーションを使えるんじゃなかったの?とかね。
 あとSpeedMater(ベンチマークプログラム)で計測すると画面表示関係のパフォーマンスが落ちているのがちょっとトホホではあったね(体感速度自体は同等〜少し向上してはいるのだけど)。

 昨日の日曜日、安眠を貪っていると先輩から電話。今度の学祭の模擬店の仕入れに行くので松屋町までつき合うようにとのこと。年のせいか安息日は休まないと辛いのだけど宗教的裏づけがあるわけでもなく日本橋へ出向く。
 日本橋から横へてくてくと歩いてまっちゃまちへ。ちょうど近日開通する地下鉄長堀鶴見緑地線(長い!)の上のようで、あちこち工事をしている。ビルで囲まれた秋空を見ていると訳もなく胸がきゅんとなる。自分は自然の中にいるよりはむしろ街に立っている方が安らぐ。きっと街にしか住めない種類の人間なのだろう。
 松屋町は玩具の街。
 とは聞いていたのだけど本当におもちゃ屋が多い。時期が時期でもあるしクリスマス関係の商品が多かったのだけど、中には雛人形を飾っている店もあって、ということはその店は人形だけで生計を立てているわけでちょっとすごい気もする。
 目的の店に到着。今回の模擬店ではハンマーくじ引きを行うことにした。ハンマーといっても、ちょうどビーチボールのような素材でできた巨大なものだ。どれくらい巨大かというと、一番大きなものがちょうど電子レンジぐらいのを想像してもらえればいいと思う。これはきっと売れるぞ!

【追記】
 売れました(笑)。あー、阿漕にボロ儲けをさせていただきました。ただ、必死になって膨らませたのでちょっと酸欠気味になったかも。アムロの親父みたいになるのではないかと思っちゃいました。

聖別された夜 (10/26 1996)

 この季節になると憶い出す光景……というか、空気がある。
 自分の中にひとすじ遺された引っ掻き傷のような、罪のようにこっ恥ずかしく情けなく、それでいて誇らしくまたいま省みれば罰のように嫉妬を覚えてしまうような景色。
 今日はそんな空気の話。


 夜。
 いつものよう、ホームに降り立つ。
 大気はピンと冷悧に張り詰み、風は肌を容赦なく責め付ける。
 吐く息は白く、一瞬のうちに幻とうつろい、消えてゆく。
 天涯にまぶされたるは幾多の星たち、二上山の上限りなく高貴に輝く下弦の月。
 もうじき、真白な冬がやって来る。

(意識的にものを創りだすってのは綺麗事じゃない、本当に苦しく切なく孤独な行為だ。そこでは絶対に自分の感性を疑ってはならない。没落貴族のように傲慢に気高く、自分が自分であり続けることを唯一の目的として涯無き曠野をひとり彷徨い続けねばならない。)

 自転車のペダルに足をかける。
 ダイナモの幽かな燈りを頼りに走り出す。

(だけど、それでも俺はものを創りだす側に立っていたい……そんな自分に最近ようやく気付くことが出来た。たくさんの人を傷つけ続けた、ながいながい回り道の果てだったけれども。)

 下弦の月は船のよう。
まほろばの夜を天の船は音もなく滑る。

(もしも、生が常に名さえ知り合うことのない数知れぬ他者の死の上にしか成立せざるものなのだとすれば俺は己れの生を、たとい僅かでも、歴史にとって意味あるものにせねばならぬ。そのための手段として俺は「表現する」という事を選んだ)

 不意に血が沸き立ち魂が震える。
 想念は大脳皮質を疾走し、排気音はとりとめの無いイメージとして意識下を駆け巡る。
 もうこうなると止まらない。
 俺は肩の上の精霊の命ずるがままに妄想を拡げ拡げゆき、かたちに成らないもどかしさを叱咤するのみ……。

(そも生とはなんたるか、そも世界とはなんたるか、そも自分自身とは……。答えはけして得られまいだろうがその彷徨の過程自体が一つの解答、或いは後の人のための道標と成り得ることを信じたい。信じているからこそ、俺は彷徨を続けられるのだ。意識の底を不意に、ほんの一瞬(ひととき)吹き抜ける印象を何とかして形象として遺そうという、虚空に向かって糸を投げ続けるのにも似た、限りなく徒労に近い行為のために命を賭すことが出来るのだ)

このごろちまたにはやるもの (11/9 1996)

 といいつつちょっと時期を外したかもしれないのだけど(^_^;)いま巷で話題騒然なのがこのページ。んー、あまりにすごい。エンターティメント系個人ホームページの新たなる地平を垣間見せてくれるページですな(笑)。
  それはそうと、きのう梅田大丸に『マン・レイ写真展』を観に行ってきた。デパートで行う展覧会というのは(人が多いから)基本的には好かんのだけどこの前ミュシャを観に行ったときに貰ったチラシのコピー「心に焼きつくような、衝撃だった」が気に留まり学祭関係での仕事(jobs&work)が一段落したことでもあるし(ガッコのレポートは溜まってたりするけど)行ってみたのだ。
 何と言えばいいのか、純粋に造形的で猛烈にカッコいい。WW2以前の一番トンがった部分てのは眩暈がするほどに気高くて、COOLというのとは違う、ノイズと埃と潤いとを内含した格好良さにクラクラとなってしまった。稲垣足穂が神戸で吸った空気というのはこういうのなのかなとも思う。
“……常に自由でありながら、休むことなく実験と挑戦を繰り返し続けた光線の男(Man Ray)……”
 堪らないよね。どうしようもなく堪らないよね。
 そのあと『レオン・完全版』を観に行こうと思ってたのだけどマン・レイの衝撃の強さに断念した……というのは余談(笑)。
 余談その2。日米野球をテレビで観戦して思ったんだけど、いかに清原やイチローが国内で超一流の選手だと言っても、野茂はメジャーの選手であるというただ一点のみで二人よりもなお高みに立ってるんだよね。だからどうしたといわれればそれだけのことなんだけど。
 余談その3。加速装置のスイッチが奥歯にあるなんてネタ、今のお子供にはわからんて(笑)。


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